3月
10

海の近く。本当に必要とされていること。

 

今日は午前には広田湾の漁師さんたちとイシカリ貝の漁に使われる仕掛けづくりをしました。実際に漁場に入っていくのも、漁を体験するのも、漁師さんとふれあうのも、どれもこれも初めての経験ばかり。潮の香りを感じながら教えていただきながらの作業の中、少し照れくさそうに話しかけてくださいました。漁のこと、災害のことやご家族のことなど様々なお話をする中、着実に近くなっていけていることを感じました。この漁場という場所がそうさせるのでしょうか。漁師さんたちも漁のお話をするときには生き生きとして、ただ海は自分の一部だと、畏敬の気持ちを持ちながらお仕事をされていることが伝わってきました。そんな作業をしながらの時間は皆さんとふれあえるのが楽しくてあっという間でした。休憩も挟んでの午前の時間は仕掛けを完成させ、皆さんと写真を撮りました。

お昼には漁師さんのお宅に伺いました。家が高い場所にあったため地震の被害ですんだそうです。ご家族とともにご飯を頂きながら、お話を聞かせていただきました。そんな中でたくさん考えることがありました。

津波を含め災害のお話ももちろん聴くことができました。津波がやってきたのは1度ではありません。押しては引いていくそれは物凄い音を立てて何度も何度もうっては返しました。それは夜通し続いたといいます。私たちが作業していた作業場も全て水に浸かり、保管していた道具も流され、漁に使っていた船も流され、災害後は片付けから始まりました。そんな中で続いて災害後の行政対応や仮設住宅の現状、保険や保障のお話も聴き、現地の方々の現状を感じ、そのご家族とともにある生活を感じました。しかし、私にはどうすることもできません。そして現地の方々も私たちになにも求めてはいませんでした。若い私たちに出来るのはただ足を運んで、一緒に笑って、話すことでした。「ただ、遊びに来て。笑顔だけもってきて。」と優しく、そして力強く言葉をかけられました。そして、この現状をたくさんみて、感じて。たくさんの人に知らせて欲しいと。ただ来てくれるだけでいい。「大学生が来るよー」といえば朝からはりきって昼食をつくるおばちゃんたち。その場面を思い浮かべただけで、笑顔になりました。様々な人が様々な被害にあっています。しかし、求めておられることの根底にはそういう思いがあるのかもしれないと感じました。

また、私にとってはそのようなお話を聴くことができたと同時に少しの時間ではありましたが実際に漁師さんたちと話し、漁に携わることができたことも収穫でした。海のこと、漁のことを語る漁師さんは本当に輝いて、かっこよくて素敵でした。震災がなければこのタイミングで訪れることもなかったのだと思うとこの出会いを大切にしたいと思います。訪れなければ分からないことはたくさんありましたが、それは言葉にしてしまえば簡単ですがそれを実際に行動して、感じることの大切さに気がつきました。同時に自分がこのような機会をいただけたことに改めて感謝しました。もっとたくさんの人々が現地の方々とかかわり、つながりを持っていけることを信じています。

写真1 広田湾での集合写真。楽しく、充実した時間でした!

3月
9

献本作業

写真①《積まれた本》

写真の本がこの後どうなるか分かるでしょうか?

この本は全国からここ遠野市役所に送られてきた本です。しかしこの本は司書の方たちが何度も献本した結果、本焼けが酷かったり、本の中にラインを引かれていたり、カバーが破れていたりと状態が悪いと判断された本の山です。これらはこの後処理場に行き処分しなければなりませんでした。

今回、僕は遠野市役所が行っている沿岸部の文化復興支援を手伝わせていただきました。ここでの活動は大きく二つの柱からなっています。一つ目は、津波により流され海水や泥などにより汚れた貴重な資料を綺麗に整理する活動です。二つ目は、全国から被災地に向け送られてくる本をジャンルごとに分類する活動です。僕は二つ目の本を分類する活動に主に参加させていただきました。なぜ分類が必要かというと寄付された本をただ沿岸部に送るのでは、送られた側に必要のない本が送られることがあります。これだと、ただ場所をとってしまい邪魔になってしまいます。そこでこの遠野市役所で本を分類し、欲しいと依頼された本を素早く見つけ送ることのできるように分類をしています。その他にも先ほど写真で見ていただいた状態の良い本、悪い本の仕分けも行っています。

写真②《仮の倉庫》

ここは実際その仕分けられた本が保管されている倉庫です。送られてきた本の数は現在までに約25万冊です。送られてくる本の中でもっとも多いのが詩など文芸書に分類されるジャンルの本です。また作品別に見て最も多く送られてきた作品は『星の王子様』の100冊で、次いで『五体不満足』だそうです。寄付される本の傾向としては少し前に流行した本が多いそうです。逆に日曜大工やレシピ本など実用書は不足していて足りないそうです。また倉庫で使っている本棚の数にも限りがあり、現在は東日本大震災の時に倒壊の認定をされ、取り壊しになった遠野市役所の建物で使われていたロッカーなどが本棚の代わりとして使われています。下の写真は現在、本棚として使われている職員のロッカーです。

写真③《仮の本棚》

手伝わせていただいた職員さんが「本を送る際は連絡を入れてほしい」とおっしゃっていました。誠意を無駄にしたくないことや、十分に足りている本を送られてくると場所にも限界があり、保管場所に困るからです。また事前に連絡を入れていると本が到着した際に本の仕分けがスムーズにでき時間の短縮にも繋がります。

僕が手伝わせていただいたこの活動で学んだことは、ただ被災地に物資を送るだけでは迷惑になってしまうということです。ニュースなどでこういったことは耳にしたことはありましたが、実際にその現場を見るとより一層深く考えさせられるものがありました。物資を送る場合は現地でいま本当に何を必要としているのかを理解し、いざ送る場合は連絡するのが良いと思いました。

3月
9

「ボランティア」としてやるべきことは…

遠野に入って5日が経った僕ら後発隊。天候も僕らを迎えてくれたかの様な、ほとんど0度を下回らない温かい日が続いています。

この数日間は非常に濃い日々でした。

 

それは3月4日、行きの電車から始まりました。同じ電車に乗っていた女性の方に声をかけられたのです。釜石市にお住いの、学校の先生なのですが、子供たちの心のケアに携わってらっしゃる方でした。本当に出会いは偶然からだと思い、いろいろとお話を聞かせていただきました。子供たちに、真ん中に自分の顔を書いて、自分の周りの人やペットや、建物、自分にかかわると思うものすべての繋がりを書いてください、という質問をしたプリントを見せていただいたところ、震災前のプリントは、子供たちは皆思い思いに自分の顔を書いて、その周りには繋がりとして、「パパ」「ママ」「お兄ちゃん」など家族や、友人、ペット、さらには、近くのコンビニまでしっかりと書いていました。

しかし震災後の繋がりは、多くても「パパ」か「ママ」のどちらか、もしくは何も繋がりを書かない子供、そのうえ自分の顔すら描かない子供が大勢いました。その子供たちは、今何が欲しいかと尋ねられると、「なにもいらない」と答えるのだそうです。

 

この女性の方はこういった子供たちの心をどうすれば救えるのか、笑顔にできるのかをずっと考えていらっしゃる方で、そしてそのことを時間の許す限り、詳しくお話ししてくださいました。まだ、ボイスレコーダーを持っていなかったのですが、そのお話は忘れることのない衝撃的なものとして強く印象に残りました。電車に乗っている短い時間でしたが、子供達の心を救うにはどんなことが必要なのか、ということを考えさせられた時間でした。

その後3月7日、僕らは大槌町で宅地跡の清掃のボランティアに参加しました。大槌町はいまだがれきだらけで、建物の基礎がそこら中に残っている状態でした。

私たちの仕事は、その建物の敷地内に積もったがれきや土を掘りだし、きれいにすること。この日も60人近いボランティアが参加していました。大槌は釜石に比べ、比較的作業が進んでいるそうです。

写真① [作業の様子①]

写真② [作業の様子②]

このボランティア中、たくさんの地元の方に出会いました。その誰もが明るく挨拶してくれました。それは、小学生も同じでした。その明るい笑顔を見て、遠野に来るまでの電車で聞かせていただいたことを思い出しました。この子たちのように、心に傷を負った子達が明るく笑えるように、今、何ができるのか。すごく難しい課題だと感じました。

 

最後に、復興の第一歩を見つけました。津波に襲われた何もない街に、つい最近オープンしたファミリーマートです。

これがこれからの復興の先駆けとなってくれることを願います。

写真③ [ファミリーマート]

3月
9

”(鵜)う~の!はまなす商店街”にあづまっぺ!!

始めて釜石市鵜住居町にある“う~の!はまなす商店街”へやってきてから3日目。

 

遠野から釜石まで電車でぴったり1時間。

そこから100円で市内を循環するワンコインバスに揺られて20分。

雪景色には慣れても崩れた防波堤や瓦礫の山は、通るたびに力がこもる。

 

ワンコインバスは仮設をくまなく通るので、乗り合った地元の方とお話できるのが利点。

昨日はバスの行き先を間違え慌てて途中下車。

鵜住居行きの路線まで歩いて戻ったものの次のバスは1時間後…。

 

その窮地を救ってくださったのが停留所前の仮設で一服していたお父さん!!

 

はまなす商店街まで車で送ってくださる最中、

車の速度を落として教えてくださったのはお父さんの家があった場所。

いろんな不安や現状を話してくださった。

 

お父さんからいただいた“がんばって”の応援に。

私たち、ふるさと応援隊の団長は釜石のお父さんやと実感。

 

さて。

ここ“う~の!はまなす商店街”では私たち関大生2人は、

北海道のNPO法人“ねおす”の一員として活動中。

何故?
それは、また次に書きます。

まずは明日のキャンドル企画がんばっぺし!

 

写真①:どの辺りにキャンドルを並べるか検討中

3月
9

作業の必要性

3月9日(金)は清掃部の活動に参加させていただきました。この日は気仙沼に来て一番肉体的にハードな日となりました。清掃部は主に民家の瓦礫の片づけや壊れたアパートの解体などの仕事をしています。

活動内容は伐採した竹を軽トラックでがれき置場に持って行くというものでした。竹の量が非常に多く、現場と瓦礫置場を何往復もしました。

写真ではわかりにくいですが大量の竹がありました。

これらをトラックで運びます。

 

瓦礫置場。ここでは種類別にごみが分別されています。

私は、この時、なぜ竹の回収をするのかという疑問を持ちました。確かに竹の回収は必要なことかもしれません。しかし、今回瓦礫置場にあった竹は震災前からもともと同じ場所に生えていて、震災後も変わらない状況のものです。瓦礫の片づけなどの作業は無料で行われるのでそれに乗じて庭の草刈など、震災の被害とは直接的には関係ないと思われる様々な作業を依頼する人がいるそうです。これは非常に難しいことだと感じました。どの作業が必要であるか、そうでないかを判断するのは非常に難しいからです。このような問題についてももっと考えなければならないと感じました。