3月
8

地震が引き起こした「陸の津波」

今回の震災で決壊した須賀川市ある藤沼ダムに連れていっていただきました。3月11日に発生した東日本大震災の強い揺れを受け、地震直後にダムは決壊し家屋や田畑を流失しました。下流の長沼地区と滝地区では死者7人、行方不明者1人の8人が犠牲になりました。そして、全壊した家屋は19棟、床上浸水家屋55棟という被害を出しました。
ダムの周囲は一周できるように歩道と車道で囲まれていましたが、震災で歩道は崩れ落ち、とても歩ける状態ではありませんでした。
≪写真1:崩れ落ちた歩道≫

決壊した方向に向かって車道を歩き進めるごとに道のひび割れは大きくなり今回の震災の被害の大きさを物語っていました。
≪写真2:ひび割れた道路≫


決壊部分は震災前にあった道路もなくなりすべてが流されていました。ニュースなどでは沿岸部の津波による被害や原発事故が多く取り上げられていますが、私たちが見に行った藤沼ダムは甚大な被害、犠牲者が出たにも関わらずあまり報道されていないのが現状です。
≪写真3:決壊部分≫


そして、現在課題とされているのが今後のダムの補修についてです。灌漑地域では田畑(水田)に支障が出ており、農業用水の必要性から早期の復旧を望む声があがっていますが、用水の必要性を認めながらも同じ場所での補修を行うことが危険であるという意見があり、再建について地域住民の意見は複雑であるようです。課題となっている藤沼ダムは貯水容量が約150万トンの灌漑用ダムで「アースフィルダム」と呼ばれる台形状に土を盛って作られたダムです。そして、震災前から老朽化で水が漏れていたため改修工事が行われていました。地域住民からは耐久性に問題があるのではないかと懸念されていたようです。このように早期の復旧を望む住民の方、震災前や補修に関する不安を感じている住民の方の双方が安全で安心して生活を送れるような対策が取られるべきではないかと感じました。また、この被害をたくさんの人が知ることで今まであまり知られていなかったダムについてのリスクの認識がされるのではないかと考えました。

3月
8

仮設住宅へのパフォーマンス

今日は気仙沼復興協会での福祉部での二日目の活動でした。

今日は昨日に引き続き、仮設住宅でのお茶会に参加させていただきました。お茶会とは仮設住宅の集会所で住民の方々とお茶を飲み、いろいろなお話をする会のことです。そこでは震災のことはもちろん、普段の趣味についてなど震災とは違ったお話などもします。お茶会で会話をすることは住民の方々の心の健康のために非常に重要な役割をします。また、仮設住宅では知らない人同士が同じ建物で暮らしていることもあるので、お茶会は住民同士の交流の場としても非常に大切なものだと感じました。

お茶会

お茶会

今日は県外から来られた方によってパフォーマンスが行われ、有名グループのコーラスや大道芸の方のパントマイムなどが披露されました。パフォーマンスはパントマイムでは住民の方も一緒に参加し、コーラスではみんなで声を出したりして一体感を感じられるもので、個人的にも観ていて非常に面白かったです。パフォーマンス中は終始笑い声が絶えなかったです。中にはおなかが痛くなるくらい笑ったという方もいました。このように心から笑うということは仮設住宅で生活していくうえで非常に重要なことなのだと思いました。住民の方々が心笑っている姿を見て心が和みました。このような企画を手伝わせていただいて本当によかったと思いました

この二日間福祉部で活動させていただいて、住民の方々の声を聞くことができました。最も印象的だったことは高台への集団移転についてです。今後再び来るかもしれない津波に備え、高台へ移転することは防災の面においては非常に重要なことです。しかし、自分が住んでいた場所を離れたくないから、高台への移転に反対する人も居ます。故郷を離れたくないという気持ちは理屈では言い表せないものだと思いました。私も故郷が大好きで自分にとって一番心が落ち着く場所であるため、非常に考えさせられました。

福祉部のみなさん、二日間本当にありがとうございました。

3月
8

3月8日~農産直売魅力アップ研修会

今日は南会津町田島で行われた農産直売魅力アップ研修会に参加させていただきました。

農家の人が利用している農産物直売所で運営者と生産者双方が実践すべき基本事項や、消費者の購買意欲を喚起する先進的な直売手法を学び、農産物直売所の持続的な発展を目指すという趣旨の研修会でした。 研修会では売り場に置くポップを作ることや商品の袋詰めの仕方、並べ方など消費者の目がいくような工夫のなど、購買意欲がわく直売所を作るために役に立つようなことを講師の方が話されていました。

 

研修会に参加して、震災の影響がありながらも様々な角度から復興に向けた活動が行われていることに気づかされました。ボランティアのような直接的なサポートだけではなく直売所のような経済的な面のサポートに繋がることで、農家の方の生活の助けになる。そしてこのような活動が町の活性化にも繋がり、これからより必要になってくるのではないかと感じました。

 

≪写真1:農産直売魅力アップ研修会≫

研修の後、南会津郡下郷町にある塔のへつりに連れていっていただきました。福島県では有名の観光所の一つで国の天然記念物にも指定されている景勝地です。「へつり」とは会津方言で、川に迫った険しい断崖のことを言うそうです。今回の震災で直接的被害は免れたようですが、先日の記事と同様に観光地の利用者数は激減しているようです。実際に私たちが塔のへつりにいるときも観光に来ている方はほとんどいませんでした。福島第一原子力発電所から離れたこの町でもそのような事態であることを知り、風評被害の及ぼす大きさに衝撃を感じました。

≪写真2:塔のへつり≫

3月
8

長部での4日間

ボランティア調査を開始して4日目になります!!3月1日から3月3日にかけて、陸前高田長部での杉の木の皮むき作業を主にやらせていただきました。

今回はそのことについて。。。

ボランティアの一日は朝7時40分からのラジオ体操、朝礼から始まります。

寒い中でのラジオ体操はめっちゃ気持ちいいんです(笑)

人とすれ違う度、「おはようございます」「よろしくお願いします」が当たり前。

みんな仲間であり、もはや家族ですね!!

 

杉の木の皮むき作業はその名の通り地道に皮むきしていくのですが、

これがまた手首、腰にきついんです。

 

ボランティア初日はもうクタクタでした….でも2,3日目になるとみんな慣れてくるんです。

3日目なんて物凄いスピードで仕上げていきましたよ!!それはやはりみんな協力がちゃんと出来ていたからだと思います。

この木を移動させたいと思う人が全員に協力を呼びかけ、すぐさまみんな駆けつけます。

 

自分たちが皮むきをした木が現地のおっちゃん達のプロの技術により製材所ができていきます。自分たちボランティアと現地の方々とのつながりが確かに実感できました。もちろんボランティアの方同士でも!!

利用される木は津波で海水を浴び、枯れてしまった木です。津波被害を受けダメになってしまったものなどが人の手によって、復旧・復興に少しずつ近づく新しいものを生み出していくのです。

帰る際に地元のおっちゃんたちが必ず「ありがとなあ!!」「またこいよー!!」って笑顔で言ってくれました。ほんの少し助けになれたかなと自分も笑顔になります。(笑)

 

写真1<製材所の建築途中>

 

 

今月の11日で東日本大震災から一年が経ちますが、メディアの報道はかなり少なくなってきました。原発の報道は比較的多いと思いますが…少なくなるのは、誤解を招くかもしれませんが当然なことだと思います。日本を含め世界中で色んな災害がおきているからだと考えています。

でも、東日本大震災が終結した、もう大丈夫だとは絶対に思わないでほしいです。僕は復興、というより復旧途中だと考えています。

 

まだまだ仮設住宅にすんでいられる方はたくさんいますし、瓦礫の片付けは進んでも、受け入れ先が決まらず、瓦礫の山が多く残っています。

<写真2>瓦礫の山

今の季節だと、津波でふたがなくなったマンホールが雪や瓦礫で隠れてしまっていて、落ちる危険などの二次災害も考えられます。

自分自身ここへ来て、現場を見るまでは正直かなり復興してきているんだろうと安易に考えていました。現状は違います。あと何年かかるかわかりません。 課題はあらゆるところに様々な形で存在します。

少しずつ、小さな地域でも素敵な人たちが、現地、そしてボランティアの人たちと協力して活動しています。

 

ブログの更新スピードが遅いですが、その分確実にそのような活動をどんどん載せていきます。よろしくお願いします。

3月
8

野田村での、或るお店の人との会話

この日は野田村の人に話を聞いてみることにして、村の中を歩き、気になったお店に入ってその人にお話を聞くことにしました。

いくつかのお店でお話を聞きましたが、その中でも僕が一番気になったお店は、野田村にある数少ない衣料品店の「中伊」さんです。

このお店は、震災が発生して、3階建てビルの1階、店舗部分に木材や泥が流れ込み、建物が流されることはなかったものの、とうてい営業はできない状態になってしまったそうです。

 

お店の正面。震災当日は1階部分がまるまる、ゴミで埋まってしまった。中伊

 

服はもちろん売れない状態となってしまい、ラックも海水が原因で錆びついて使えなくなりました。3月11日は入学シーズン直前で、それらの商品が大きい被害を受けてしまい、かなりの苦労があったそうです。

震災当初から、近所に住む人から「早く店を開けてほしい。」と要望がありましたが、お店は何から手を付けたらよいのか分からない状態で、元の状態に戻すのには時間がかかったそうです。それでもボランティアの支援もあり、ゆっくりですがゴミを片づけ、ラックを買い揃え、床や柱の壁紙やガラスを新しいものに取り換えたのち、7月に再オープンの運びとなりました。

 このお店の特徴は、フロアの中央に、大きなテーブルと、椅子が置かれていることです。

 

お店のちょうど真ん中ぐらいのところに置かれているテーブルと椅子。テーブルとイス

 

これらは震災前にはなかったもので、もちろん設置されたのには目的があります。

それは、このお店を単なる買い物の場ではなく、「憩いの場」にしたいから、という思いからです。買い物というより、地域の人とお茶を飲みながら、おしゃべりをする場所。時間つぶしなど、気軽に入ってきて欲しい場所としたかったのです。

このことを話されたとき、お店の方は、とても嬉しそうでした。実際、自分たちがこのお店に来た時も既にひとりの方と談笑をしており、野田村の「憩いの場」として、活用されているようでした。

 

しかしこのお店の方はこうも言っておられました。「道の前の街灯がなく、夕方や夜は暗くて寂しい。これじゃぁ夜、店に来る人はいない。」と。

たしかに、お店の前の道の街灯は数が少なく、ほかに営業している店や民家も少ないので、暗そうだな、という印象を持ちました。これでは人足が遠のくのも分かる気がします。

 

 店の前の道路。人はあまり歩いていません。夜はもっと減るのでしょう。

 

今まで街灯に注目したことはありませんでしたが、改めて新しく整備する道路に街灯の必要性を感じました。

そのためにも、復興計画の策定を急ぐべきだと考えます。野田村に限ったことではないですが、復興計画が決まっていない市町村は少なからずあります。区画整理や高台移転など決めなくてはならない課題は山積していますが、野田村が震災前の活気を取り戻すためにも一刻も早い策定が必要だな、と考えました。