三陸鉄道と沿線地域の在り方
先日の「久慈における公共交通機関」にも少し書きましたが三陸鉄道は最大のクライアントである学生が少子化によって減少していることもありここ17年間は赤字が続いている状態です。
しかしながら、そもそも三陸鉄道誕生の起源は明治29年の三陸地震津波の復興の際地域住民からの復興案として「三陸を縦貫する鉄道整備が必要」との声が出たことにあります。
地形が複雑で沿線にこれといった大都市も抱えない三陸地域の鉄道整備は大幅に遅れ、昭和47年にようやく国鉄宮古線(宮古~田老間)が開通したものの全線の開通を待たないまま昭和56年には廃線してしまいました。
国でできないのなら地域の力でと、その後も様々な紆余曲折を経つつも「三陸鉄道」としてようやく完成したのが昭和59年なのです。
このように地域と共に歩んできた鉄道である三陸鉄道は現在も三陸の生活維持基盤鉄道であるため廃線することはできず第三セクターとして運営されています。また、それに加えて今回の震災を受けての復旧には100億円以上を要すそうですがそれも昨年11月に成立した第三次補正予算で国が負担することが決定しました。
そういった国からの援助に甘えて何もせずにいるのは申し訳がないということで、三陸鉄道では草野悟さんの提案のもと一人ひとりが「どのような会社にしたいか。」ということを考えてレポートにして提出する制度を設けたり、鉄道を利用する人におすすめの、沿線にある施設や食事をする場所を探して話題発信を行っています。(駅-1グルメ)
上に挙げたような企画を考案された草野さんは当然社員の方だとお思いでしょう。
しかし草野悟さんはあくまで「三陸鉄道を勝手に応援する会」会長、つまり三陸鉄道の社員など直接の関係者ではない方なのです。
ですが草野さんは上に記した活動以外にも「被災地フロントライン研修」という外部からやってきた方の被災地視察を円滑に行うための企画し、ガイドを三陸鉄道の社員が行うプランも考案されるなど様々な面で三陸鉄道、いえ三陸沿岸のアドバイザーとして活躍なさっています。
恥ずかしながら私はお会いして詳しくお話を聞くまで「三陸鉄道を勝手に応援する会」と名前のイメージで鉄道マニアのファンクラブのようなものなのかな、と思っていましたがそれは大きな誤解でした。
このように「勝手に応援する会」などと名乗っていますが実際に三陸鉄道の経営方針等も決める重要な人物でいらっしゃるのです。
なぜ体系的な組織にしないのかと思っていたのですが「こうして勝手に応援しているという形の方が影でサポートして手柄は三鉄のものとして扱えるし、俺以外にも約170人の会員で自分たちのお金を出し合うことが大事なんだ。」とおっしゃいました。
「駅-1グルメ」の協力者欄も地元の団体ばかりです。
駅-1グルメ協力者欄
この企画も含め、わりと単独スポンサーになりたがる大手企業は多いそうです。ですがなぜそれを受けないかというと地元色が薄れるからです。
一つの企業にスポンサーについてもらえば楽に資金繰りもできるでしょうに、そうはせずやはり「三陸全体に活気を与えること」を目標に広い視野で見てらっしゃるのだなあと感動しました。
草野さんがどういった方かということについては長くなりそうですし、関連して書きたいこともあるので別記事で書きます
新聞スクラップの修繕
旧遠野市役所で遠野文化研究センターが、「三陸文化復興プロジェクト」の一環として行っている、大槌町立図書館で津波にのまれ、泥だらけになった新聞スクラップの洗浄のお手伝いのボランティアに行ってきました。
遠野文化研究センターは、もともと東日本大震災の発生前にその名の通り遠野の文化を研究するために設立された機関だったのですが、震災後は文化の面で復興の手伝いをすることを決め、現在は、
①全国から寄付されてきた本を仕分けて、被災した小・中学校や図書館に要望のあった本を送る。
②大槌町の図書館に保存されていて津波にのまれて、濡れて泥まみれになった町議会資料、議事録などの重要な資料や新聞のスクラップなど、主に「ここでしか手に入らない貴重なもの」の乾燥・洗浄・修繕
という、大きく分けて2つの作業に取り組まれています。
今回私は、新聞スクラップの泥を落として、新しいスクラップブックに張りなおすという作業のお手伝いをさせていただきました。
元のスクラップブックと張り替えた新しいスクラップブック
まずスクラップブックから記事を一枚一枚丁寧に剥がし、付着している固まった泥をヘラやハブラシを使ってきれいに落とします。泥は意外と簡単に落とすことができます。
そのあと新しいスクラップブックに記事を張りなおすという単純な作業なのですが、地道で大変な作業でした。やはり一度濡れてしまっているので、ページ同士がくっついていて、1ページとばして張り替えるなどのミスに気を付けなければならないので、かなり神経を使います。
前回のボランティアの方が一冊の3分の1を張り替えられていた分を担当したのですが、約5時間の作業で、やっとその1冊を完成させました。
作業が終わった後は、津波で汚れてしまった本の洗浄作業を教えていただいたり、送られてきた本の仕分け方などを詳しく教えてもらいました。
ちなみに、今まで約25万冊の本が全国から送られてきていますが、まだ仕分けられたのは半分ぐらいだそうです。
最後に、献本の際の注意事項として遠野文化研究センターの方は、雑誌や百科事典など、情報が古くなってしまう可能性のある本や、文庫本、汚れた本、名前の書いてある本、あまりにも古い本などは受け取ることはできないということ、「いらないからどうぞ」と添えられている本はたいていこちらもいらない本なので、「読んでほしい」と思う本を送っていただきたいということを仰っていました。
活動スタート
3月5日、今日から本格的に活動がスタートです。起きたら雪が積もっていました。昨日に比べてかなり寒かったのでこれでもかというくらい着こんで宿泊先を出発しました。朝は気仙沼復興協会に行って朝礼で自己紹介をしました。これから一週間よろしくお願いします。
午前9時から活動がスタートしました。午前中は清掃班の方々の活動に参加させていました。活動内容は雪かきでした。岡山県南部で生まれて現在大阪で暮らしている私は雪とは無縁で、生まれて初めて雪かきをしました。3月の終わりの雪は非常に重たく予想以上に疲れました。また作業中は雨がずっと降り続けていました。雪国で暮らしていくことの大変さを少し理解できたような気がします。また、活動の途中で、船が座礁した現場に寄っていただきました。改めて津波のすさまじさを感じました。住民の方からは、震災を思い出すから撤去してほしいという意見と、震災の被害を後に伝えていくために公園にしてほしいという意見に分かれているそうです。どちらが正しいかとか簡単に決められない難しい問題だと思いました。
午後からは写真班の活動に参加させていただきました。ここでは、廃校になった小学校の校舎を利用して津波で流された写真の洗浄、保存を行っています。また、トロフィーや盾などの写真以外のものも置いています。洗浄の目的は、写真を洗浄して綺麗にすることによって持ち主の方が自分の写真を探しやすくして、持ち主に写真を返すことです。また、洗浄して写真についているバクテリアを洗い流すことによって写真の耐久年数を長くすることもできます。
実際に写真の洗浄を手伝わせていただきました。
発見された写真はアルバムごとに分けられます。そしてぬるま湯につけて手洗いをします。この時、写っている方の顔が消えてしまわないように注意します。洗い終わった写真は乾燥機にかけられます。
そして、乾燥した写真はスキャンされて、最後はアルバムごとに分けられて保存されます。
また、持ち主の方が自分の写真を探す方法はいくつかあります。
一つ目は、発見された写真は校舎に地域ごとに置かれているのでそこで探すという方法です。しかし津波によってかなりの距離を流された写真も多いそうです。二つ目は顔認証によって探す方法です。洗浄された写真はスキャンされているので顔認証によって自分に似た写真を探します。三つ目は分類によってコンピュータで検索して探します。ピアノの発表会や記念写真など、いくつかの分類によって検索して探すという方法です。この方法は、写真を探しに来た方にパソコンの使用方法を教えたりするので、コミュニケーションを取りやすいというメリットもあります。
今日1日で多くの体験をさせていただきました。残りの日数も少しでも多くのことを体験し学んでいきたいと考えています。明日以降の活動も逐次報告していきたいです。
3月4日~まざっせプラザより~
私達は福島県須賀川市の阿部農縁さんでお世話になっています。
3月4日。須賀川市に隣接している郡山市で販売イベントに参加させていただきました。郡山駅前の大通りにあるまざっせプラザというところで、商品の販売の他にも、陶芸教室、キャンドル作りなどが行われていました。
≪写真1:イベントが行われたまざっせプラザ≫
そのため、イベントでは阿部農縁さんの他にも、福島県田村市の方や同じ須賀川市で野菜を育てておられる農園の方など、少しでも風評被害をなくし、復興に向かって活動している方々がいらっしゃいました。震災時のお話を伺うと取引先から契約を打ち切られたり、観光地の利用客数が激減したりと、風評被害がもたらす影響の大きさが伝わってきました。
その中でも、印象に残ったのは、果樹生産者に対する風評被害です。「果樹生産では観光での収益と商品として出荷することでの収益がある。そして、今回の震災でその両方が風評被害をうけている。」そういっていた農園の方の言葉です。私は今まで新聞やニュースなどで風評被害に関する情報が取り上げられているのを何度か見たことはありましたが、食品に関することが大半を占めていたように思います。しかし、今回お話を聞かせていただくなかで、食品だけではなく観光の面での影響も大きかったということを感じました。そういったメディアではあまり情報発信をされていないことをこれからの活動で伝えていきたいと思います!
≪写真2:阿部農縁さんで販売した商品≫
3月4日 まざっせアーケット
3月3日(土)の夜に無事に福島県須賀川市へ到着!
宿までの道のりをタクシーで移動中、運転手さんとお話ししました。
この活動の趣旨を伝え、大阪から来たと言うと、東日本大震災での被害やおすすめの観光地など丁寧に教えていただきました。短い時間でしたが、関西弁とはイントネーションが違う喋り方に初めてふれることができ、とても新鮮で楽しいひと時でした。
須賀川1日目は郡山市のまざっせプラザにて開催された
「まざっせアーケット」に参加させていただきました!
「まざっせ」とは、「混ざりましょう」という言葉だそうで、まざるとは、英語でJoin us!「ご一緒に!」という意味です。街中の賑わいを考え、語り合い、魅力を発信していくことを目的とした「まざっせKORIYAMA」!郡山のまちづくり拠点、人や情報の交流拠点となるようにと活発に活動を展開しており、これらの活動には昨年3月11日の東日本大震災の復興への願いも含まれています。
地震や津波などによる被害も大きいですが、福島第一原発の水素爆発による風評被害問題には多くの農家さん達も悩まれています。少しでも地域を元気にしよう!福島の魅力を改めて多くの方に知ってもらおう、広げよう!という気持ちが強く伝わってきました。
3月4日のイベントでは「行ってみよう!梅とさくらのみどころ」というテーマに、陶芸教室(三春町「安里窯」や福島県内の桜と梅の写真展、また、おいしいもの市ということで、農家さんたちの愛情のこもったお弁当やお漬物、野菜や特産物を販売しました。私達は阿部農縁さんの一員として販売のお手伝いをさせていただきました!もう3月だというのに所々に雪が残るほどの寒さでしたが、そんな寒さを吹き飛ばすほどのまざっせの参加者の皆さんの明るさに、こちらも元気をいただきとても楽しい時間を過ごしました!
お昼の休憩時には、阿部農縁さんの手作りのお弁当をいただきました!農園で栽培した野菜をふんだんに使った料理は最高で、ヤーコンの入ったコロッケは特におススメです。
販売中にはまざっせに参加している他の農園さんや市役所にお勤めの方ともお話でき、震災や農園に関する貴重なお話をしていただけましたが、やはり風評被害についての話題が主に取り上げられました。ある農園さんのお話では、「今はあちこちのメディアで風評被害についての話題が取り上げられている。しかし、これも時間が経つにつれて徐々に取り上げられる数が減り、人々の風評被害についての関心にも変化がみえてくるであろう。ただ、悪いイメージだけが取り残されたまま人々の記憶から薄れいくことだけは防ぎたい。」とおっしゃられていました。マスメディアの与える情報が情報受け取り側に与える影響の強さや人々のリスク認知がさまざまであることによる影響、自分は「安全」だと思っていても「危険」だと思っている相手にどのように「安全」を伝えるかによる影響などを改めて考えさせられました。
福島での活動初日ということもあり、福島の方々との交流も初めてで緊張していましたが、皆さんはとにかく明るく元気いっぱいで、何か質問させていただくととても丁寧に答えてくださる優しさにも触れることができました。この明るさと人情を持っている福島の方々なら、福島を守り抜き、必ず震災以前よりも素晴らしい生活を獲得してくれるだろうと感じることができたと同時に私も復興の力になるべく、まずはこのブログから福島県の魅力を発信していきたいと思いました。まざっせで出会えた皆さん、ありがとうございました!
さて、5日からはいよいよ阿部農縁さんでのお手伝いが始まります。
この日にお会いした阿部農縁3代目の方はとても親切な方で、これからの阿部農縁さんでの活動がとても楽しみです!












