道の駅・おりつめと、道の駅のあり方について
久慈からバスで45分ほど。岩手県の九戸という町に、道の駅「おりつめ」という施設があります。今日はそのことについて書きたいと思います。
ここは久慈から新幹線の駅・二戸へ行く途中にあり、近くには高速道路の九戸インターもあります。だからアクセスは抜群で、道の駅の売り上げも岩手県内でトップクラス。夏のピーク時には月に2万人ほどの来館客数があるそうです。自分が訪ねた時も、常に誰か、人がいる状態でした。
【写真1:道の駅・おりつめの外観。周辺に民家は少なく、山深いところにある。】
この道の駅で一番充実している商品は、なんといっても産直の商品です。全て九戸産の、野菜や雑穀、木炭と、様々な地域の特産品が売っています。中でも一番売れているのは野菜、特に今の時季はキャベツで、地域の人が次々と買っていきました。その日に収穫したものが商品として売られるので、どれも新鮮なものばかりです。
他にも、パンやお惣菜、そしてリピーターが多く青森から買いに来ている人もいるというシフォンケーキやおまんじゅう。加えて特産品の「甘茶」に、「南部箪笥」という、江戸時代に興った、地域の高級な家具ブランドの商品も売っています。少し値は張りますが、良い品を長く使えるので、人気があると担当の方はおっしゃっていました。
【写真2:中の様子。左側に売られているのが野菜。】
【写真3:南部箪笥が売られているコーナー。】
さて、この道の駅で、ひとつ気になったところがあります。
前述したとおり、アクセスが非常に良い道の駅です。だから、訪問する前は、他県の人向けへのお土産物が多い道の駅なのだろうなぁ、と思っていました。しかし実際に行ってみると、全然そんなことはなく、むしろ地域密着型。お土産はあまり売っていませんでした。
聞くところによると、観光バスは、あまり来ないそうです。これは震災により東北への観光客が減ったことが一番の要因で、震災前の1/10になってしまいました。なおかつ、バスを停めてもトイレ休憩だけで、商品を買わないこともあるそうです。けれども、バスが来るか来ないかで、売り上げが大きく変わってくるのも事実です。
これほど立地条件が優れているのですから、売り場面積を拡大、ますますお土産品を充実させて、観光バスを気軽に停めさせるようにするのもよいのかな、と思いました。
そうすれば併設されているレストランも潤うでしょうし、この地域の名物「せんべい天ぷら」を、揚げたてで提供する、といった店があってもよいかもしれません。
【写真4:名物のせんべい天ぷら。おいしいのだが、冷めた状態で提供されるのは残念。】
また、道の駅ということで、車で来ることが前提になっています。この地域が極端な車社会ということも相まって、周囲の観光地案内も、「車で○○分」と書かれています。
これは、道の駅全体に言えることでしょうが、車を使えない人を、どうやって道の駅に呼び込むか。加えて、冬場に、山間部にある道の駅にどのように人を呼び込むか。これらを今後の課題かと考えます。もちろん駅前や市街地にある道の駅もあるのですが、免許を持っていない若者や高齢者を道の駅に呼ぶことができたら、もっと地域は活性化するでしょう。
現に、道の駅に人を呼ぶため、シールラリーや、ご当地ソフトクリームマップと、様々な工夫がなされています。このような活動が実を結び、岩手県が元気になればよいなぁ、と思いました。
八戸の町を視察
この日は、青森県の八戸市へ行きました。 久慈周辺で地元の方と話してみると、八戸へ買い物に行くと言う人が多くおられたので、自分の目で、八戸という街がどのようなものか、知りたかったのです。 久慈から八戸まではJR八戸線が運行されていましたが、津波で鉄橋が流され、全線での営業は3月17日まで待たなければならない状態にあります。そのため途中まで代行バスがありますが本数はとても少ない上、ダイヤも不安定なので、交通手段がJRしかない高校生は、さぞ不便だろうなあと思いました。実際、自分は朝5時過ぎの始発バスに乗りましたが、既に高校生が乗っている状態でした。 八戸を語る上で、市場は欠かせません。 八戸港の近くでやっている公設の市場は、日曜日を除いてほぼ毎日営業しており、50軒ほどのお店が入っています。どのお店も活気があり、はつらつとしたかっちゃ(こちらの方言で、お母さんという意味)の声が響いていて、心地よかったです。 この市場は毎日のように通っている地元の人が多く、散歩がてら立ち寄って、お店の人と喋り、朝食を食べて、おかずを買って帰るというパターンが多いそうです。自分もお店で好きな刺身や惣菜を買い、市場の空気をおかずにして朝食を食べる。とても贅沢な時間を過ごしました。おまけに魚は安くて新鮮で、美味しい。八戸は市を挙げてこの市場と朝食をPRしています。
【市場の様子】
【この日の朝食。これで500円というお値段】
震災の日、津波は八戸をも襲いました。八戸港の水揚げ高は日本でもトップクラスで、漁業が盛んな町だったので、大打撃を受けました。魚が獲れなくなり、市場に魚が来なくなって売り上げは落ちたそうですが、この日の市場の活気を見ると、そのような過去があったとはみじんも感じられませんでした。 それでも、八戸港に実際へ行って見てみると、津波の爪痕がはっきりと残っていました。
【津波で壊れたと思われる岸壁】
そして、町を歩いていて、至る所から工場の煙が見えました。八戸港は工業港としての役割もあるのです。八戸が栄えている理由は漁業と工業という、ふたつの産業があるからだと考えました。ひとつの産業が被害を受けても、もうひとつの産業がカバーする。こういうことができているのが八戸の強みだと思いました。
【八戸港から工場の煙突を見る】
八戸の町が地震の被害を受けたということは、あまり知られていないのが現実だと思います。実際、メディアに多く流れているのは岩手、宮城、福島で、青森の被害はあまり報道されていません。市街地はとても賑わっていて、久慈市民が買い物へ行くというのも、分かる気がしました。 しかし、まだ津波の跡が残っている八戸港を見ると、青森が被害を受けたということは、もっと注目されてもよい事実なのになぁ・・・と感じました。
初めての仮設住宅訪問
「浜のミサンガ環」の地域リーダーをされている船砥さんのご好意により、陸前高田市の仮設住宅に行かせていただきました。
まず浜のミサンガをご存知でしょうか?このミサンガは被災された女性が編んで作っており、その売り上げの約半分が作り手の収入になります。仕事をすることにより、収入を得るだけでなく、仲間ができ、仲間と語り合い、それが高齢化の進む仮設住宅内での孤独死も未然に防ぐことができると教えていただきました。
このミサンガの価格は1100円で、被災地だけでなく東京や名古屋、大阪でも販売されています。被災地に行かずとも、これも立派なボランティアになります。様々な色もあるのでぜひチェックしてみて下さい!ちなみに僕も復興食堂で見つけてすぐに購入しました!
仮設住宅に訪問する前に車で陸前高田市と大船渡市を案内していただきました。その中で一番印象に残った場所を紹介したいと思います。
この希望の灯りの近くの石碑には次のように書いてありました。
『この「希望の灯り」は2011年3月11日午後2時46分に発生した
東日本大震災で被災された方々に
少しでも希望を持っていただきたいとの思いから
国内外からのご寄付をもとに
被災地のみなさんとボランティアが協力して建立しました。
ここに灯る火は、1995年1月17日午前5時46分に発生した
阪神淡路大震災で被災した方々をはげまそうと
全国47都道府県から種火が集められ
2000年の1月17日、神戸市の東遊園地に
「1.17希望の灯り」として点灯され、いまも灯り続けています。
震災が教えてくれた
やさしさ、思いやり、仲間、絆の大切さを忘れることなく
ともに歩んでいきましょう。』
2011年12月10日建立
このように被災地のことを多くの人が気にかけていること、日本の絆の強さを感じることができました。これからも希望の灯りが灯し続けるように、被災された方々は希望を持ち続けていってほしいです。そうすれば被災地の早期復興につながっていくはずです。
その後、船砥さんが住んでいる仮設住宅に行かせていただき、そこで多くの話を聞かせていただきました。様々な話を聞いていると仮設住宅の現状や問題、課題が見えてきました。
仮設住宅というと、どこか暗いイメージを持っていましたが、ここは違いました。ご近所付き合いもあり、本当にみなさん仲が良かったです。しかし、最初は仮設住宅の中に知り合いが一人もおらず、会ってもあいさつをする程度で雰囲気も暗かったそうです。さらにこの仮設住宅は、全46世帯中12世帯が一人暮らしのお年寄りと非常に多く、このままでは高齢者の孤独死を招いてしまうと船砥さんは感じ、ミサンガのプロジェクトの参加を促したそうです。
ここまで仲が良い要因としては46世帯と比較的に小さい仮設住宅だからとも考えられます。やはり小さい仮設住宅の方がコミュニティ形成されるのでしょうか。しかし小さい仮設住宅にも問題がありました。50世帯以上ないと最初から交流の場である集会所が設置されなかったそうです。市に問い合わせて1年経過してやっと設置されたようです。その後、実際にその集会所で集まって、楽しく食事や会話をさせていただき、笑い声が絶えなかったです。
集会所でご飯をいただきました
本当に元気いっぱいの方ばかりで逆に元気をもらってしまうほどでした。僕たちのような若い人たちが行くことで本当に喜んでいただけました。船砥さんも、「とにかく仮設住宅に笑顔で来て、私たちと話をしてほしい。話を聞いてもらえると気持ちが本当に楽になる。それでその経験を帰って多くの人に伝えてほしい。」とおっしゃっていました。これも立派なボランティアです。
最後に一枚、、
この言葉のように被災地は徐々にですが復興していっています。この被災地の復興にみなさんも協力することができます。被災地に足を運んで観光するのもボランティア、ミサンガを購入するなど被災地に行かずとも出来るボランティアなど様々なボランティアがあります。他人事だと思わず、被災地の復興の手助けをみんなでしていきましょう!
ボランティアしながらの合宿免許という制度
3月13日 今日は、被災地での活動初日でした。山里ネットさんの案内により、陸前高田のドライビングスクールに行ってきました。ドライビングスクールへの依頼は、「合宿免許とボランティアをセットにすることができないか」というお話でした。
【写真1:陸前高田ドライビングスクールの様子】
このプランのターゲットとして考えているのは、大学生ということで、会議に参加させていただいた際は、大学生の目線で見た時の意見を求められました。陸前高田ドライビングスクールでは、以前にこのプランで募集をし、実際に10人弱の方が参加されたそうです。その企画を通して社長の田村さんが感じたこととして、このプランに参加する大学生の意識レベルに差があることだそうです。
つまり、ボランティアをしたいと考えている上で免許がないからとりにいくという考えの人と免許をとりたいと考えた際、ボランティアがオプションとしてついているという考え方をしている人の2種類がいるということです。 今回お話を聞いていてとても印象に残ったのは、ボランティアに対する意識の異なる人が被災者の方々にどういう印象を与えるのかという点です。 話の中で、ボランティアを大学の授業の単位の一環としたらどうかという話がでました。ボランティアのニーズがある側としてはそれだけ多くの人にとにかく来てもらいたいのだという印象を受けました。つまり、支援を受ける側としては、どんな意識を持ってボランティアに来ても、とりあえず来てくれたら助かるという感じでした。
この時、正直に言うと残念に思いました。確かにボランティアというと支援する側という捉え方になりますが、私は支援する側とされる側という関係の上で何かの作業を行うのはあまり良いことだと考えていないからです。今はニーズに答えるという形で行なっていますが、どこまでがそのニーズと言えるのかという問題も上がってくるからです。ボランティアという捉え方が共に考えた上で必要とされた作業に共に取り組んでいくことが重要なのではないかと思いました。
【写真2:高田自動車学校の田村社長との写真】
毎年、関西大学の学生にこのプランへの募集をして、より多くの方に被災地へ来る機会をつくっていけたら良いなと思いました。やはり、ニュースで“見る“のと実際に行って”感じる“のは本当に違います。多くの方に、こういった取り組みが広まれば良いなと感じました。
風評被害の深刻さ
3月13日、郡山市のビックパレットにて農産物の直売をされている方とお会いできる機会をいただけ、販売をお手伝いさせていただきました。少しの時間でしたが、仮設住宅にお住まいの方との交流ができました!
「郡山市の仮設住宅での直売」

そこで、仮設住宅で農産物を直売されている方に震災に関するお話を伺えました。
「東日本大震災が発生しましたが、私のところは、津波の被害や地震による大きな被害はそこまで受けませんでした。だから、非難されてきた方達の力になろうと思い、最初は「支援する」という気持ちで仮設住宅での直売を始めました。
そこに、福島第一原発の水素爆発により放射線の問題が出てきたんです。私の営むお店は特に農産物の質にこだわってよりよい品質の農産物を販売しており、また、質にこだわりを持ったお客様が買いに来てくださっていました。しかし、風評被害の影響によりお客様が大きく減り、それに伴い売上が大きく下落し経営が非常に厳しくなってきました。また、直売所に農産物を提供してくださっていた農家の方々も自然災害による被災や放射線問題、風評被害などにより農業を止められたり、縮小されたりと、店頭に並ぶ商品数さえも減少したり、どうしても以前のような品質の商品を提供できないこともありました。
また、震災直後では3、4か所の仮設住宅において直売していたのですが、日が経つにつれ徐々に街が復旧し、市街の巡回バスが利用できるようになりました。なので、仮設住宅にお住まいの方も商品の安さや種類の豊富さ、また、気分転換など精神的な安らぎなどを求めてバスを利用され、買い物などお出かけされることが多くなりました。これに伴って、仮設住宅での直売に足を運ぶお客様は徐々に減っていき、仮設住宅の直売での売り上げが下降していくと次々と直売されていた他の方達は撤退していかれました。私も徐々に拠点を減らしていったのですが、唯一まあまあ売り上げがあり、常連のお客様がいてくださる郡山市のビックパレットの仮設住宅での直売は今も続けています。
しかし、放射線問題による風評被害の影響によりお店自体の経営状況は非常に厳しく、大きな損害を被っています。また、東京電力による賠償金のシステムにも不満を感じており、これからの生活は不安でいっぱいです。
私はいつからか「支援する」という気持ちから「自分も被害者だ」と思うようになり、あの原発事故に対して非常に怒りを感じます。」
…と、お話してくださいました。
今回は風評被害に悩み、苦しんでいる直売所の方の率直な気持ちを伺えました。また直売のお手伝い中に、あるお客様が「この野菜は放射線のチェックは大丈夫なのですか?」と尋ねられている方もいらっしゃいました。それに対して、「検査済みですので大丈夫ですよ」と返答されていました。
私が関西にいるころは少なからず放射線に対して不安や心配はしていたので、消費者からの立場から、放射能を心配するお客様の気持ちはすごくわかります。しかし、福島県に来て、農業に携わるたくさんの方々の風評被害に関するお気持ちやお話を聞いて、両方の立場から放射線問題を考えた時、とても複雑な気持ちになりました。
風評被害とは消費者に不安を抱かせると同時に生産者の将来の生活をも左右させ、大変深刻な被害を生むものなのだと感じました。














