大槌町の現状
これが初めての投稿です。
今回は大槌町に着目して書いていこうと思います。
大槌町、、、みなさんはどのようなイメージをお持ちでしょうか?
ひょっこりひょうたん島で有名な蓬莱島を思いつく人も多いのではないでしょうか。
その蓬莱島も震災前は歩いて行けるように道があったのですが、津波によって道が流されてしまい、今は孤島になってしまっています。
街の復興のためには観光を強化していく必要があるはずです。この蓬莱島の再生こそ大槌町の復興の手助けになるのではないかと感じました。
その他にも観光の面だけでなく、この震災の記憶を伝えていくためにも何もかも取り壊していくのではなく、残すべきものは残していく必要があるのではないでしょうか。
すでに安全面の不安や復興に支障が出るという意見が出て今は無くなってしまいましたが、民宿の上に漂流した遊覧船「はまゆり」のインパクトが私的には非常に大きかったので東日本大震災の被害の象徴として個人的に保存して欲しかったです。
大槌町は、大きな地震が発生し、それによって津波が押し寄せただけではなく、地震の後、大火災が起きて街中の建物や木などが焼き焦げてしまったそうです。そのせいか残っている多くの建物も黒く焦げ、さらに塩水に一度さらされていることから結局取り壊さなければならないという悲惨な状況でした。
この大槌町に初めて入ったのは3月7日、この日が初めてのボランティア活動日でした。
私たちが担当していた大槌町の赤浜にはほとんど建物がなく、住宅の敷居と多くのガレキが散乱している状況でした。
地元の方のお話によると、津波が7回も来て、建物や人など根こそぎ流していき、802名の方が亡くなられたそうです。
~ボランティア活動~
私たちが担当したのは住宅跡の清掃活動です。住宅跡には敷居だけが残っており、その中には多くの生活用品の破片やガラス片などが散らばり、そのガレキ処理を行いました。野球ボールなどの思い入れのある品々も出てきて、気持ちの面では少し苦しかったですが、心を込めて清掃させていただきました。
大槌のガレキ撤去は進んでいるそうですが、多くのガレキが山積みになっており、街が復興していっているというよりかはまだ片づけの途中段階であると感じました。
なかなか難しい問題かもしれませんが、ガレキ引き受けの場所を被災地だけの問題だと考えるのではなく、全国民の問題だと受け止め、一刻も早く決めていくことが復興の一番の近道ではないかと感じました。
その他にも大槌町の赤浜で”チロリン村ぽんた”という店を始めた方に震災直後4日間の体験談を話していただきました。
被災直後の生活は私からは考えられないようなものばかりで、避難時の緊迫感や恐怖感、その後の生活の苦しさを知ることができました。
前回はボランティアの休憩時間を利用してのお話だったのであまり詳しいことをお聴きすることが出来なかったので、
帰るまでにもう一度、大槌町の”チロリン村ぽんた”に行って、なぜまた沿岸部に開店したのか、などの経緯や詳しいお話を聴いてみたいと思います。
その内容はまた次回の更新で書きたいと思うので、またよろしければ読んでください。
思いとアイディアを新たなお店に
遠野市の上郷町にある産直かみごうと言うビニールハウスで出来たお店を訪れました!
このお店では地元遠野で採れた野菜や果物などを販売しています。
またネットや電話からその日採れたての物を即日発送を行うという鮮度を重視した販売も行っています。
中に入るとたくさんの野菜や果物が売られていました。
野菜や果物だけでなく、花や漬物、ジャムなども売られていました。
その中にそば焼き餅と言う岩手に昔から伝わる伝統的なお菓子がありました。
そば焼き餅はそば粉を使った餅にくるみ、味噌、黒砂糖を混ぜたものを挟んで作ったお菓子です。
甘くてくるみや味噌の味が効いていてとても美味しかったです!
このお店の店長である菊池玲子さんと新田英雄さんにお話を聞きました。
この店は被災した直後、少しでも多くの人に食べ物が届くようにとすぐ営業を再開するように努め、近隣で最も早く復興したお店となったそうです。
そして営業再開から今までたくさんの人に新鮮な野菜や果物を提供する場となりました。
このお店は3/25をもってこの場所での営業を終了し、4/29から500mほど離れた場所で夢産直かみごうとしてリニューアルオープンします。
現在建設途中の夢産直かみごうの様子です。
ここでは以前のように遠野産の野菜や果物を売るだけでなく、地元の奥さま方の集まりである「あくてぃぶまみー」が採れたての野菜などを使って作るレストランと地元で採れた牛乳や果物、野菜を使ったジェラートの店が併設される予定です。
ジェラートの味には遠野で作られているくるみやカボチャ、ブルーベリーを使おうかという案がありました。
ぜひ一度行ってみたいと思いました!
またこのお店は子供たちと作りあげるお店と言うコンセプトをもとに作られようとしています。
元々産直かみごうで働いていた「あくてぃぶまみー」のお母さん方から「子供のいるところで働く」と言った言葉からヒントを得て、子供たちも一緒に働いたりお手伝いをするような環境づくりを考え始めました。
夢産直かみごうにレストランを併設してそこにお母さん方が働けるようにしたり、田んぼや畑を隣接し、そこで地元の小学生や中学生と一緒に野菜作り・販売を行ったり、自分達で搾った牛乳をアイスクリームに出来るスペースを設置すること、日や時間帯によって子供達に店番をしてもらう制度を作るなど、ユニークな案を盛り込もうと考えているそうです。
近年親が働く機会を生で見ることが少なくなっている子供達に親の働いている姿を見てほしい、野菜作りや店番と言った経験を通して子供達に更に成長してほしいと言った思いがこの店のコンセプトの1つになっているそうです。
いろんなことを考えて店づくりが進められていることに驚き、とても関心を抱きました。
この話を聞かせていただいたことでさらに完成したこのお店を見てみたいと思いました。
震災を乗り越え、たくさんの願いやアイディアをよって作られようとしている夢産直かみごう。
どんな姿に生まれ変わるかとても楽しみです!!
がれき処理と仮設住宅の問題
岩手県中核観光コーディネーターの会長、草野さんの案内で、宮古の街を巡りました。駅前はとても人が多く、賑わっているなあと感じたのですが、いざ港の周辺へ行くと状況は一変。人はほとんど歩いておらず、津波で流されて、土台だけが残った家ばかりが残っていました。市街地が被害を受けておらず、港の周りが被害を受けているのは久慈市と同様ですが、久慈市はここまでの被害を受けていません。
聞くところによると、このように土台だけ残った家というのはとても厄介だそうです。なぜならば、家を再建するためには、この土台をすべて取り除くという工程を挟むからです。かさ上げをする時も同様です。これは民家だけでなく工場にも言えることで、手間とコストがかかり、街の復興・復活への、大きな妨げになります。では、再建するために、土台を取り除くとしましょう。そうなるとその土台はどうなるでしょうか。もちろん、がれきとして処分されます。つまり、今日問題となっている、がれきの広域処理の問題にも繋がるのです。
岩手県は平成24年3月末までにがれきの全撤去、平成26年3月末までに、全部の処理を目指しています。宮古市も例外ではなく、東京都による広域処理に対する協力を得ているといっても、まだまだ処理するがれきは残されています。しかし、これら住宅の土台を撤去しようとすると、またがれきの量は増えるのです。すなわち、現地の復興は、また遅れることとなるでしょう。
だから、がれきを東北の各県だけではなく、日本の至る所で処分しなければならないといけない、と声を大にして言いたいです。これこそ助け合い、昨年の流行語大賞トップテンに入った、「絆」ということではないのかな、と自分は思います。宮古だけにとどまらず、この震災で生じたがれきの処理を受け入れてくれる自治体は、少ないのが現実です。状況はすぐに好転せず、きっとまだ、この件の解決には時間を要するでしょう。それでも、早くがれきの処理がなされることを、切に願います。
さて、これは仮設住宅の写真です。
仮設住宅ハウジングメーカーが作った仮設住宅は、壁が緑色に塗られている。
この仮設住宅は景勝地・浄土ヶ浜から車で数分のところに位置しています。おそらく、岩手県は山間部が多く、なおかつ海沿いを避けようとした結果、観光地のそばでも、仮設住宅を建てるとこととなったのでしょう。仮設住宅を建てる土地がないことがうかがえます。
仮設住宅にもさまざまな問題があります。集合住宅みたいに密集しているところがあれば、10戸ほどでポツンと設置されている仮設住宅もあります。バス停の近くにあるところがあれば、バスが通っていない場所に設置された仮設住宅もあります。高校に通うため、駅まで他の人の車に乗せてもらう・・・という学生もいるそうで、とても不便を強いられている状況です。
つまり、仮設住宅ひとつとっても、格差があるということなのです。もとの場所に家を建てることができるなら、問題はありません。しかし今回は海沿いの、元あった場所に家を建てることができるか。それが焦点となっていて、すぐに建てることはできないでしょう。
阪神淡路大震災の時は、仮設住宅から住民が退出するのに、5年近くの時を要しました。おそらく、今回の震災では、もっと時間がかかるのではないか。自分はそう考えています。ともかく、今は地域の住民の方との話し合いの時期。慎重に議論を、進めてほしいものです。
久慈班の活動概要と、久慈市における観光
私は17日に帰阪するため、活動も残りわずかとなった今、このことを書くのは遅すぎるとも思うのですが、そもそも私(私たち)が久慈にどういった目的をもってどのような活動を毎日送っているのかの概要を報告しようと思います。
私たちふるさと調査隊久慈班は久慈広域観光協議会さんにお世話になり久慈周辺で活動をしています。
東日本大震災を受けての久慈市の被害状況は最も大きな割合を占めるのが半壊で約4割を占めます。次いで一部損壊が3割弱を占めます。被害状況は地区によって異なりますが、隣に位置する野田村や有名なのに比べれば被害は軽く2012年3月現在、沿岸部以外での視覚的に悲惨な被害はあまり見受けられないように感じます。
上記のような被害状況に加えて、政府の方針が出る前にいち早く行動を起こした久慈市は県内で最も早く瓦礫の撤去が済んだそうで、遠野組のようなボランティア活動を通しての被災地学習、交流はほとんどできません。
そのため私は、久慈市において「外から引っ越して来た市民」のような形で市民の人々がよく利用するスーパーへ行ったり、外部から来た人が訪れる観光地を巡ったりする中である意味自然な形で観光に携わる方や一般の市民の方との交流を図っています。
そういった中で外部の人間だからこそ新鮮に感じるものを記録に残して報告させて頂くことにしました。
そういうわけで観光に関する資源について調査しているのですが、そもそも久慈市における観光とはどういった存在なのかを考えずに今に至っており、改めて考えてみました。
今回の東日本大震災を受けて作られた久慈市の復興計画の基盤は「新たな視点による、新たなまちづくり」であり、その計画を先導する5つのプロジェクトが打ち立てられました。それは下記のようになっています。
1.「生活を再建する」
2.「水産業を復興する」
3.「交流人口を拡大する」
4.「災害に強いまちづくりを進める」
5.「再生可能エネルギー等に取り組む」
プロジェクト3の「交流人口を拡大する」は外部から来た人と現地の人が交流をもつ事であり、具体的には「生産者と消費者との交流を進めることによって、本市の持つ海・山・里の良さを他の地域に積極的に発信し、本市がその交流拠点のモデル地域としての役割を担える町を目指します。」とのことで、観光業も含まれます。
なかでも「生産者と消費者の交流推進」項目では下のような事業が組まれており、私が注目したいのは農山漁村体験型交流事業についてです。
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事業名 |
事業主体 |
事業概要 |
事業 期間 |
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特産品PR事業 |
市・体験学習協会 |
都市部等の中高生教育 旅行等の受入れ |
全期間 |
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移住・定住促進事業 |
市 |
市の情報発信・PRを行い、生活体験や交流機会を 提供することにより 移住・定住を促進 |
全期間 |
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農山漁村体験型 交流事業 |
市・体験学習協会 |
海の資源等を活用した 新しいプログラムの整備 |
全期間 |
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紹介宣伝事業 |
市・体験学習協会・観光物産協会 |
首都圏における特産品の 販売やイベントの開催、 自然体験キャンプ等のPR |
全期間 |
(平成23年7月久慈市復興計画より)
私はかねてから「よい観光地であってもそれぞれが離れていて、車がなければ行けないというのは気持ちがくじかれるだろう」という思いがありそのことを、市役所の商工観光課の方にお話伺いました。
するとやはり観光課の方もそれは感じているらしく考案する観光は一日で回るのではなく時間をかけて回る、つまり時間に余裕のある団塊の世代に向けたツアーになるそうです。
しかし先ほどの復興計画に挙げられていた「特産品事業PR」や「農山漁村体験型交流事業」は事業概要にもある通り、中高生の学びの場としての活用も新たに考えてらっしゃいます。
上記のものはやはりバスを使ってのツアー旅行となっていますが、商工観光課の方いわく、2012年4月から土日限定で周回バスを走らせるそうです。
バス代はおおむね500~1000円だそうで、まだ詳しいことはわかりませんが、これがあれば個人で来た観光客の金銭的負担、精神的負担ともに軽くなるのではと思います。
ポストカード
私たちがお世話になっている久慈観光協議会でキャラクターデザインなどを手掛けてらっしゃる佐藤さんが、私たちの似顔絵と北いわてをコラボレーションさせたポストカードを描いてくださいました!!
白井くんは秋田県のなまはげと同じように「きかねぇワラスは連れて帰るぞ」と家々に怒鳴りながらやってくる「なもみ」、森脇さんは種市沿岸名産のホヤ、丸井くんは三陸を走るローカル線三陸鉄道、私長田は日本最大の琥珀産出地である久慈は琥珀王国であるということでそれぞれストーリー性をもたせて描いてくれました!
裏面にはそれぞれのプロフィールも書いてくださっています!
ポストカード表
ポストカード裏
似ているのに実物よりかわいくデフォルメしてあるのがすごいですよね(^―^)!!
こちらは佐藤さんが手がけたステッカーです。
この他にも数多くのイラストグッズのデザインを手掛けていらっしゃり、久慈観光協議会では「道の駅シールラリー」という決められた道の駅を回ってすべてのシールを集めると似顔絵を描いてもらえるイベントを3/25まで行っているのですがその似顔絵も佐藤さんが描いていらっしゃいます。
こういう風にイラストやデザインのセンスというのは磨こうとして磨けるものではないし、画家やイラストレーターといった職業以外でも芸は身を助けるとはこういうことを言うのだなあと感じます。
佐藤さんありがとうございます!!




















