野田村での、或るお店の人との会話
この日は野田村の人に話を聞いてみることにして、村の中を歩き、気になったお店に入ってその人にお話を聞くことにしました。
いくつかのお店でお話を聞きましたが、その中でも僕が一番気になったお店は、野田村にある数少ない衣料品店の「中伊」さんです。
このお店は、震災が発生して、3階建てビルの1階、店舗部分に木材や泥が流れ込み、建物が流されることはなかったものの、とうてい営業はできない状態になってしまったそうです。
お店の正面。震災当日は1階部分がまるまる、ゴミで埋まってしまった。
服はもちろん売れない状態となってしまい、ラックも海水が原因で錆びついて使えなくなりました。3月11日は入学シーズン直前で、それらの商品が大きい被害を受けてしまい、かなりの苦労があったそうです。
震災当初から、近所に住む人から「早く店を開けてほしい。」と要望がありましたが、お店は何から手を付けたらよいのか分からない状態で、元の状態に戻すのには時間がかかったそうです。それでもボランティアの支援もあり、ゆっくりですがゴミを片づけ、ラックを買い揃え、床や柱の壁紙やガラスを新しいものに取り換えたのち、7月に再オープンの運びとなりました。
このお店の特徴は、フロアの中央に、大きなテーブルと、椅子が置かれていることです。
お店のちょうど真ん中ぐらいのところに置かれているテーブルと椅子。
これらは震災前にはなかったもので、もちろん設置されたのには目的があります。
それは、このお店を単なる買い物の場ではなく、「憩いの場」にしたいから、という思いからです。買い物というより、地域の人とお茶を飲みながら、おしゃべりをする場所。時間つぶしなど、気軽に入ってきて欲しい場所としたかったのです。
このことを話されたとき、お店の方は、とても嬉しそうでした。実際、自分たちがこのお店に来た時も既にひとりの方と談笑をしており、野田村の「憩いの場」として、活用されているようでした。
しかしこのお店の方はこうも言っておられました。「道の前の街灯がなく、夕方や夜は暗くて寂しい。これじゃぁ夜、店に来る人はいない。」と。
たしかに、お店の前の道の街灯は数が少なく、ほかに営業している店や民家も少ないので、暗そうだな、という印象を持ちました。これでは人足が遠のくのも分かる気がします。
店の前の道路。人はあまり歩いていません。夜はもっと減るのでしょう。
今まで街灯に注目したことはありませんでしたが、改めて新しく整備する道路に街灯の必要性を感じました。
そのためにも、復興計画の策定を急ぐべきだと考えます。野田村に限ったことではないですが、復興計画が決まっていない市町村は少なからずあります。区画整理や高台移転など決めなくてはならない課題は山積していますが、野田村が震災前の活気を取り戻すためにも一刻も早い策定が必要だな、と考えました。
街の電気屋さんの在り方
街を探索しながらお店を巡ろうということで野田村へ行きました。
ぶらぶら歩いていると「電化製品 肉」という表示のある北末電化製品店を見つけました。肉と電化製品を一緒に売っているなんて珍しいということでお邪魔してみると電化製品はあまりなく、肉も豚肉が中心でそれほど多種を揃えている様子ではありませんでした。
話を伺うと、肉と電化製品を一緒に売っている状況は先代からのことなのでわからないそうですが、一つの業種ではなかなか稼げないためいろんな方向に手を伸ばしているうちに最終的に残ったのが肉と電化製品だったのだろうとのことでした。
野田村と久慈市は隣接しているのですが、久慈には「ヤマダ電機」や「K’s電機」といった量販店が並んでいます。そういったチェーン店と比較してどのような経営をしてどのような役割を担っているのだろうかと疑問に思った私は、野田村に他に電化製品を売る店があるかを北末さんに尋ねました。
すると、中野電機さんがあると教えて下さりそちらへもお邪魔しました。
そちらは北末電機さんとは異なり電化製品を専門とした店なのですが、店構えも小ぶりで同じく店内に電化製品はほとんどありません。
店に商品がない状態でいったいどうやって生業を行っているのかと思っていたのですが、電化製品というものは一般に幅をとり、またどんどん新しい種類が増えて型も変わってゆくためお客さんから注文されてから発注するそうです。
これなら売れなくていつまでも店に置いておかなくてはならないということにもなりませんし、カタログだけ置いておけばいいので店のスペースもとりません。商品は注文すれば翌日には届くそうです。
現物を見て判断できないためネット通販に近い仕組みになりますが、客層が店の近くに住む年配の方がほとんどであるため疑問に思ったこと等を言えばその人に合った柔軟な対応をしている様子でそういったことが支持されているのでしょう。
お話を伺っている間にも仮設住宅から「テレビをぶつけてしまって動かないんだけど。」と電話がかかってきたのですが、仮設住宅のテレビは行政が無料で配置したものなので「俺に頼んでもいいけど役所に頼んだらタダで直してくれるんじゃないか。」と儲け度外視のアドバイスをするなど、人と人とのつながりが大切にされているのだと感じました。
このような街にある小さなお店が大型量販店と同じ土俵に立てば品揃え、価格どちらにおいても対抗することは並大抵のことではありません。
そうなれば、無理に同じ土俵で勝負をするのではなく大型店にはできない違う角度から顧客を集める方が効率のよいやり方と言えるでしょう。
思えば私の地元にも小さな電気店があったのですが、気づけば空き店舗になっていましたし、地域住民とお店とのつながりが都市部よりも強い地方の方がこういった商店は営業しやすいのかもしれません。
三陸鉄道と沿線地域の在り方
先日の「久慈における公共交通機関」にも少し書きましたが三陸鉄道は最大のクライアントである学生が少子化によって減少していることもありここ17年間は赤字が続いている状態です。
しかしながら、そもそも三陸鉄道誕生の起源は明治29年の三陸地震津波の復興の際地域住民からの復興案として「三陸を縦貫する鉄道整備が必要」との声が出たことにあります。
地形が複雑で沿線にこれといった大都市も抱えない三陸地域の鉄道整備は大幅に遅れ、昭和47年にようやく国鉄宮古線(宮古~田老間)が開通したものの全線の開通を待たないまま昭和56年には廃線してしまいました。
国でできないのなら地域の力でと、その後も様々な紆余曲折を経つつも「三陸鉄道」としてようやく完成したのが昭和59年なのです。
このように地域と共に歩んできた鉄道である三陸鉄道は現在も三陸の生活維持基盤鉄道であるため廃線することはできず第三セクターとして運営されています。また、それに加えて今回の震災を受けての復旧には100億円以上を要すそうですがそれも昨年11月に成立した第三次補正予算で国が負担することが決定しました。
そういった国からの援助に甘えて何もせずにいるのは申し訳がないということで、三陸鉄道では草野悟さんの提案のもと一人ひとりが「どのような会社にしたいか。」ということを考えてレポートにして提出する制度を設けたり、鉄道を利用する人におすすめの、沿線にある施設や食事をする場所を探して話題発信を行っています。(駅-1グルメ)
上に挙げたような企画を考案された草野さんは当然社員の方だとお思いでしょう。
しかし草野悟さんはあくまで「三陸鉄道を勝手に応援する会」会長、つまり三陸鉄道の社員など直接の関係者ではない方なのです。
ですが草野さんは上に記した活動以外にも「被災地フロントライン研修」という外部からやってきた方の被災地視察を円滑に行うための企画し、ガイドを三陸鉄道の社員が行うプランも考案されるなど様々な面で三陸鉄道、いえ三陸沿岸のアドバイザーとして活躍なさっています。
恥ずかしながら私はお会いして詳しくお話を聞くまで「三陸鉄道を勝手に応援する会」と名前のイメージで鉄道マニアのファンクラブのようなものなのかな、と思っていましたがそれは大きな誤解でした。
このように「勝手に応援する会」などと名乗っていますが実際に三陸鉄道の経営方針等も決める重要な人物でいらっしゃるのです。
なぜ体系的な組織にしないのかと思っていたのですが「こうして勝手に応援しているという形の方が影でサポートして手柄は三鉄のものとして扱えるし、俺以外にも約170人の会員で自分たちのお金を出し合うことが大事なんだ。」とおっしゃいました。
「駅-1グルメ」の協力者欄も地元の団体ばかりです。
駅-1グルメ協力者欄
この企画も含め、わりと単独スポンサーになりたがる大手企業は多いそうです。ですがなぜそれを受けないかというと地元色が薄れるからです。
一つの企業にスポンサーについてもらえば楽に資金繰りもできるでしょうに、そうはせずやはり「三陸全体に活気を与えること」を目標に広い視野で見てらっしゃるのだなあと感動しました。
草野さんがどういった方かということについては長くなりそうですし、関連して書きたいこともあるので別記事で書きます
ぐるてく
3月4日に「ぐるてく」という久慈観光協議会の方が企画されているプロジェクトに参加させてもらいました。「ぐるてく」とは、街中交流観光誘客実践事業です。目的は、街中にお客さんを呼び、まちを歩こうという目的で始まったそうです。参加者は、全国各地のどこの方が来られても良いそうです。ネットやチラシを通して募集をかけているそうです。チラシは、盛岡、八戸、久慈広域で配られているということもあり、地元の方々の参加が多いそうです。地元の方でも「ぐるてく」を通して初めて歩いて、そこの魅力に気づくこともあるそうです。
「ぐるてく」は今年度の8月から開始された企画で、今回が7回目でした。まちを歩くのは変わらないのですが、毎回テーマがありそれに沿ってまちを歩いています。例えば3回目は山登り、6回目では親子で楽しむことを目的とし、親子で久慈市内を歩きながらチェックポイントにいき、言葉を見つけていき最終的には一つの言葉にするといったゲーム感覚でできる企画です。このようにいろいろな企画を交えて、「ぐるてく」は行われています。
今回は6.2kmを歩き、みんなで自分の歩数を予想するゲームを交えながらやりました。年齢制限がなかったので、小さい子供も参加していました。
そんな中、参加者の方に東日本大震災のお話を聞かせていただきました。久慈駅からだいぶ離れたところにマクドナルドがありましたが、震災後は営業停止となりなくなってしまいました。このマクドナルドが市の唯一のマクドナルドだったのですが、被災してしまい機械が使えなくなり、完全に撤退してしまったそうです。周辺にはスーパーなどもあるのですがそこは大丈夫で、普通に営業していました。やはり波がくる少しの角度の違いが、こういった差を生んでいると改めて感じました。
「ぐるてく」に参加したことで、また地域の方と交流でき、震災の話やたわいもない話ができてすごく楽しくて、あっという間に時間が過ぎていきました。今年度は今回が最後だそうです。来年度はまだ続けるか未定だそうです。できれば私は来年度も続いていたらと思います。来年度もやることで、一人でも多くの方に参加してもらい、もっと地元の方自身に久慈の魅力を気づいてほしいからです。
久慈の魅力の一つとして、琥珀博物館があります。琥珀博物館は駅からすごく遠いですが、施設はすごく充実しています。琥珀の採掘体験ができたり、実際に琥珀を掘った穴を見学できます。
ほかにも久慈には美味しい食べ物や温泉などがあります。駅前の大判小判というアンテナショップに売っている野田塩アイスは、濃厚でかつ塩の味がほのかにして、またミルクの味を引き立てています。このように久慈に眠っている素晴らしい観光資源をもっと見つけたいです。
ぐるてく終了後に4人で撮影
久慈における公共交通機関
久慈広域観光協議会主催のウォーキングイベント「ぐるてく」に参加させて頂きました。お年寄りとそのお孫さんが主に参加されていましたが、約6.2kmの距離を歩くなかで色々な話をしました。そんな中で出てきたのが、昨日開通記念映像の撮影にも参加させて頂いた三陸鉄道の話です。
三陸鉄道は震災の影響で北リアス線は久慈駅―陸中野田駅間、小本駅―宮古駅間が運行していて、他の区間は運休している状況でしたが、この4月から久慈駅から田野畑駅まで延伸します。三陸鉄道は震災前からずっと赤字が続いており行政からの援助を受けています。
久慈に限ったことではありませんが地方では車移動が基本でありほとんどの人が自動車免許を所持しています。そのことから学生やお年寄りといった交通弱者を除けばほとんど電車に乗ることはないそうです。
そのような状況を受け、三陸鉄道と三陸鉄道を支援する団体では、沿線地域住民の三陸鉄道に対するマイレール意識の高揚とその利用促進を図るため、マイレール三鉄・沿線地域30万人運動として、「年に1度は三陸鉄道に乗りましょう」という活動を行っています。
車移動が基本な状況は三陸鉄道のみならず公共交通機関全般の本数を減らします。バスも現在久慈で洋野町方面に運行しているのは市バスのみです。地元の人はみんな車を所持し運転して移動しますが、よそから来た私たちや観光客はおおむね公共交通機関を利用しようとします。
しかしそれが使えないとなるとタクシーを使わざるを得なくなり予算がかさみます。そうなると観光で行こうかなという気持ちがくじかれる人もいるでしょう。
よそから来る人が少ないため公共交通機関が廃れるのか、公共交通機関が少ないためよそから来る人が少なくなるのか、どちらが先と言うことはできませんが人を呼ぶには目玉となるモノだけではどうにもならない部分があるのだと実感させられました。
三陸鉄道に関しては個人的に興味があることもあり、
より詳しく情報収集をして改めて別記事を書きたいと思います。




