久慈班
3月
14

がれき処理と仮設住宅の問題

岩手県中核観光コーディネーターの会長、草野さんの案内で、宮古の街を巡りました。駅前はとても人が多く、賑わっているなあと感じたのですが、いざ港の周辺へ行くと状況は一変。人はほとんど歩いておらず、津波で流されて、土台だけが残った家ばかりが残っていました。市街地が被害を受けておらず、港の周りが被害を受けているのは久慈市と同様ですが、久慈市はここまでの被害を受けていません。

 津波の被害を受けた宮古市の様子(橋の上から俯瞰して撮影)

 聞くところによると、このように土台だけ残った家というのはとても厄介だそうです。なぜならば、家を再建するためには、この土台をすべて取り除くという工程を挟むからです。かさ上げをする時も同様です。これは民家だけでなく工場にも言えることで、手間とコストがかかり、街の復興・復活への、大きな妨げになります。では、再建するために、土台を取り除くとしましょう。そうなるとその土台はどうなるでしょうか。もちろん、がれきとして処分されます。つまり、今日問題となっている、がれきの広域処理の問題にも繋がるのです。

 岩手県は平成24年3月末までにがれきの全撤去、平成26年3月末までに、全部の処理を目指しています。宮古市も例外ではなく、東京都による広域処理に対する協力を得ているといっても、まだまだ処理するがれきは残されています。しかし、これら住宅の土台を撤去しようとすると、またがれきの量は増えるのです。すなわち、現地の復興は、また遅れることとなるでしょう。

 そのままになっている土台。このすぐ裏は、海となっています。

 だから、がれきを東北の各県だけではなく、日本の至る所で処分しなければならないといけない、と声を大にして言いたいです。これこそ助け合い、昨年の流行語大賞トップテンに入った、「絆」ということではないのかな、と自分は思います。宮古だけにとどまらず、この震災で生じたがれきの処理を受け入れてくれる自治体は、少ないのが現実です。状況はすぐに好転せず、きっとまだ、この件の解決には時間を要するでしょう。それでも、早くがれきの処理がなされることを、切に願います。

 

さて、これは仮設住宅の写真です。

仮設住宅ハウジングメーカーが作った仮設住宅は、壁が緑色に塗られている。

この仮設住宅は景勝地・浄土ヶ浜から車で数分のところに位置しています。おそらく、岩手県は山間部が多く、なおかつ海沿いを避けようとした結果、観光地のそばでも、仮設住宅を建てるとこととなったのでしょう。仮設住宅を建てる土地がないことがうかがえます。

仮設住宅にもさまざまな問題があります。集合住宅みたいに密集しているところがあれば、10戸ほどでポツンと設置されている仮設住宅もあります。バス停の近くにあるところがあれば、バスが通っていない場所に設置された仮設住宅もあります。高校に通うため、駅まで他の人の車に乗せてもらう・・・という学生もいるそうで、とても不便を強いられている状況です。

つまり、仮設住宅ひとつとっても、格差があるということなのです。もとの場所に家を建てることができるなら、問題はありません。しかし今回は海沿いの、元あった場所に家を建てることができるか。それが焦点となっていて、すぐに建てることはできないでしょう。

 阪神淡路大震災の時は、仮設住宅から住民が退出するのに、5年近くの時を要しました。おそらく、今回の震災では、もっと時間がかかるのではないか。自分はそう考えています。ともかく、今は地域の住民の方との話し合いの時期。慎重に議論を、進めてほしいものです。

 三陸屈指の景勝地・浄土ヶ浜。

3月
14

久慈班の活動概要と、久慈市における観光

私は17日に帰阪するため、活動も残りわずかとなった今、このことを書くのは遅すぎるとも思うのですが、そもそも私(私たち)が久慈にどういった目的をもってどのような活動を毎日送っているのかの概要を報告しようと思います。

私たちふるさと調査隊久慈班は久慈広域観光協議会さんにお世話になり久慈周辺で活動をしています。

東日本大震災を受けての久慈市の被害状況は最も大きな割合を占めるのが半壊で約4割を占めます。次いで一部損壊が3割弱を占めます。被害状況は地区によって異なりますが、隣に位置する野田村や有名なのに比べれば被害は軽く2012年3月現在、沿岸部以外での視覚的に悲惨な被害はあまり見受けられないように感じます。

上記のような被害状況に加えて、政府の方針が出る前にいち早く行動を起こした久慈市は県内で最も早く瓦礫の撤去が済んだそうで、遠野組のようなボランティア活動を通しての被災地学習、交流はほとんどできません。

そのため私は、久慈市において「外から引っ越して来た市民」のような形で市民の人々がよく利用するスーパーへ行ったり、外部から来た人が訪れる観光地を巡ったりする中である意味自然な形で観光に携わる方や一般の市民の方との交流を図っています。

そういった中で外部の人間だからこそ新鮮に感じるものを記録に残して報告させて頂くことにしました。

 

そういうわけで観光に関する資源について調査しているのですが、そもそも久慈市における観光とはどういった存在なのかを考えずに今に至っており、改めて考えてみました。

今回の東日本大震災を受けて作られた久慈市の復興計画の基盤は「新たな視点による、新たなまちづくり」であり、その計画を先導する5つのプロジェクトが打ち立てられました。それは下記のようになっています。

 1.「生活を再建する」

2.「水産業を復興する」

3.「交流人口を拡大する」

4.「災害に強いまちづくりを進める」

5.「再生可能エネルギー等に取り組む」

 プロジェクト3の「交流人口を拡大する」は外部から来た人と現地の人が交流をもつ事であり、具体的には「生産者と消費者との交流を進めることによって、本市の持つ海・山・里の良さを他の地域に積極的に発信し、本市がその交流拠点のモデル地域としての役割を担える町を目指します。」とのことで、観光業も含まれます。

なかでも「生産者と消費者の交流推進」項目では下のような事業が組まれており、私が注目したいのは農山漁村体験型交流事業についてです。

事業名

事業主体

事業概要

事業

期間

特産品PR事業

市・体験学習協会

都市部等の中高生教育

旅行等の受入れ

全期間

移住・定住促進事業

市の情報発信・PRを行い、生活体験や交流機会を

提供することにより

移住・定住を促進

全期間

農山漁村体験型

交流事業

市・体験学習協会

海の資源等を活用した

新しいプログラムの整備

全期間

紹介宣伝事業

市・体験学習協会・観光物産協会

首都圏における特産品の

販売やイベントの開催、

自然体験キャンプ等のPR

 

全期間

(平成23年7月久慈市復興計画より)

 

私はかねてから「よい観光地であってもそれぞれが離れていて、車がなければ行けないというのは気持ちがくじかれるだろう」という思いがありそのことを、市役所の商工観光課の方にお話伺いました。

するとやはり観光課の方もそれは感じているらしく考案する観光は一日で回るのではなく時間をかけて回る、つまり時間に余裕のある団塊の世代に向けたツアーになるそうです。

しかし先ほどの復興計画に挙げられていた「特産品事業PR」や「農山漁村体験型交流事業」は事業概要にもある通り、中高生の学びの場としての活用も新たに考えてらっしゃいます。

上記のものはやはりバスを使ってのツアー旅行となっていますが、商工観光課の方いわく、2012年4月から土日限定で周回バスを走らせるそうです。

バス代はおおむね500~1000円だそうで、まだ詳しいことはわかりませんが、これがあれば個人で来た観光客の金銭的負担、精神的負担ともに軽くなるのではと思います。

 ドライブスルーの薬局。車社会を感じます。車社会

コンビニでウォッシャー液が売っています。ウォッシャー液

シルバーゾーン。お年寄りが多く住む地区に立てられることが多いそうです。シルバーゾーン

3月
14

ポストカード

私たちがお世話になっている久慈観光協議会でキャラクターデザインなどを手掛けてらっしゃる佐藤さんが、私たちの似顔絵と北いわてをコラボレーションさせたポストカードを描いてくださいました!!

白井くんは秋田県のなまはげと同じように「きかねぇワラスは連れて帰るぞ」と家々に怒鳴りながらやってくる「なもみ」、森脇さんは種市沿岸名産のホヤ、丸井くんは三陸を走るローカル線三陸鉄道、私長田は日本最大の琥珀産出地である久慈は琥珀王国であるということでそれぞれストーリー性をもたせて描いてくれました!

裏面にはそれぞれのプロフィールも書いてくださっています!

ポストカード表

ポストカード表

ポストカード裏

ポストカード裏

似ているのに実物よりかわいくデフォルメしてあるのがすごいですよね(^―^)!!

 

佐藤さんが手がけたポストカードポストカード

こちらは佐藤さんが手がけたステッカーです。

この他にも数多くのイラストグッズのデザインを手掛けていらっしゃり、久慈観光協議会では「道の駅シールラリー」という決められた道の駅を回ってすべてのシールを集めると似顔絵を描いてもらえるイベントを3/25まで行っているのですがその似顔絵も佐藤さんが描いていらっしゃいます。

こういう風にイラストやデザインのセンスというのは磨こうとして磨けるものではないし、画家やイラストレーターといった職業以外でも芸は身を助けるとはこういうことを言うのだなあと感じます。

佐藤さんありがとうございます!!

 

3月
14

道の駅・おりつめと、道の駅のあり方について

久慈からバスで45分ほど。岩手県の九戸という町に、道の駅「おりつめ」という施設があります。今日はそのことについて書きたいと思います。

 

ここは久慈から新幹線の駅・二戸へ行く途中にあり、近くには高速道路の九戸インターもあります。だからアクセスは抜群で、道の駅の売り上げも岩手県内でトップクラス。夏のピーク時には月に2万人ほどの来館客数があるそうです。自分が訪ねた時も、常に誰か、人がいる状態でした。

 

【写真1:道の駅・おりつめの外観。周辺に民家は少なく、山深いところにある。】

 

この道の駅で一番充実している商品は、なんといっても産直の商品です。全て九戸産の、野菜や雑穀、木炭と、様々な地域の特産品が売っています。中でも一番売れているのは野菜、特に今の時季はキャベツで、地域の人が次々と買っていきました。その日に収穫したものが商品として売られるので、どれも新鮮なものばかりです。

 

他にも、パンやお惣菜、そしてリピーターが多く青森から買いに来ている人もいるというシフォンケーキやおまんじゅう。加えて特産品の「甘茶」に、「南部箪笥」という、江戸時代に興った、地域の高級な家具ブランドの商品も売っています。少し値は張りますが、良い品を長く使えるので、人気があると担当の方はおっしゃっていました。

 

【写真2:中の様子。左側に売られているのが野菜。】

【写真3:南部箪笥が売られているコーナー。】

 

さて、この道の駅で、ひとつ気になったところがあります。

前述したとおり、アクセスが非常に良い道の駅です。だから、訪問する前は、他県の人向けへのお土産物が多い道の駅なのだろうなぁ、と思っていました。しかし実際に行ってみると、全然そんなことはなく、むしろ地域密着型。お土産はあまり売っていませんでした。

聞くところによると、観光バスは、あまり来ないそうです。これは震災により東北への観光客が減ったことが一番の要因で、震災前の1/10になってしまいました。なおかつ、バスを停めてもトイレ休憩だけで、商品を買わないこともあるそうです。けれども、バスが来るか来ないかで、売り上げが大きく変わってくるのも事実です。

 

これほど立地条件が優れているのですから、売り場面積を拡大、ますますお土産品を充実させて、観光バスを気軽に停めさせるようにするのもよいのかな、と思いました。

そうすれば併設されているレストランも潤うでしょうし、この地域の名物「せんべい天ぷら」を、揚げたてで提供する、といった店があってもよいかもしれません。

 

【写真4:名物のせんべい天ぷら。おいしいのだが、冷めた状態で提供されるのは残念。】

また、道の駅ということで、車で来ることが前提になっています。この地域が極端な車社会ということも相まって、周囲の観光地案内も、「車で○○分」と書かれています。

これは、道の駅全体に言えることでしょうが、車を使えない人を、どうやって道の駅に呼び込むか。加えて、冬場に、山間部にある道の駅にどのように人を呼び込むか。これらを今後の課題かと考えます。もちろん駅前や市街地にある道の駅もあるのですが、免許を持っていない若者や高齢者を道の駅に呼ぶことができたら、もっと地域は活性化するでしょう。

 

現に、道の駅に人を呼ぶため、シールラリーや、ご当地ソフトクリームマップと、様々な工夫がなされています。このような活動が実を結び、岩手県が元気になればよいなぁ、と思いました。

3月
13

八戸の町を視察

この日は、青森県の八戸市へ行きました。 久慈周辺で地元の方と話してみると、八戸へ買い物に行くと言う人が多くおられたので、自分の目で、八戸という街がどのようなものか、知りたかったのです。 久慈から八戸まではJR八戸線が運行されていましたが、津波で鉄橋が流され、全線での営業は3月17日まで待たなければならない状態にあります。そのため途中まで代行バスがありますが本数はとても少ない上、ダイヤも不安定なので、交通手段がJRしかない高校生は、さぞ不便だろうなあと思いました。実際、自分は朝5時過ぎの始発バスに乗りましたが、既に高校生が乗っている状態でした。 八戸を語る上で、市場は欠かせません。 八戸港の近くでやっている公設の市場は、日曜日を除いてほぼ毎日営業しており、50軒ほどのお店が入っています。どのお店も活気があり、はつらつとしたかっちゃ(こちらの方言で、お母さんという意味)の声が響いていて、心地よかったです。 この市場は毎日のように通っている地元の人が多く、散歩がてら立ち寄って、お店の人と喋り、朝食を食べて、おかずを買って帰るというパターンが多いそうです。自分もお店で好きな刺身や惣菜を買い、市場の空気をおかずにして朝食を食べる。とても贅沢な時間を過ごしました。おまけに魚は安くて新鮮で、美味しい。八戸は市を挙げてこの市場と朝食をPRしています。

【市場の様子】

【この日の朝食。これで500円というお値段】

震災の日、津波は八戸をも襲いました。八戸港の水揚げ高は日本でもトップクラスで、漁業が盛んな町だったので、大打撃を受けました。魚が獲れなくなり、市場に魚が来なくなって売り上げは落ちたそうですが、この日の市場の活気を見ると、そのような過去があったとはみじんも感じられませんでした。 それでも、八戸港に実際へ行って見てみると、津波の爪痕がはっきりと残っていました。

【津波で壊れたと思われる岸壁】

そして、町を歩いていて、至る所から工場の煙が見えました。八戸港は工業港としての役割もあるのです。八戸が栄えている理由は漁業と工業という、ふたつの産業があるからだと考えました。ひとつの産業が被害を受けても、もうひとつの産業がカバーする。こういうことができているのが八戸の強みだと思いました。

【八戸港から工場の煙突を見る】

八戸の町が地震の被害を受けたということは、あまり知られていないのが現実だと思います。実際、メディアに多く流れているのは岩手、宮城、福島で、青森の被害はあまり報道されていません。市街地はとても賑わっていて、久慈市民が買い物へ行くというのも、分かる気がしました。 しかし、まだ津波の跡が残っている八戸港を見ると、青森が被害を受けたということは、もっと注目されてもよい事実なのになぁ・・・と感じました。