八戸の町を視察
この日は、青森県の八戸市へ行きました。 久慈周辺で地元の方と話してみると、八戸へ買い物に行くと言う人が多くおられたので、自分の目で、八戸という街がどのようなものか、知りたかったのです。 久慈から八戸まではJR八戸線が運行されていましたが、津波で鉄橋が流され、全線での営業は3月17日まで待たなければならない状態にあります。そのため途中まで代行バスがありますが本数はとても少ない上、ダイヤも不安定なので、交通手段がJRしかない高校生は、さぞ不便だろうなあと思いました。実際、自分は朝5時過ぎの始発バスに乗りましたが、既に高校生が乗っている状態でした。 八戸を語る上で、市場は欠かせません。 八戸港の近くでやっている公設の市場は、日曜日を除いてほぼ毎日営業しており、50軒ほどのお店が入っています。どのお店も活気があり、はつらつとしたかっちゃ(こちらの方言で、お母さんという意味)の声が響いていて、心地よかったです。 この市場は毎日のように通っている地元の人が多く、散歩がてら立ち寄って、お店の人と喋り、朝食を食べて、おかずを買って帰るというパターンが多いそうです。自分もお店で好きな刺身や惣菜を買い、市場の空気をおかずにして朝食を食べる。とても贅沢な時間を過ごしました。おまけに魚は安くて新鮮で、美味しい。八戸は市を挙げてこの市場と朝食をPRしています。
【市場の様子】
【この日の朝食。これで500円というお値段】
震災の日、津波は八戸をも襲いました。八戸港の水揚げ高は日本でもトップクラスで、漁業が盛んな町だったので、大打撃を受けました。魚が獲れなくなり、市場に魚が来なくなって売り上げは落ちたそうですが、この日の市場の活気を見ると、そのような過去があったとはみじんも感じられませんでした。 それでも、八戸港に実際へ行って見てみると、津波の爪痕がはっきりと残っていました。
【津波で壊れたと思われる岸壁】
そして、町を歩いていて、至る所から工場の煙が見えました。八戸港は工業港としての役割もあるのです。八戸が栄えている理由は漁業と工業という、ふたつの産業があるからだと考えました。ひとつの産業が被害を受けても、もうひとつの産業がカバーする。こういうことができているのが八戸の強みだと思いました。
【八戸港から工場の煙突を見る】
八戸の町が地震の被害を受けたということは、あまり知られていないのが現実だと思います。実際、メディアに多く流れているのは岩手、宮城、福島で、青森の被害はあまり報道されていません。市街地はとても賑わっていて、久慈市民が買い物へ行くというのも、分かる気がしました。 しかし、まだ津波の跡が残っている八戸港を見ると、青森が被害を受けたということは、もっと注目されてもよい事実なのになぁ・・・と感じました。
ボランティアしながらの合宿免許という制度
3月13日 今日は、被災地での活動初日でした。山里ネットさんの案内により、陸前高田のドライビングスクールに行ってきました。ドライビングスクールへの依頼は、「合宿免許とボランティアをセットにすることができないか」というお話でした。
【写真1:陸前高田ドライビングスクールの様子】
このプランのターゲットとして考えているのは、大学生ということで、会議に参加させていただいた際は、大学生の目線で見た時の意見を求められました。陸前高田ドライビングスクールでは、以前にこのプランで募集をし、実際に10人弱の方が参加されたそうです。その企画を通して社長の田村さんが感じたこととして、このプランに参加する大学生の意識レベルに差があることだそうです。
つまり、ボランティアをしたいと考えている上で免許がないからとりにいくという考えの人と免許をとりたいと考えた際、ボランティアがオプションとしてついているという考え方をしている人の2種類がいるということです。 今回お話を聞いていてとても印象に残ったのは、ボランティアに対する意識の異なる人が被災者の方々にどういう印象を与えるのかという点です。 話の中で、ボランティアを大学の授業の単位の一環としたらどうかという話がでました。ボランティアのニーズがある側としてはそれだけ多くの人にとにかく来てもらいたいのだという印象を受けました。つまり、支援を受ける側としては、どんな意識を持ってボランティアに来ても、とりあえず来てくれたら助かるという感じでした。
この時、正直に言うと残念に思いました。確かにボランティアというと支援する側という捉え方になりますが、私は支援する側とされる側という関係の上で何かの作業を行うのはあまり良いことだと考えていないからです。今はニーズに答えるという形で行なっていますが、どこまでがそのニーズと言えるのかという問題も上がってくるからです。ボランティアという捉え方が共に考えた上で必要とされた作業に共に取り組んでいくことが重要なのではないかと思いました。
【写真2:高田自動車学校の田村社長との写真】
毎年、関西大学の学生にこのプランへの募集をして、より多くの方に被災地へ来る機会をつくっていけたら良いなと思いました。やはり、ニュースで“見る“のと実際に行って”感じる“のは本当に違います。多くの方に、こういった取り組みが広まれば良いなと感じました。
風評被害の深刻さ
3月13日、郡山市のビックパレットにて農産物の直売をされている方とお会いできる機会をいただけ、販売をお手伝いさせていただきました。少しの時間でしたが、仮設住宅にお住まいの方との交流ができました!
「郡山市の仮設住宅での直売」

そこで、仮設住宅で農産物を直売されている方に震災に関するお話を伺えました。
「東日本大震災が発生しましたが、私のところは、津波の被害や地震による大きな被害はそこまで受けませんでした。だから、非難されてきた方達の力になろうと思い、最初は「支援する」という気持ちで仮設住宅での直売を始めました。
そこに、福島第一原発の水素爆発により放射線の問題が出てきたんです。私の営むお店は特に農産物の質にこだわってよりよい品質の農産物を販売しており、また、質にこだわりを持ったお客様が買いに来てくださっていました。しかし、風評被害の影響によりお客様が大きく減り、それに伴い売上が大きく下落し経営が非常に厳しくなってきました。また、直売所に農産物を提供してくださっていた農家の方々も自然災害による被災や放射線問題、風評被害などにより農業を止められたり、縮小されたりと、店頭に並ぶ商品数さえも減少したり、どうしても以前のような品質の商品を提供できないこともありました。
また、震災直後では3、4か所の仮設住宅において直売していたのですが、日が経つにつれ徐々に街が復旧し、市街の巡回バスが利用できるようになりました。なので、仮設住宅にお住まいの方も商品の安さや種類の豊富さ、また、気分転換など精神的な安らぎなどを求めてバスを利用され、買い物などお出かけされることが多くなりました。これに伴って、仮設住宅での直売に足を運ぶお客様は徐々に減っていき、仮設住宅の直売での売り上げが下降していくと次々と直売されていた他の方達は撤退していかれました。私も徐々に拠点を減らしていったのですが、唯一まあまあ売り上げがあり、常連のお客様がいてくださる郡山市のビックパレットの仮設住宅での直売は今も続けています。
しかし、放射線問題による風評被害の影響によりお店自体の経営状況は非常に厳しく、大きな損害を被っています。また、東京電力による賠償金のシステムにも不満を感じており、これからの生活は不安でいっぱいです。
私はいつからか「支援する」という気持ちから「自分も被害者だ」と思うようになり、あの原発事故に対して非常に怒りを感じます。」
…と、お話してくださいました。
今回は風評被害に悩み、苦しんでいる直売所の方の率直な気持ちを伺えました。また直売のお手伝い中に、あるお客様が「この野菜は放射線のチェックは大丈夫なのですか?」と尋ねられている方もいらっしゃいました。それに対して、「検査済みですので大丈夫ですよ」と返答されていました。
私が関西にいるころは少なからず放射線に対して不安や心配はしていたので、消費者からの立場から、放射能を心配するお客様の気持ちはすごくわかります。しかし、福島県に来て、農業に携わるたくさんの方々の風評被害に関するお気持ちやお話を聞いて、両方の立場から放射線問題を考えた時、とても複雑な気持ちになりました。
風評被害とは消費者に不安を抱かせると同時に生産者の将来の生活をも左右させ、大変深刻な被害を生むものなのだと感じました。
協力することの大切さ
あなたにとって一番大切な写真はなんですか?
その写真にはどんな思い出が詰まっていますか?
今日は大型スーパーの一角で行っていた写真返却展について書きたいと思います。
そこの写真返却展はある団体が大槌町内で拾得された写真やアルバムなどを展示し、持ち主に返却しています。写真は自衛隊、がれき撤去をしていたボランティア、解体業者などから届けられたものです。届けられた写真を名前が記載されているものは名前を一覧にし、あとはアルバム別やテーマ別(結婚式、卒業式、修学旅行、入学式など)に選別しています。返却時の写真の状態は町によってさまざまですが、大槌町の場合は、できるだけ早く持ち主に返すことが目的なので、見える程度まで洗浄できた状態で展示しています。
しかし、その土地で見つかったからといってその土地の人の写真かどうかはわかりません。津波で流されてきたものもあります。そのため、この写真返却展の広報活動は町内外で行っています。広報活動は仮設住宅でのビラ配り、大手スーパーでのビラの掲載などです。普段は写真目的のためだけに訪れる人が多いのですが、今回は展示会が最後ということで買い物目的のお客さんがふらっと立ち寄ることを目的とし、大型スーパーに出展したそうです。また、写真を受け取るのは本人でなければいけないという決まりはありません。1人の人が300以上もあるアルバムや写真の中から目的の写真を探し出すのは時間も体力も必要です。しかし、その家族、友人、知り合いなどみんなで協力すればそれを短縮することができる。これはこの写真返却に関してだけでなくこれからの復興にも共通する大切なことであると担当者の方は教えてくださりました。
「私たちがボランティアなどで復興の協力をすることはできますが、最終的にはその町に住んでいる人たちが頑張らないといけない。それは個人個人の努力だけではなくみんなが協力して助け合いのもとでこそ成り立つものである」と…どんな大きなことでもたくさんの人が力を合わせて協力すれば達成される。私はそう信じています。
思い出は人を強くさせるもの。
今回の震災で大切な思い出が流された方はたくさんいらっしゃいます。
そんな方に少しでも大切な思い出が戻るように心から願っています。
鵜(うーの)はまなす商店街‐つどいのひ
今日は鵜(うーの)!はまなす商店街で、「つどいのひ」を開催!!キャンドルを鵜(うーの)はまなす商店街の周辺から集ってくださった方々と並べていく。
キャンドルはサッポロビールから提供して頂いたもの。その数400個!!
昨日は「つどいのひ」の宣伝のため釜石町鵜住居地区の仮設へビラ配りに。せっかくなので、迷惑かなと思いつつ一軒づつ「はまなす商店街で~す!」と声かけしてのポスティング。
扉が開いた!と思ったら、どこかで見た顔…寺前商店の店主さん!そのまた後ろから、ひょっこり顔を出してくれたのは、店主さんの娘さんたち!
私が、はまなす商店街に来て、最初に仲良くなったのが、この3人姉妹。小1のお姉ちゃん先頭に4歳3歳とはまなす商店街中を元気に駆け回る3人は、この商店街の太陽的存在。震災後は、3人とも警報音がなると自分の大切なおもちゃと車のキーを持って身構えるようになったとお母さんは言う。お姉ちゃんが「お父さんひっぱって行くー!!」といえば、下の二人も「お父さんと行くー!!」とニコニコ笑顔。もう家族そろって参加決定やね。
そんなこんなで、ビラ配りを終えた昨日。頼もしいことに今日は都留文科大学災害ボランティアチームの大学生さんの応援もあって、キャンドルを並べる台紙もあっという間に完成。都留文のみんな、ありがとう!
午後5時、つどいのひ開始。まだ人数も少ない中で、最初の一灯目を受けとって台紙に置いてくださったのは開始前から商店街で準備の様子を見ていて下さった1人のお母さん。
昨日、配ったビラを見てきてくださったというのでお礼を言うと、亡くなった旦那さんのために祈りに来たことを話してくださった。「この灯は、お父さん。」と、やさしく微笑んでキャンドルに手を合わせるお母さん。
大切な命を失った悔しさ、だからと言って泣いても始まらない切なさ、笑顔のお母さんにだって、急にさみしさが込み上げてくるときがあるのかもしれない。明確な答えがあるわけでなくとも、そのままではいられない。そんな複雑な思い。私にできたのは。入り混じる心境のなかで生まれる言葉の一つ一つにしっかり耳を傾けること。
私に分かったのは。釜石に生きる人との繋がりが、釜石に訪れた人を明日も、何度も、もう一度来ようという意志を強めてくれること。
お母さんとの縁に、私が今、この地にいる事の意味を改めて教えてもらった。
それからは、キャンドルの1つ1つにも想いを込めて手渡しをするようになった私。空が暗くなると共に人も増え、キャンドルの周りは地元の人と釜石の外からやってきた人とが交じり合う、語らいの場になった。
いつのまにか、商店街に集まった全員でキャンドルを囲んで、手をつなぐことになった。明日で震災からちょうど1年。抱く想いは違っても、明日への一歩はみんな一緒に進みたい。
いわてあおもり復興協議会からの取材もあり、「ふるさとふれあいプロジェクト」のHP内にある『現地からのレポート』に、今日のことを載せてくださっている。
今宵、鵜(う~の)はまなす商店街!に、つどって頂いた皆様。ありがとうございました。釜石・鵜住居は今日も元気。
背中姿は寺前商店の親子2人。











