地域に元気を う~のはまなす商店街
更新が大変遅くなり申し訳ありません。
私は約三週間岩手県で活動していました。前半は遠野まごころネットさんにお世話になり、陸前高田で杉の木の皮むき作業などをしていました。
後半は釜石市鵜住居地区にある仮設商店街「う~のはまなす商店街」の“あづまっぺカフェ”で活動をさせていただきました。
そこで私がお世話になっていたのがねおすさん。
自然と社会との心地よい関係(人・地域)づくりに貢献し、自然体験文化を育てていく北海道の「NPO法人 ねおす」のことです。
ねおすさんは震災後、釜石市鵜住居・箱崎・片岸・栗林・橋野地区を中心に支援活動を継続されています。
鵜住居地区にあるう~のはまなす商店街には、カフェ、花屋さん、パン屋さん、定食屋(酒屋)さん、商店さん、散髪屋さんと色々なお店が入っています。
写真1 う-のはまなす商店街
はまなす商店街には、北海道から来ているねおすの一員であり、商店街の裏で放課後こども教室を開いて子供達に勉強や遊びを教える有原賢治さんという方がいます。(アリケンさんと呼ばれている)
私が鵜住居に入った一日目は、僕達を受け入れてくださったアリケンさんが、この地域はどういう所か、どういう被害があったのか知ってもらわなきゃ意味がないということで、ボランティアのためのボランティアツアーに連れて行ってくれました。
まず、釜石地域の震災前後の様子をYoutubeの映像で見たあと、それと同じコースをワゴン車「ディズニー号」でまわりました。
写真2
写真2は途中に休憩で寄った大槌にある、大型のショッピングモール「マスト」です。
中のお店の店員さんに聞いたところ、このマストは被災後約9カ月で運営再開したそうです。この時期はまだスーパーと言われるほどのお店はまだなかったようです。この状況下で再開できたのは、町民が要望書を集め県に提出し、早期再開が決定されたからだそうです。生活用品、食材、衣類など幅広く取り扱うマストは団体のお客様、老人ホームの方々など多くの人が助かっています。しかしその反面、震災一年後くらいからは仮設の商店街などが各地域ででき、その小規模のお店からすれば大型のスーパーなどに客が集まり苦労することになります。
写真3 三陸の奇跡 釜石東中学校と鵜住居小学校
写真3の小学校と中学校には津波が校舎の三階まで達しました。地震発生後、中学校職員・生徒がすぐさま避難、それを見た小学校の職員・生徒も避難。まさに避難が避難を呼びかけた「三陸の奇跡」。その日学校を欠席・早退した生徒は助からなかったそうです…。
さらに避難した彼らは六日前に開通したばかりの高速道路「釜石山田道路」に辿り着きました。そこをたまたま通った数台のトラックに乗り込み、市内の体育館に避難することができたそうです。この道路は後に「命の道路」とよばれるようになりました。
このボラツアーの途中にアリケンさんが、「阪神・淡路の時は今回よりも早く次の建設、土地利用と進んでいったが、この東北の津波の爪痕は現在進行形で継続的に見ることができる。その一つ一つの瞬間をできるだけ多くの人たちに見てほしい」と言っていました。
私は震災が発生して間もないころの状況をテレビや新聞で読み聞きしていました。実際東北に入ったのが、震災から半年後に宮城、そして11ヵ月後に岩手です。確かに瓦礫の多さや道路などは良くなっています。でも仕事が失った人、仮設での生活、被災地域の土地利用など、命は助かったがその後の経済面、おもに生活していく上での問題が浮き彫りになってきました。私達が生きている間に東日本大震災規模の地震・津波が全国どこで何時起こるかわかりません。今の東北の復旧・復興過程を見て聞いて感じることはとても重要だと思います。
ここで「う~のはまなす商店街」のお店の運営状況、またお店が抱えている問題など聞き取り調査したことをかいていきます。
まず僕が主に活動させていただいた、「あづまっぺカフェ」。
地元の“山のお母さん”達と、アリケンさんと同じく北海道から来て修行しているJOYさんこと柏崎未来さんが運営しています。
このカフェは店内のメニューはもちろん、店外(商店街内)からのメニューも注文し、カフェ内で食すことができます。
毎週水曜日は「峠の茶屋」として山のお母さん達が地元の山菜を使う郷土料理を出しています。
看板メニューであるあづまっぺ弁当は目でも舌でも満足でき大変人気です!
一方で接客する店員がボランティアで、長期休暇を利用して来る学生ボランティアが主に来ているが春休み後はボランティアが激減して運営がとても難しくなったりと不安定な一面も抱えています。
次にパン屋の「あんでるせん」さん。
写真4 あんでるせんのお父さんとお母さん
ふわふわでめっちゃ美味しいパンで、休憩で寄るボランティアや工事の人たちに人気のパン屋さんです。特にフランクドーナツは男性にもってこいで即完売必至です!!!
僕のようなボランティアからすれば人気があって問題なさそう。と思ってしまいがちですが、津波によって機械が流されて、作ることのできるパンの種類が限られているのです。
以前常連だったお客さんも被災し、各地離れたバラバラの仮設住宅に行ってしまいました。
雇用しようにも先の見えない不安定な状況であるため新たに従業員を雇えないというのが現状です。
食材、菓子類を販売している寺前商店ののり子さんは将来への不安から商売を続けるか迷っていると言っていました。「津波に家も流されて、店も辞めたら逃げている。まだ小さいお子さんが三人もおり、その子たちのために頑張らないといけない。それに故郷を捨てていいのか。」という考えと、「また来るかもしれない津波に対する不安」という中での葛藤。でも、苦しいのは自分だけでなく、周りには自分より苦しんでいる人はたくさんいる。命があった自分たちは頑張らないと過去には戻れない、今はできることをやるしかない。と奮闘しています。
商店街で様々なイベントを行うに当たって、近にあるいくつかの仮設住宅にポスティングを一緒にしました。
私自身初めて仮設住宅に行ったのですが、なんというか明るい人と、閉じこもってしまっている人の差に衝撃を受けました。新潟の中越地震の際は、集落ごとで同じ仮設にはいることがわりと多く、仮設でのコミュニティづくりにあまり苦労しなかったと聞きました。今回の震災の場合は、本当にバラバラに仮設に入り、コミュニティづくりに苦労しているそうです。全員が閉じこもっているわけでなく、僕がポスティングしにあいさつに行くと、外にまで出てきてくれて、「大変やね~ありがとうね~」って明るく声をかけてくれる人もいっぱいいました。でも一部の人は、玄関が二重になっているのですが、外側はのれんなどで完全に見えないようになっており、中に入ると、酒やゴミでいっぱいで、臭いも正直きつい状態でした。ではなぜ閉じこもっているのか。それぞれ仕事を失った人や、近隣とコミュニケーションをとるのが苦手など理由は様々あると思います。
でも地域の人の元気なくして地域の復興はありえない!このような人たちにもぜひ商店街に来てもらえるように、商店街の人とボランティアが協力して様々なイベントを考えています!!ボランティアが主役ではなく、地域の人たちが主役でその人たちに、自分たちを必要としている、やらなきゃいけないという役割を与えることができるようなイベントを考えないといけないと思いました。
私の活動期間中に震災から一年を迎える前日2012.3.10に商店街ではキャンドルナイトイベントを行いました。私たちはねおすの方々と一緒にその準備に取り掛かってていて、震災一年を迎えるにあたり、地域の人々が集まりそれぞれが考え、話す場を提供するということを目的としました。そこで、静かすぎず、だからといって祭りのようににぎやかなものにもならないよう色々苦労しました。そこで実施されたのがキャンドルイベントでした。
写真5 キャンドルイベント
このキャンドルイベントは規模は決して大きくはないですが、来てくれた方一人ひとりがキャンドルグラスを置き、それぞれの想いを心に祈っている姿を見て、このイベントを行って良かったと思いました。静かに祈った後は、みなさん当時のことや今の様子などを互いに話し合っていました。
ちなみにこのイベントに使用されたキャンドルグラスを提供してくださったのは北海道のサッポロビールさん!200~300個ものキャンドルグラスを提供してくれました!!企業も何らかの形で支援してくれていることに感謝!!です。
僕は約三週間岩手で活動しましたが、関西でたまに見る東北の「様子」と実際に自分の目でみる東北の「現状」は全く違いました。僕は地震のこと、津波のことなどまだまだ勉強不足で難しくわからないことも多いですが、東北の人たちは本当に純粋に、日本全国からきてくれるボランティアでも観光の人でも、とにかく来てくれることにすごく力をもらい喜んでくれます。それだけはわかります。
ボランティアの需要も当時に比べると確かに減っては来ていますが、ボランティアの形態も変わりつつ、まだ需要はあります。震災当初は主に瓦礫の撤去作業、私が東北に行った時期は冬だったので雪かきなど季節によっても変わります。今は瓦礫撤去作業は無いと思われがちですが、機械などでは撤去し切る事ができない細かく小さなゴミや瓦礫を撤去するボランティアもあります。また、各地で色んなお店ができてきて、様々なイベントがありそのお手伝いのボランティアもあります。長期休暇を利用してでも、ちょっとした旅行でもとにかく自分の目で一度現地を見てほしいです。
道の駅おおののあり方
道の駅おおのは、JR久慈駅からバスで40分ぐらいのところにあります。
(写真1)
ここは、道の駅といっても、すごく大きな施設です。宿泊施設や天文台や馬やアヒル、羊などの動物と触れ合うことができます。また一番の特徴は、木工房、陶芸工房、ガラス工房、裂き織り工房といった体験施設が充実していることです。よく小学校などの遠足などで利用されることも多いそうです。 木工体験では、コースターやスプーンなどを木材で作る体験ができます。
(写真2)
大野木工とは、原木の木からお皿やお箸などの食器を手作りで職人さんが作られています。大野木工で作られた食器は、保育園などの給食の器として導入されており、盛岡では約3割の保育園が導入しているそうです。やはり木からできているため、落としても割れないので、安心して利用できます。私は、実際に木工食器を見せていただいて、すごく木の温もりを感じました。また一つ一つ手作りのため、木目が違っていたりして同じものはありません。だからこそ、一つ作るのにも大変で、職人さんにしかできない技だなと感じました。 裂き織り体験では、昔話の鶴の恩返しで出てきたようなはたおり機を使うことができます。なかなかできない体験だと感じました。裂き織りは大野に受け継がれてきた暮らしの知恵の一つで、古布をひものように裂いたものを横糸にして、織り直す織り方です。職人さんだと、かばんを織ったりしておられるそうです。 このような大野伝統の技術を生かした、体験施設を利用して人を呼んでいます。 またおおのは、「一人一芸の里」としても知られています。なぜ「一人一芸の里」と言われているのかと言うと、この道の駅おおののある洋野町では、一次産業が農業でした。しかし農業ではなかなか食べていけないため、都市部に移駐する人が多かった。そこで地域おこしをと「一人一芸の里」が掲げられ、一人に一つ何か芸を持とうと提案されたそうです。
そのひとつが、大野木工です。そして一人一芸をもち、そこから地域づくり、村づくりとして、大野木工や裂き織りを行い、またそれを観光客に体験してもらうことで商品化しようと体験施設がたてられました。体験を含めて産業化していこうとしているそうです。 体験施設だけでなく、産直があり地元の美味しいものもそろっていますし、なんと言っても名物の赤鳥ラーメンは最高に美味しかったです。
(写真3)

やはり冬にもっと楽しめるイベントを企画したりすることで、来客者も増やせると感じました。 しかしお客さんに来てもらうといっても、おおのは山の中ですし、車やバスなどが必要になります。しかしバスの本数が非常に少なく、土日はJR久慈駅からは一日に2本ぐらいしかありません。やはりまずは、交通面を改善すべきです。せめて土日だけでもシャトルバスを運行するなどの対策が必要です。
人のために、誰かのために
私達は、3月15日、大槌町に3月6日に開店した「あかはまチロリン村ぽんた」さんというカフェに、開店に至る過程のお話を伺ってきました。そのお店は、大槌の津波にさらわれた住宅街の中に建てられているのですが、初めて見たときからそのカフェがどのようにして生まれたのかがずっと気になっていました。
(写真1)あかはまチロリン村ぽんた
店主の岡本カツ子さんは、とても気さくな方で、いろいろな話をしてくれます。 被災した時の話、その時の波が襲ってくる様子、救助された時の話、そんな思い出したくないような話を私たちに聞かせてくれるのです。岡本さんは11時ごろにボランティアの方が作業を一段落させた時間に開店し、ボランティアの方にコーヒーを出してくださります。 僕らは、そのカフェが開店する少し前にお話をうかがいに行きました。
その岡本さんのお話は非常に考えさせられるものでした。 震災前、今のぽんたが立っている場所には岡本さんの家と一緒にカフェのお店が建っていたそうです。そこは、地域の皆さんに愛されたお店だったそうです。 しかし、震災で何もかもを持っていかれてしまいました。家、お店、車、ペットの猫まで失って途方に暮れていたとき、姪っ子さんの一言が彼女を救ってくれたというのです。 「ここで折れたらいかんよ!」という、姪っ子さんのその言葉に叱咤激励された岡本さんは、もう一度お店を開くことを決意されたそうです。しかし、ゼロからもう一度やり直すことは簡単ではありませんでした。 何しろ、何もかも流されて何一つ残ってないのです。 そんなときに姪っ子さんがボランティアの皆さんに声をかけてボランティアのみなさんを集めてくれたそうです。そのボランティアの方々は、資材を周りの工場などからかき集めてきてくれたのです。さらにお話をうかがっていると、ボランティアの方々が仮設に使うドアを取り付けてくれたり、お店を立てるのをすべて手伝ってくれたそうなのです。 「ボランティアさんに助けていただいて、ドア、外装、シンクまですべて作ってくれたんですよ。本当に感謝しています。」 と岡本さんはおっしゃいました。
しかし、「ぽんた」さんを助けてくれたのはボランティアで来ている方ばかりではありませんでした。 僕たちがお話を伺いに行った前日は、オーストリア大使館の方が来て、ストーブをセッティングしてくれたと喜んでおられました。
「お代はいらないから、ほんとに気持ちだけでいいのよ。あなた方に商売するつもりじゃないのよ。」とおっしゃる岡本さんは、岡本さん自身がボランティアの方にしていただいた分の恩返しがしたいというお気もちでお店に出られるそうです。 一軒の小さなカフェですが私には、復興への大きく、とても大切な一歩のように感じました。 これからも、ボランティアさんや地域の人たちに親しまれるカフェであってほしいと思います。
(写真2)岡本さんと
さて私たちはこの2週間で、仮設住宅を訪れたりお話を聞くことで震災後、仮設から出ずにずっと人とのかかわりを避けて暮らしている方々がいることを知りました。その方たちは、震災で受けた心の傷が今なお強く残り、心を閉ざしてしまった方たちだと思います。 しかし、岡本さんのようにあるきっかけから立ち直って、しっかりと前を向いていらっしゃる方もいることに私たちは驚きました。 ご自分も大変なのに、誰かのために何かをしたいと考えていらっしゃる岡本さんはこの先の復興において非常に大切なものを手に入れていらっしゃると感じました。それは「自分のことだけでなく、人のため、誰かのため」という思いだと思います。 そんな思いを、一人でも多くの方が持てるようになってほしいと思います。
岩手ブログ
この日は山里ネットさんにお世話になり、津波が起きたときのお話を釜石市の唐丹町の大曽根という仮設住宅に入られているお二人の女性に聞かせて頂きていました。 この方々は「人によって感じ方は違うと思うが、震災が起きたのが岩手、東北で良かった。」とおっしゃいました。自分の家が流されたにも関わらずにです。
岩手で良かった、だけでは聞こえが悪いですが、こうお二人がおっしゃったのには理由があります。東京、大阪でこの規模の震災が起これば、日本の社会や経済は動かなくなるし、死傷者はもっと多かったであろうというのです。
みなさんは自分の家が無くなり、親戚が亡くなってもそう言えるでしょうか? 私はこの話を聞いた時、背筋が凍りました。正直なんと返していいかもわからなかったですが、笑いながら、話していただいたのでなぜだか、私が元気をもらいました。そして、こんなに津波に被害に合ったにも関わらず、こうおっしゃいました。
「私たち岩手の人間は海の幸によってここまで大きく成長させていただいた。 なので、海を憎もうとも、思わない。」
私は正直、海のことを憎く思いました。ここまで愛されているにも関わらずなぜ津波という形で人を襲うのかと。そして、私は普段、普通に食べている食物に対してそこまで感謝をしているかな?と、情けなくも思いました。
写真1を見てください。

写真1:唐丹町の小白浜漁港の堤防の被害
これは、仮設に行く途中に唐丹町の小白砂漁港によってもらい堤防をみせてもらった時に撮った写真です。この写真では伝わらないと思いますがとにかく見上げるぐらいでかい堤防がたおれているのです。この堤防を襲った津波がどれほどのものだったかを物語っています。
写真2は、高台から堤防と、その内陸部を撮った写真です。
この堤防の内側には民家がたくさんありました。この堤防をなぎ倒し民家までさらっていく津波。これは現地に行った私でも、想像するのが難しいぐらいです。
お話によると、津波が来たというよりは山が襲ってきたという感じだったらしいです。 しかし、こうした巨大な津波にも関わらず、近場の小学校のなどでは普段から、避難訓練をしていたおかげで助かったとのことです。私自身は小学生の時避難訓練をバカにし真面目にやった記憶は一度もありません。それより、避難訓練なんていらない。と思っていました。しかし、今回はこの避難訓練のおかげで生徒が全員助かったのです。それを聞いた時、また私は、自分が情けなくなりました。このとき始めて避難訓練の大切を知ったといっても過言ではないです。
私はこの震災の現場を生で見るのは初めてで、テレビで見たことしかありませんでした。
正直、大阪にいるときは、なめていました。津波がここまでおそろしいとは。
ここまで私達人間の物全てを奪っていった姿は、まるでブラックホールのようでした。
この感情は被災地に行かなければ、正直わかりません。 本当に、この現場を見ると言葉がでないのです。みなさんも一回行ってみてください。 これから、これまでの、人生観が変わると思います。
そして、行くことにより、あなたは復興の手助けになります。ぜひ、足を運んでください。自分の中の何かが変わります。
道の駅・おりつめと、道の駅のあり方について
久慈からバスで45分ほど。岩手県の九戸という町に、道の駅「おりつめ」という施設があります。今日はそのことについて書きたいと思います。
ここは久慈から新幹線の駅・二戸へ行く途中にあり、近くには高速道路の九戸インターもあります。だからアクセスは抜群で、道の駅の売り上げも岩手県内でトップクラス。夏のピーク時には月に2万人ほどの来館客数があるそうです。自分が訪ねた時も、常に誰か、人がいる状態でした。
【写真1:道の駅・おりつめの外観。周辺に民家は少なく、山深いところにある。】
この道の駅で一番充実している商品は、なんといっても産直の商品です。全て九戸産の、野菜や雑穀、木炭と、様々な地域の特産品が売っています。中でも一番売れているのは野菜、特に今の時季はキャベツで、地域の人が次々と買っていきました。その日に収穫したものが商品として売られるので、どれも新鮮なものばかりです。
他にも、パンやお惣菜、そしてリピーターが多く青森から買いに来ている人もいるというシフォンケーキやおまんじゅう。加えて特産品の「甘茶」に、「南部箪笥」という、江戸時代に興った、地域の高級な家具ブランドの商品も売っています。少し値は張りますが、良い品を長く使えるので、人気があると担当の方はおっしゃっていました。
【写真2:中の様子。左側に売られているのが野菜。】
【写真3:南部箪笥が売られているコーナー。】
さて、この道の駅で、ひとつ気になったところがあります。
前述したとおり、アクセスが非常に良い道の駅です。だから、訪問する前は、他県の人向けへのお土産物が多い道の駅なのだろうなぁ、と思っていました。しかし実際に行ってみると、全然そんなことはなく、むしろ地域密着型。お土産はあまり売っていませんでした。
聞くところによると、観光バスは、あまり来ないそうです。これは震災により東北への観光客が減ったことが一番の要因で、震災前の1/10になってしまいました。なおかつ、バスを停めてもトイレ休憩だけで、商品を買わないこともあるそうです。けれども、バスが来るか来ないかで、売り上げが大きく変わってくるのも事実です。
これほど立地条件が優れているのですから、売り場面積を拡大、ますますお土産品を充実させて、観光バスを気軽に停めさせるようにするのもよいのかな、と思いました。
そうすれば併設されているレストランも潤うでしょうし、この地域の名物「せんべい天ぷら」を、揚げたてで提供する、といった店があってもよいかもしれません。
【写真4:名物のせんべい天ぷら。おいしいのだが、冷めた状態で提供されるのは残念。】
また、道の駅ということで、車で来ることが前提になっています。この地域が極端な車社会ということも相まって、周囲の観光地案内も、「車で○○分」と書かれています。
これは、道の駅全体に言えることでしょうが、車を使えない人を、どうやって道の駅に呼び込むか。加えて、冬場に、山間部にある道の駅にどのように人を呼び込むか。これらを今後の課題かと考えます。もちろん駅前や市街地にある道の駅もあるのですが、免許を持っていない若者や高齢者を道の駅に呼ぶことができたら、もっと地域は活性化するでしょう。
現に、道の駅に人を呼ぶため、シールラリーや、ご当地ソフトクリームマップと、様々な工夫がなされています。このような活動が実を結び、岩手県が元気になればよいなぁ、と思いました。















