久慈班
3月
2

久慈組の、今後の取り組みについて

3月1日の早朝、遠野駅から列車に乗り、盛岡で久慈行きのバスに乗り換えました。

久慈市は白樺の街とうたわれているだけあり、途中の庭坂峠では、あたり一面に白樺の木が生えていて、とても鮮やかでした。

ですが、久慈市の名物は何かと尋ねても、いまいちピンとこない人が多いのではないかと思います。実際、自分もそうでした。だから、久慈市へ人を呼ぶためには、このような名物のPRも推し進めていかなければいけないのだろうなぁ、と感じました。

 

写真1:バスの車内から見えた、白樺の木々

 

久慈に到着して、久慈広域観光協議会の貫牛さんらを交えて、今後の活動を話し合う会議に参加しました。

これからしばらく、久慈市や野田村で活動するわけですが、活動するうえで大切なことを学びました。

それはまず、最初の数日間で、地域に溶け込むということです。いきなり調査という名分で相手に話を聞けば、相手もかしこまってしまいます。普段の関係の中での日常会話で得た情報が、一番ふさわしい情報であるということを学びました。

そして、そのことを踏まえ、ボランティアの方をはじめ、東北に来ている人が減少していることについて、何がボトルネックになっているのかを調べて、それを情報発信するということです。何度も繰り返されていることですが、改めてこの活動の目的を確認しました。

また、短い間ですが、久慈広域観光協議会の一員として活動するわけなので、やろうと思っていることは何でもチャレンジできる可能性があります。しかし、自分で何かやりたいことを決めないと、時間はいたずらに過ぎていきます。

正直、これを聞いたとき、自分は不安に思いました。甘えているようですが、何もかもセッティングされていてやることが決まっており、自分は言いなりになって働くものだと考えていたからです。

しかし、このような機会はそうそう訪れるわけではありません。ですから、積極的にいろいろなことにチャンレジして、精一杯やっていこうと、改めて思いました。

 

写真2:夕方の久慈駅前の様子

2月
29

今回の活動に関する会議に参加してきました

2月29日、12時から開催の「いわてあおもり復興応援協議会第2回商品化会議」に参加させて頂きました。(会議には私を含め久慈組がお世話になる貫牛さんも含め、岩手全域から多くの人が参加されています。)

その名の通り岩手県と青森県の復興を応援するため、被災した地域等で商品として売り出せそうな催し事を探し出して検討する会議です。

地元に住む人にとっては当たり前であっても、他の地域の人にとっては新鮮な体験であることがあります。そういった施設の見学や震災にまつわる体験を聞くことに対価を支払い、現地へ訪れてもらうことで被災地域の人々の支援とすることがこの会議の目的です。

ただ、これは支援を目的としているため一般の見学プランよりも割高になります。そのためこの高値を理解してもらうためにはどうするか、ということが重要となります。

話し合いのなかで大前提となった意見が「どの人にいくら支払われるか、何に使われるのか」をプランに明記することです。ほかの意見も「プランに参加することで復興の報告が受けられる。」など全体的に応援旅行ということを前面に押し出すことが必要とのことでした。

そして今回の会議では「ボランティア」という言葉の既成概念についても考え直さなければならないとされました。

つまりボランティアというと人の役に立つために頑張らなければならないと堅苦しく考えてしまいがちですがそうではなく、現地に訪れて楽しみ、学び、交流することもまたボランティアなのです。そういったことを伝えて気安く東北へ来られるようなキッカケを作れば現地の空気を感じてもらうことができ、今後の復興にも関心を持ち続けてもらうことができます。

会議の中で出た「何もしなくても良いからまた来て欲しい。忘れないで欲しい。」という言葉がとても印象的でした。