ポストカード
私たちがお世話になっている久慈観光協議会でキャラクターデザインなどを手掛けてらっしゃる佐藤さんが、私たちの似顔絵と北いわてをコラボレーションさせたポストカードを描いてくださいました!!
白井くんは秋田県のなまはげと同じように「きかねぇワラスは連れて帰るぞ」と家々に怒鳴りながらやってくる「なもみ」、森脇さんは種市沿岸名産のホヤ、丸井くんは三陸を走るローカル線三陸鉄道、私長田は日本最大の琥珀産出地である久慈は琥珀王国であるということでそれぞれストーリー性をもたせて描いてくれました!
裏面にはそれぞれのプロフィールも書いてくださっています!
ポストカード表
ポストカード裏
似ているのに実物よりかわいくデフォルメしてあるのがすごいですよね(^―^)!!
こちらは佐藤さんが手がけたステッカーです。
この他にも数多くのイラストグッズのデザインを手掛けていらっしゃり、久慈観光協議会では「道の駅シールラリー」という決められた道の駅を回ってすべてのシールを集めると似顔絵を描いてもらえるイベントを3/25まで行っているのですがその似顔絵も佐藤さんが描いていらっしゃいます。
こういう風にイラストやデザインのセンスというのは磨こうとして磨けるものではないし、画家やイラストレーターといった職業以外でも芸は身を助けるとはこういうことを言うのだなあと感じます。
佐藤さんありがとうございます!!
初めての仮設住宅訪問
「浜のミサンガ環」の地域リーダーをされている船砥さんのご好意により、陸前高田市の仮設住宅に行かせていただきました。
まず浜のミサンガをご存知でしょうか?このミサンガは被災された女性が編んで作っており、その売り上げの約半分が作り手の収入になります。仕事をすることにより、収入を得るだけでなく、仲間ができ、仲間と語り合い、それが高齢化の進む仮設住宅内での孤独死も未然に防ぐことができると教えていただきました。
このミサンガの価格は1100円で、被災地だけでなく東京や名古屋、大阪でも販売されています。被災地に行かずとも、これも立派なボランティアになります。様々な色もあるのでぜひチェックしてみて下さい!ちなみに僕も復興食堂で見つけてすぐに購入しました!
仮設住宅に訪問する前に車で陸前高田市と大船渡市を案内していただきました。その中で一番印象に残った場所を紹介したいと思います。
この希望の灯りの近くの石碑には次のように書いてありました。
『この「希望の灯り」は2011年3月11日午後2時46分に発生した
東日本大震災で被災された方々に
少しでも希望を持っていただきたいとの思いから
国内外からのご寄付をもとに
被災地のみなさんとボランティアが協力して建立しました。
ここに灯る火は、1995年1月17日午前5時46分に発生した
阪神淡路大震災で被災した方々をはげまそうと
全国47都道府県から種火が集められ
2000年の1月17日、神戸市の東遊園地に
「1.17希望の灯り」として点灯され、いまも灯り続けています。
震災が教えてくれた
やさしさ、思いやり、仲間、絆の大切さを忘れることなく
ともに歩んでいきましょう。』
2011年12月10日建立
このように被災地のことを多くの人が気にかけていること、日本の絆の強さを感じることができました。これからも希望の灯りが灯し続けるように、被災された方々は希望を持ち続けていってほしいです。そうすれば被災地の早期復興につながっていくはずです。
その後、船砥さんが住んでいる仮設住宅に行かせていただき、そこで多くの話を聞かせていただきました。様々な話を聞いていると仮設住宅の現状や問題、課題が見えてきました。
仮設住宅というと、どこか暗いイメージを持っていましたが、ここは違いました。ご近所付き合いもあり、本当にみなさん仲が良かったです。しかし、最初は仮設住宅の中に知り合いが一人もおらず、会ってもあいさつをする程度で雰囲気も暗かったそうです。さらにこの仮設住宅は、全46世帯中12世帯が一人暮らしのお年寄りと非常に多く、このままでは高齢者の孤独死を招いてしまうと船砥さんは感じ、ミサンガのプロジェクトの参加を促したそうです。
ここまで仲が良い要因としては46世帯と比較的に小さい仮設住宅だからとも考えられます。やはり小さい仮設住宅の方がコミュニティ形成されるのでしょうか。しかし小さい仮設住宅にも問題がありました。50世帯以上ないと最初から交流の場である集会所が設置されなかったそうです。市に問い合わせて1年経過してやっと設置されたようです。その後、実際にその集会所で集まって、楽しく食事や会話をさせていただき、笑い声が絶えなかったです。
集会所でご飯をいただきました
本当に元気いっぱいの方ばかりで逆に元気をもらってしまうほどでした。僕たちのような若い人たちが行くことで本当に喜んでいただけました。船砥さんも、「とにかく仮設住宅に笑顔で来て、私たちと話をしてほしい。話を聞いてもらえると気持ちが本当に楽になる。それでその経験を帰って多くの人に伝えてほしい。」とおっしゃっていました。これも立派なボランティアです。
最後に一枚、、
この言葉のように被災地は徐々にですが復興していっています。この被災地の復興にみなさんも協力することができます。被災地に足を運んで観光するのもボランティア、ミサンガを購入するなど被災地に行かずとも出来るボランティアなど様々なボランティアがあります。他人事だと思わず、被災地の復興の手助けをみんなでしていきましょう!
人がいる、人が来ることの大切さ
東日本大震災から1年が経つこの日、私たちは岩手県釜石市箱崎町でボランティア活動を行いました。ボランティアの人数はやはりこの数日間で1番多く、ボランティア宿舎にも収まらない程でした。この日の作業は箱崎の学校のグラウンドの清掃です。学校のグラウンドといえば整備が施されているため平らで走りやすいのが私のイメージです。しかし、そこにあったのは、大きながれきは無いものの、生活用品や貝殻、ガラス片等の普通あるとは思えないものが、いくら掘っても出てくるグラウンドでした。その光景を見て1年前まで生徒たちが走り回っていた場所とは、私には思えませんでした。
グラウンドの状態。陶器、ガラス片、瓦等落ちているはずのないものが落ちている。
作業自体は14時に終了し、そこから私たちは地震発生時刻である14時46分が訪れるのを待っていました。すると少数ではありますが、この場所で暮らしていたと思われる方々が、住宅跡地の方へ行かれるのが見えました。震災から1年が経つ箱崎の地を見つめながら、何を思っていらっしゃるのでしょうか。一緒に来た人と話している人、ただ見つめている人。私にはその方々の気持ちを想像することしかできません。
箱崎町の宅地跡。奥の方は少し土地が高くなっているため、同じ町内でも被害が少ない。
その方々が自宅の跡を見つめる表情は1人1人異なっています。この場所での生活を思い返しているのか、少しやわらかい表情の方もいれば、悲しみで満ちた表情の方もいます。また、何かの決意をしているような表情の方もいました。震災前の生活、震災が起きてからのこの1年間が異なるため、表情が違うのは当たり前です。しかし、どの方からも、その表情の裏側に何かに対する「想い」を感じました。家族を想う、友人を想う、箱崎での生活を想う。その方向は違っても、愛する何かを想っているという点では、あの時間、皆さん同じだったのではないかと思います。
14時半頃、ある箱崎町民の方がお話をしてくださいました。私はその方がおっしゃったある言葉が印象に残りました。それは「今、大勢の方々が箱崎にいる光景を久々に見ることができて、とても嬉しく思います。」という言葉です。震災前、この街にもたくさんの方が暮らしていらっしゃったでしょう。今は震災の影響で人影が少なくなっています。
私たちは「東北に行くなら、ボランティア等をしなくては」と思いがちかもしれません。しかし、1年が経った今、ボランティアや観光に関わらず「人がこの場にいること」が大切なのではないかと思います。何も無い空き地でも、子供が集まって遊んでいれば、楽しい場所になるように、人が集まればその場所の雰囲気も変わるもの。人が集まるならば、「お店を出そう」など1歩前に踏み出そうと考える方もいらっしゃると思います。現地の方々の「キッカケ」がこの場所に私たちが来ることで生まれるかもしれません。そのキッカケを生み出すためにも、現地で誰よりも先に一歩を踏み出し、人が来ることができる準備を整える人が求められるのだと思います。
そして14時46分のサイレンが鳴り、ボランティア一同は海の方を向きながら黙祷。やっと1年経ったと思う人もいれば、もう1年も経ってしまったと思う人もいます。現地の方のお話を聞いているかぎりでは、後者の方が多い気がしました。生活そのものががらりと変わり、目まぐるしく過ぎて行った1年だったのではないかと思います。
復興計画が立てられ、ここからそれが具体化していき、何十年という長い年月をかけて街が復興していくでしょう。復興していく過程で、実際に目で見ることができる、また感じることができる震災が残した爪痕は、毎日少しずつ無くなっていきます。今日私たちが見た箱崎の光景や雰囲気を知っているのは私たちのようにその場にいた人間だけ。それは私の財産であり、またみんなで共有すべき情報です。関西に戻ったら、その情報を自分の周りの人に言葉で伝えることから始めようと思います。言葉にすることの難しさを東北に来て毎日感じます。言葉は大きな影響力を持つものでもあり、時に儚いものでもあるからです。しかし、まっすぐにこの震災と向き合い、その一言をみつけていきます。
復興が終わる日
この日東日本大震災が発生してからちょうど一年がたちました。
この日僕は釜石市箱崎町にある学校のグラウンドの清掃作業に参加しました。海に近いこともありグラウンドにはかつて使われていたことであろう陶器の破片、ガラス、赤レンガ、木材、排水管の一部分などがグラウンドの上に転がっていたり埋まっていたりしていました。今回の活動はこれらを可燃物、金属、ガラス、赤レンガ、コンクリートに分別をして集めます。震災から一年の節目の年でもあり活動に参加している人の数もいつもより多かったような気がします。
清掃中に集めている瓦礫などを見ていると防波堤の一部と思われるコンクリートの塊が転がっていたり、津波の力を再認識させられるものがあちらこちらに見受けられることができました。 そしてこの日、作業自体は14時ごろに終了しました。 その後、地震の発生した14時46分に今回の震災で亡くなった方々に黙とうを捧げました。
津波によって倒された防波堤。
右端の車で防波堤の大きさが分かると思います。
津波によって流された宅地跡
活動を終えて遠野市に戻ったあと、住民の方のお話を聞くことができました。その方は「震災から一年がたったが、当時に比べて報道の数が減った。3月11日前後は多く報道されるがそれを終えるとまた報道の数が減る。」と仰っていましました。 震災から一年が経過しました。テレビなどの報道数も震災直後に比べて大きく減ってきました。東北から離れた地域で暮らしている人はテレビなどの情報でしか現地の様子を知ることができません。その報道では比較的復興の進んでいる所を取り上げることが多いです。
確かに仮設商店街など復興の兆しとなる施設ができてきています。しかしその報道だけを見るとどうしても復興が進んでいるのだと認識してしまいます。津波で流された住宅の跡地の清掃は人数にもよりますが一日に1軒~2軒が限界でした。この他にも海水で鉄筋が錆びてしまった建物の錆び取りや、カキ養殖のいかだつくりのお手伝いなど復興に向けてしなければならないことはまだまだあります。 震災が発生した当初よりメディアによる報道が減り、東北への関心も当初よりは低くなっていると思います。震災から一年を迎え瓦礫の問題、原発の問題など、復興に向けて自分達に何ができるのかを改めて考え直すべきではないかと思いました。
最後になりましたが復興とは何なのでしょうか?自分が思うにそれは現地の人たちが決めることだと思います。復興の意味は『いったん衰えたものが、再びもとの盛んな状態に返ること。』あります。震災前、現地の方々がどのような生活をしていたかは僕たちには分かりません。再びもとの盛んな状態になったかはその地域に暮らしている人にしか実感できないと思います。その地域に住む方々がそう実感できる日まで復興作業は続くのだと思いました。
大槌町の仮設商店街のお店
3月11日 農家民宿オープン! ―強さと生きる力
3月11日は阿部農縁の農家民宿がオープンする日です!
この日を迎えるために、3月9日、10日、東京大学生のボランティアさん達や寺山さんの娘さんも交えて私達は農園のお手伝いだけでなく民宿の改装のお手伝いもしました。特に民宿内の壁塗りは初めての体験で、とても印象に残っています!
11日、農家民宿のオープン日では「民宿オープン内覧会」として、同じ農家仲間の森農園さんによるギター演奏や地元の方との餅つき大会、民宿でのカルタ大会などが催され、阿部農縁に関わる様々な世代、繋がりの方達とのふれあいがありました。皆さんとても楽しんでおられ、非常に盛り上がりました。
また、14:46の東日本大震災発生時刻には参加者全員で黙とうし、亡くなった方々へのご冥福をお祈りしたと同時に今、生きていられていることへの感謝をしました。
寺山さんは震災発生当時、桃の摘蕾をしている中で被災されました。また福島第一原発の水素爆発による放射性物質などで不安な日々を送られ、一時は県外非難を考えられたらしいのですが放射線量が下がり、福島に踏みとどまることにしたらしいです。しかし、そこに風評被害という問題が寺山さんに突き付けられました。贈答用の桃から徐々に売れなくなり、売れ行きは震災前に比べて落ちたらしく、めげずに首都圏での復興イベントなどに出向いて直売を続けるも福島の桃だと知ると「検査済みですよ」と説明しても返す客がいたそう。「農産物を売り続けるために、ずっとこんな売り方をしなければいけないのか?福島という土地、農産物を理解する真のファンをじっくり作るためには、実際に福島にきていただいた方が良い」と、震災が発生した1年後にあたるこの日に農家民宿を始める決意をされたらしいです。「私達はここで生きている。思いを共存できる人と一緒に福島の自然・人・農業にふれあい、福島を楽しみたい。福島県に多くの人が来てこそ、本当の復興になるんだ。」と風評被害などの問題に負けず、むしろ跳ね返そうとしていらっしゃいます。
この日の寺山さんは1日中笑顔でいっぱいでした。阿部農縁を応援する地元の方、同じ農園仲間の方、様々なご縁で繋がった関東地方にお住まいの方や学生さんたち…たくさんの方に囲まれ、とても幸せそうでした。
まだ、私はたった1週間しか福島県に滞在していませんが、福島県の皆さんのたくさんの「強さ」を知りました。福島を愛し守り抜こうとする強さ、今まで人間が経験したことのなかった辛さや苦しみに立ち向かい跳ね返そうとする強さ、常に前向きに考え自分の人生をめいいっぱい楽しむ強さ。福島県の皆さんは自ら持っている様々な強さを味方に放射線問題、風評被害などに立ち向かっておられます。この様々な強さが今の福島の方々の生きる力となっているのだと考えます。このような福島県の方達と共に毎日過ごさせていただいてこちらも生きる力と元気をいただけ、同じ人間として学ぶこともたくさんあります。東北地方の復興を願い応援する全国の方にも是非福島を訪れ、生きる力を感じとっていただき、みんなで共に復興していけたら良いなと考えます。













