久慈班の活動概要と、久慈市における観光
私は17日に帰阪するため、活動も残りわずかとなった今、このことを書くのは遅すぎるとも思うのですが、そもそも私(私たち)が久慈にどういった目的をもってどのような活動を毎日送っているのかの概要を報告しようと思います。
私たちふるさと調査隊久慈班は久慈広域観光協議会さんにお世話になり久慈周辺で活動をしています。
東日本大震災を受けての久慈市の被害状況は最も大きな割合を占めるのが半壊で約4割を占めます。次いで一部損壊が3割弱を占めます。被害状況は地区によって異なりますが、隣に位置する野田村や有名なのに比べれば被害は軽く2012年3月現在、沿岸部以外での視覚的に悲惨な被害はあまり見受けられないように感じます。
上記のような被害状況に加えて、政府の方針が出る前にいち早く行動を起こした久慈市は県内で最も早く瓦礫の撤去が済んだそうで、遠野組のようなボランティア活動を通しての被災地学習、交流はほとんどできません。
そのため私は、久慈市において「外から引っ越して来た市民」のような形で市民の人々がよく利用するスーパーへ行ったり、外部から来た人が訪れる観光地を巡ったりする中である意味自然な形で観光に携わる方や一般の市民の方との交流を図っています。
そういった中で外部の人間だからこそ新鮮に感じるものを記録に残して報告させて頂くことにしました。
そういうわけで観光に関する資源について調査しているのですが、そもそも久慈市における観光とはどういった存在なのかを考えずに今に至っており、改めて考えてみました。
今回の東日本大震災を受けて作られた久慈市の復興計画の基盤は「新たな視点による、新たなまちづくり」であり、その計画を先導する5つのプロジェクトが打ち立てられました。それは下記のようになっています。
1.「生活を再建する」
2.「水産業を復興する」
3.「交流人口を拡大する」
4.「災害に強いまちづくりを進める」
5.「再生可能エネルギー等に取り組む」
プロジェクト3の「交流人口を拡大する」は外部から来た人と現地の人が交流をもつ事であり、具体的には「生産者と消費者との交流を進めることによって、本市の持つ海・山・里の良さを他の地域に積極的に発信し、本市がその交流拠点のモデル地域としての役割を担える町を目指します。」とのことで、観光業も含まれます。
なかでも「生産者と消費者の交流推進」項目では下のような事業が組まれており、私が注目したいのは農山漁村体験型交流事業についてです。
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事業名 |
事業主体 |
事業概要 |
事業 期間 |
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特産品PR事業 |
市・体験学習協会 |
都市部等の中高生教育 旅行等の受入れ |
全期間 |
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移住・定住促進事業 |
市 |
市の情報発信・PRを行い、生活体験や交流機会を 提供することにより 移住・定住を促進 |
全期間 |
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農山漁村体験型 交流事業 |
市・体験学習協会 |
海の資源等を活用した 新しいプログラムの整備 |
全期間 |
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紹介宣伝事業 |
市・体験学習協会・観光物産協会 |
首都圏における特産品の 販売やイベントの開催、 自然体験キャンプ等のPR |
全期間 |
(平成23年7月久慈市復興計画より)
私はかねてから「よい観光地であってもそれぞれが離れていて、車がなければ行けないというのは気持ちがくじかれるだろう」という思いがありそのことを、市役所の商工観光課の方にお話伺いました。
するとやはり観光課の方もそれは感じているらしく考案する観光は一日で回るのではなく時間をかけて回る、つまり時間に余裕のある団塊の世代に向けたツアーになるそうです。
しかし先ほどの復興計画に挙げられていた「特産品事業PR」や「農山漁村体験型交流事業」は事業概要にもある通り、中高生の学びの場としての活用も新たに考えてらっしゃいます。
上記のものはやはりバスを使ってのツアー旅行となっていますが、商工観光課の方いわく、2012年4月から土日限定で周回バスを走らせるそうです。
バス代はおおむね500~1000円だそうで、まだ詳しいことはわかりませんが、これがあれば個人で来た観光客の金銭的負担、精神的負担ともに軽くなるのではと思います。
ポストカード
私たちがお世話になっている久慈観光協議会でキャラクターデザインなどを手掛けてらっしゃる佐藤さんが、私たちの似顔絵と北いわてをコラボレーションさせたポストカードを描いてくださいました!!
白井くんは秋田県のなまはげと同じように「きかねぇワラスは連れて帰るぞ」と家々に怒鳴りながらやってくる「なもみ」、森脇さんは種市沿岸名産のホヤ、丸井くんは三陸を走るローカル線三陸鉄道、私長田は日本最大の琥珀産出地である久慈は琥珀王国であるということでそれぞれストーリー性をもたせて描いてくれました!
裏面にはそれぞれのプロフィールも書いてくださっています!
ポストカード表
ポストカード裏
似ているのに実物よりかわいくデフォルメしてあるのがすごいですよね(^―^)!!
こちらは佐藤さんが手がけたステッカーです。
この他にも数多くのイラストグッズのデザインを手掛けていらっしゃり、久慈観光協議会では「道の駅シールラリー」という決められた道の駅を回ってすべてのシールを集めると似顔絵を描いてもらえるイベントを3/25まで行っているのですがその似顔絵も佐藤さんが描いていらっしゃいます。
こういう風にイラストやデザインのセンスというのは磨こうとして磨けるものではないし、画家やイラストレーターといった職業以外でも芸は身を助けるとはこういうことを言うのだなあと感じます。
佐藤さんありがとうございます!!
道の駅・おりつめと、道の駅のあり方について
久慈からバスで45分ほど。岩手県の九戸という町に、道の駅「おりつめ」という施設があります。今日はそのことについて書きたいと思います。
ここは久慈から新幹線の駅・二戸へ行く途中にあり、近くには高速道路の九戸インターもあります。だからアクセスは抜群で、道の駅の売り上げも岩手県内でトップクラス。夏のピーク時には月に2万人ほどの来館客数があるそうです。自分が訪ねた時も、常に誰か、人がいる状態でした。
【写真1:道の駅・おりつめの外観。周辺に民家は少なく、山深いところにある。】
この道の駅で一番充実している商品は、なんといっても産直の商品です。全て九戸産の、野菜や雑穀、木炭と、様々な地域の特産品が売っています。中でも一番売れているのは野菜、特に今の時季はキャベツで、地域の人が次々と買っていきました。その日に収穫したものが商品として売られるので、どれも新鮮なものばかりです。
他にも、パンやお惣菜、そしてリピーターが多く青森から買いに来ている人もいるというシフォンケーキやおまんじゅう。加えて特産品の「甘茶」に、「南部箪笥」という、江戸時代に興った、地域の高級な家具ブランドの商品も売っています。少し値は張りますが、良い品を長く使えるので、人気があると担当の方はおっしゃっていました。
【写真2:中の様子。左側に売られているのが野菜。】
【写真3:南部箪笥が売られているコーナー。】
さて、この道の駅で、ひとつ気になったところがあります。
前述したとおり、アクセスが非常に良い道の駅です。だから、訪問する前は、他県の人向けへのお土産物が多い道の駅なのだろうなぁ、と思っていました。しかし実際に行ってみると、全然そんなことはなく、むしろ地域密着型。お土産はあまり売っていませんでした。
聞くところによると、観光バスは、あまり来ないそうです。これは震災により東北への観光客が減ったことが一番の要因で、震災前の1/10になってしまいました。なおかつ、バスを停めてもトイレ休憩だけで、商品を買わないこともあるそうです。けれども、バスが来るか来ないかで、売り上げが大きく変わってくるのも事実です。
これほど立地条件が優れているのですから、売り場面積を拡大、ますますお土産品を充実させて、観光バスを気軽に停めさせるようにするのもよいのかな、と思いました。
そうすれば併設されているレストランも潤うでしょうし、この地域の名物「せんべい天ぷら」を、揚げたてで提供する、といった店があってもよいかもしれません。
【写真4:名物のせんべい天ぷら。おいしいのだが、冷めた状態で提供されるのは残念。】
また、道の駅ということで、車で来ることが前提になっています。この地域が極端な車社会ということも相まって、周囲の観光地案内も、「車で○○分」と書かれています。
これは、道の駅全体に言えることでしょうが、車を使えない人を、どうやって道の駅に呼び込むか。加えて、冬場に、山間部にある道の駅にどのように人を呼び込むか。これらを今後の課題かと考えます。もちろん駅前や市街地にある道の駅もあるのですが、免許を持っていない若者や高齢者を道の駅に呼ぶことができたら、もっと地域は活性化するでしょう。
現に、道の駅に人を呼ぶため、シールラリーや、ご当地ソフトクリームマップと、様々な工夫がなされています。このような活動が実を結び、岩手県が元気になればよいなぁ、と思いました。
八戸の町を視察
この日は、青森県の八戸市へ行きました。 久慈周辺で地元の方と話してみると、八戸へ買い物に行くと言う人が多くおられたので、自分の目で、八戸という街がどのようなものか、知りたかったのです。 久慈から八戸まではJR八戸線が運行されていましたが、津波で鉄橋が流され、全線での営業は3月17日まで待たなければならない状態にあります。そのため途中まで代行バスがありますが本数はとても少ない上、ダイヤも不安定なので、交通手段がJRしかない高校生は、さぞ不便だろうなあと思いました。実際、自分は朝5時過ぎの始発バスに乗りましたが、既に高校生が乗っている状態でした。 八戸を語る上で、市場は欠かせません。 八戸港の近くでやっている公設の市場は、日曜日を除いてほぼ毎日営業しており、50軒ほどのお店が入っています。どのお店も活気があり、はつらつとしたかっちゃ(こちらの方言で、お母さんという意味)の声が響いていて、心地よかったです。 この市場は毎日のように通っている地元の人が多く、散歩がてら立ち寄って、お店の人と喋り、朝食を食べて、おかずを買って帰るというパターンが多いそうです。自分もお店で好きな刺身や惣菜を買い、市場の空気をおかずにして朝食を食べる。とても贅沢な時間を過ごしました。おまけに魚は安くて新鮮で、美味しい。八戸は市を挙げてこの市場と朝食をPRしています。
【市場の様子】
【この日の朝食。これで500円というお値段】
震災の日、津波は八戸をも襲いました。八戸港の水揚げ高は日本でもトップクラスで、漁業が盛んな町だったので、大打撃を受けました。魚が獲れなくなり、市場に魚が来なくなって売り上げは落ちたそうですが、この日の市場の活気を見ると、そのような過去があったとはみじんも感じられませんでした。 それでも、八戸港に実際へ行って見てみると、津波の爪痕がはっきりと残っていました。
【津波で壊れたと思われる岸壁】
そして、町を歩いていて、至る所から工場の煙が見えました。八戸港は工業港としての役割もあるのです。八戸が栄えている理由は漁業と工業という、ふたつの産業があるからだと考えました。ひとつの産業が被害を受けても、もうひとつの産業がカバーする。こういうことができているのが八戸の強みだと思いました。
【八戸港から工場の煙突を見る】
八戸の町が地震の被害を受けたということは、あまり知られていないのが現実だと思います。実際、メディアに多く流れているのは岩手、宮城、福島で、青森の被害はあまり報道されていません。市街地はとても賑わっていて、久慈市民が買い物へ行くというのも、分かる気がしました。 しかし、まだ津波の跡が残っている八戸港を見ると、青森が被害を受けたということは、もっと注目されてもよい事実なのになぁ・・・と感じました。
初めての仮設住宅訪問
「浜のミサンガ環」の地域リーダーをされている船砥さんのご好意により、陸前高田市の仮設住宅に行かせていただきました。
まず浜のミサンガをご存知でしょうか?このミサンガは被災された女性が編んで作っており、その売り上げの約半分が作り手の収入になります。仕事をすることにより、収入を得るだけでなく、仲間ができ、仲間と語り合い、それが高齢化の進む仮設住宅内での孤独死も未然に防ぐことができると教えていただきました。
このミサンガの価格は1100円で、被災地だけでなく東京や名古屋、大阪でも販売されています。被災地に行かずとも、これも立派なボランティアになります。様々な色もあるのでぜひチェックしてみて下さい!ちなみに僕も復興食堂で見つけてすぐに購入しました!
仮設住宅に訪問する前に車で陸前高田市と大船渡市を案内していただきました。その中で一番印象に残った場所を紹介したいと思います。
この希望の灯りの近くの石碑には次のように書いてありました。
『この「希望の灯り」は2011年3月11日午後2時46分に発生した
東日本大震災で被災された方々に
少しでも希望を持っていただきたいとの思いから
国内外からのご寄付をもとに
被災地のみなさんとボランティアが協力して建立しました。
ここに灯る火は、1995年1月17日午前5時46分に発生した
阪神淡路大震災で被災した方々をはげまそうと
全国47都道府県から種火が集められ
2000年の1月17日、神戸市の東遊園地に
「1.17希望の灯り」として点灯され、いまも灯り続けています。
震災が教えてくれた
やさしさ、思いやり、仲間、絆の大切さを忘れることなく
ともに歩んでいきましょう。』
2011年12月10日建立
このように被災地のことを多くの人が気にかけていること、日本の絆の強さを感じることができました。これからも希望の灯りが灯し続けるように、被災された方々は希望を持ち続けていってほしいです。そうすれば被災地の早期復興につながっていくはずです。
その後、船砥さんが住んでいる仮設住宅に行かせていただき、そこで多くの話を聞かせていただきました。様々な話を聞いていると仮設住宅の現状や問題、課題が見えてきました。
仮設住宅というと、どこか暗いイメージを持っていましたが、ここは違いました。ご近所付き合いもあり、本当にみなさん仲が良かったです。しかし、最初は仮設住宅の中に知り合いが一人もおらず、会ってもあいさつをする程度で雰囲気も暗かったそうです。さらにこの仮設住宅は、全46世帯中12世帯が一人暮らしのお年寄りと非常に多く、このままでは高齢者の孤独死を招いてしまうと船砥さんは感じ、ミサンガのプロジェクトの参加を促したそうです。
ここまで仲が良い要因としては46世帯と比較的に小さい仮設住宅だからとも考えられます。やはり小さい仮設住宅の方がコミュニティ形成されるのでしょうか。しかし小さい仮設住宅にも問題がありました。50世帯以上ないと最初から交流の場である集会所が設置されなかったそうです。市に問い合わせて1年経過してやっと設置されたようです。その後、実際にその集会所で集まって、楽しく食事や会話をさせていただき、笑い声が絶えなかったです。
集会所でご飯をいただきました
本当に元気いっぱいの方ばかりで逆に元気をもらってしまうほどでした。僕たちのような若い人たちが行くことで本当に喜んでいただけました。船砥さんも、「とにかく仮設住宅に笑顔で来て、私たちと話をしてほしい。話を聞いてもらえると気持ちが本当に楽になる。それでその経験を帰って多くの人に伝えてほしい。」とおっしゃっていました。これも立派なボランティアです。
最後に一枚、、
この言葉のように被災地は徐々にですが復興していっています。この被災地の復興にみなさんも協力することができます。被災地に足を運んで観光するのもボランティア、ミサンガを購入するなど被災地に行かずとも出来るボランティアなど様々なボランティアがあります。他人事だと思わず、被災地の復興の手助けをみんなでしていきましょう!


















