丸井和彦の投稿一覧
3月
20

『食』を通した観光のアプローチ

震災で被害を受けた三陸沿岸に人を呼ぼう!!、ということで、様々な取り組みが行われています。 

そのひとつが、「駅―1(エキイチ)グルメ」というものです。

もともと三陸沿岸は海の幸だらけで、その土地で何を食べたらよいのかが分かりませんでした。そのため貫牛さんをはじめとした有志の方たちが、地域の人たちと一緒にその地域に合うおすすめメニューを考え、商品化したものです。三陸沿岸の陸前高田から八戸まで、3県に跨って、23駅、30店が対象店舗です。

いわば食を通しての地域おこしと言えるでしょうか。もともと昨年からあった企画でしたが震災の影響を受け中断、今回第二弾として再開しました。

パンフレットパンフレット

今回は、そのうち2つを紹介したいと思います。

洋野町・種市駅の「はまなす亭 本店」は、天然ホヤが命のお店。もともとは海岸沿いに店を設けていましたが、今回の震災でお店が流されてしまいました。それでもなんとか営業を再開することができ、再びおいしいホヤ料理や、海鮮ラーメンを食べることができるようになりました。

もともとこの周辺は、稚ウニを飼育する、ウニ栽培漁業センターがありました。観光コースではセンターを見学し、ここのお店でご飯を食べる、というルートとなっていました。センターはまだ完全に復活していないので、いつかまた震災前と同じルートの旅行を復活することができたらよいな、と感じました。

 はまなす亭で提供される「庭のはまなす丼」。ホヤのから揚げが入っています。庭のはまなす丼

 もう一つは、久慈駅の「まめぶの家」。

そもそも、「まめぶ」をご存知でしょうか。「まめぶ」とは、久慈の郷土料理です。一見、すいとんのようですが、小麦粉で作った団子の中に、クルミが入っているのが最大の特徴です。一口食べるとクルミと砂糖の甘さが口の中に広がります。久慈市の旧山形村地域では、まめぶがお祝いの時に食べる料理として定着しています。

この料理は昨年のB-1グランプリにも出場し、知名度は年々上がっています。全国区に「まめぶ」の名が轟く日もそう遠い話ではないかもしれません。

まめぶ汁。まめぶが5個入っていて、あとは椎茸やニンジンなど。まめぶ汁

これは、岩手県中核観光コーディネーターの草野さんがおっしゃっていたことですが、三陸沿岸の北部は、景勝地を含む観光地、という魅力があります。しかし、南部は震災で被害を受けてしまったので、現在はそのような魅力がない状態になってしまっているとのことです。

それでも、三陸沿岸の北部と南部共通している魅力があります。それは、「食」の魅力です。

有名旅行雑誌の調査によると、旅行の目的は「食」と「温泉」が、上位2項目を占めているということです。つまり、美味しかったり、珍しいような「食」があれば、人を呼ぶことができるというわけなのです。

 

富士宮市の富士宮焼きそばみたく、「久慈と言えばまめぶ!」という風に売り込むことができたら、久慈へ来るきっかけができます。観光客の数も増え、地域経済も豊かになるでしょう。「食」を通した観光客へのアプローチ。十分成り立つと思います。

3月
14

がれき処理と仮設住宅の問題

岩手県中核観光コーディネーターの会長、草野さんの案内で、宮古の街を巡りました。駅前はとても人が多く、賑わっているなあと感じたのですが、いざ港の周辺へ行くと状況は一変。人はほとんど歩いておらず、津波で流されて、土台だけが残った家ばかりが残っていました。市街地が被害を受けておらず、港の周りが被害を受けているのは久慈市と同様ですが、久慈市はここまでの被害を受けていません。

 津波の被害を受けた宮古市の様子(橋の上から俯瞰して撮影)

 聞くところによると、このように土台だけ残った家というのはとても厄介だそうです。なぜならば、家を再建するためには、この土台をすべて取り除くという工程を挟むからです。かさ上げをする時も同様です。これは民家だけでなく工場にも言えることで、手間とコストがかかり、街の復興・復活への、大きな妨げになります。では、再建するために、土台を取り除くとしましょう。そうなるとその土台はどうなるでしょうか。もちろん、がれきとして処分されます。つまり、今日問題となっている、がれきの広域処理の問題にも繋がるのです。

 岩手県は平成24年3月末までにがれきの全撤去、平成26年3月末までに、全部の処理を目指しています。宮古市も例外ではなく、東京都による広域処理に対する協力を得ているといっても、まだまだ処理するがれきは残されています。しかし、これら住宅の土台を撤去しようとすると、またがれきの量は増えるのです。すなわち、現地の復興は、また遅れることとなるでしょう。

 そのままになっている土台。このすぐ裏は、海となっています。

 だから、がれきを東北の各県だけではなく、日本の至る所で処分しなければならないといけない、と声を大にして言いたいです。これこそ助け合い、昨年の流行語大賞トップテンに入った、「絆」ということではないのかな、と自分は思います。宮古だけにとどまらず、この震災で生じたがれきの処理を受け入れてくれる自治体は、少ないのが現実です。状況はすぐに好転せず、きっとまだ、この件の解決には時間を要するでしょう。それでも、早くがれきの処理がなされることを、切に願います。

 

さて、これは仮設住宅の写真です。

仮設住宅ハウジングメーカーが作った仮設住宅は、壁が緑色に塗られている。

この仮設住宅は景勝地・浄土ヶ浜から車で数分のところに位置しています。おそらく、岩手県は山間部が多く、なおかつ海沿いを避けようとした結果、観光地のそばでも、仮設住宅を建てるとこととなったのでしょう。仮設住宅を建てる土地がないことがうかがえます。

仮設住宅にもさまざまな問題があります。集合住宅みたいに密集しているところがあれば、10戸ほどでポツンと設置されている仮設住宅もあります。バス停の近くにあるところがあれば、バスが通っていない場所に設置された仮設住宅もあります。高校に通うため、駅まで他の人の車に乗せてもらう・・・という学生もいるそうで、とても不便を強いられている状況です。

つまり、仮設住宅ひとつとっても、格差があるということなのです。もとの場所に家を建てることができるなら、問題はありません。しかし今回は海沿いの、元あった場所に家を建てることができるか。それが焦点となっていて、すぐに建てることはできないでしょう。

 阪神淡路大震災の時は、仮設住宅から住民が退出するのに、5年近くの時を要しました。おそらく、今回の震災では、もっと時間がかかるのではないか。自分はそう考えています。ともかく、今は地域の住民の方との話し合いの時期。慎重に議論を、進めてほしいものです。

 三陸屈指の景勝地・浄土ヶ浜。

3月
14

道の駅・おりつめと、道の駅のあり方について

久慈からバスで45分ほど。岩手県の九戸という町に、道の駅「おりつめ」という施設があります。今日はそのことについて書きたいと思います。

 

ここは久慈から新幹線の駅・二戸へ行く途中にあり、近くには高速道路の九戸インターもあります。だからアクセスは抜群で、道の駅の売り上げも岩手県内でトップクラス。夏のピーク時には月に2万人ほどの来館客数があるそうです。自分が訪ねた時も、常に誰か、人がいる状態でした。

 

【写真1:道の駅・おりつめの外観。周辺に民家は少なく、山深いところにある。】

 

この道の駅で一番充実している商品は、なんといっても産直の商品です。全て九戸産の、野菜や雑穀、木炭と、様々な地域の特産品が売っています。中でも一番売れているのは野菜、特に今の時季はキャベツで、地域の人が次々と買っていきました。その日に収穫したものが商品として売られるので、どれも新鮮なものばかりです。

 

他にも、パンやお惣菜、そしてリピーターが多く青森から買いに来ている人もいるというシフォンケーキやおまんじゅう。加えて特産品の「甘茶」に、「南部箪笥」という、江戸時代に興った、地域の高級な家具ブランドの商品も売っています。少し値は張りますが、良い品を長く使えるので、人気があると担当の方はおっしゃっていました。

 

【写真2:中の様子。左側に売られているのが野菜。】

【写真3:南部箪笥が売られているコーナー。】

 

さて、この道の駅で、ひとつ気になったところがあります。

前述したとおり、アクセスが非常に良い道の駅です。だから、訪問する前は、他県の人向けへのお土産物が多い道の駅なのだろうなぁ、と思っていました。しかし実際に行ってみると、全然そんなことはなく、むしろ地域密着型。お土産はあまり売っていませんでした。

聞くところによると、観光バスは、あまり来ないそうです。これは震災により東北への観光客が減ったことが一番の要因で、震災前の1/10になってしまいました。なおかつ、バスを停めてもトイレ休憩だけで、商品を買わないこともあるそうです。けれども、バスが来るか来ないかで、売り上げが大きく変わってくるのも事実です。

 

これほど立地条件が優れているのですから、売り場面積を拡大、ますますお土産品を充実させて、観光バスを気軽に停めさせるようにするのもよいのかな、と思いました。

そうすれば併設されているレストランも潤うでしょうし、この地域の名物「せんべい天ぷら」を、揚げたてで提供する、といった店があってもよいかもしれません。

 

【写真4:名物のせんべい天ぷら。おいしいのだが、冷めた状態で提供されるのは残念。】

また、道の駅ということで、車で来ることが前提になっています。この地域が極端な車社会ということも相まって、周囲の観光地案内も、「車で○○分」と書かれています。

これは、道の駅全体に言えることでしょうが、車を使えない人を、どうやって道の駅に呼び込むか。加えて、冬場に、山間部にある道の駅にどのように人を呼び込むか。これらを今後の課題かと考えます。もちろん駅前や市街地にある道の駅もあるのですが、免許を持っていない若者や高齢者を道の駅に呼ぶことができたら、もっと地域は活性化するでしょう。

 

現に、道の駅に人を呼ぶため、シールラリーや、ご当地ソフトクリームマップと、様々な工夫がなされています。このような活動が実を結び、岩手県が元気になればよいなぁ、と思いました。

3月
13

八戸の町を視察

この日は、青森県の八戸市へ行きました。 久慈周辺で地元の方と話してみると、八戸へ買い物に行くと言う人が多くおられたので、自分の目で、八戸という街がどのようなものか、知りたかったのです。 久慈から八戸まではJR八戸線が運行されていましたが、津波で鉄橋が流され、全線での営業は3月17日まで待たなければならない状態にあります。そのため途中まで代行バスがありますが本数はとても少ない上、ダイヤも不安定なので、交通手段がJRしかない高校生は、さぞ不便だろうなあと思いました。実際、自分は朝5時過ぎの始発バスに乗りましたが、既に高校生が乗っている状態でした。 八戸を語る上で、市場は欠かせません。 八戸港の近くでやっている公設の市場は、日曜日を除いてほぼ毎日営業しており、50軒ほどのお店が入っています。どのお店も活気があり、はつらつとしたかっちゃ(こちらの方言で、お母さんという意味)の声が響いていて、心地よかったです。 この市場は毎日のように通っている地元の人が多く、散歩がてら立ち寄って、お店の人と喋り、朝食を食べて、おかずを買って帰るというパターンが多いそうです。自分もお店で好きな刺身や惣菜を買い、市場の空気をおかずにして朝食を食べる。とても贅沢な時間を過ごしました。おまけに魚は安くて新鮮で、美味しい。八戸は市を挙げてこの市場と朝食をPRしています。

【市場の様子】

【この日の朝食。これで500円というお値段】

震災の日、津波は八戸をも襲いました。八戸港の水揚げ高は日本でもトップクラスで、漁業が盛んな町だったので、大打撃を受けました。魚が獲れなくなり、市場に魚が来なくなって売り上げは落ちたそうですが、この日の市場の活気を見ると、そのような過去があったとはみじんも感じられませんでした。 それでも、八戸港に実際へ行って見てみると、津波の爪痕がはっきりと残っていました。

【津波で壊れたと思われる岸壁】

そして、町を歩いていて、至る所から工場の煙が見えました。八戸港は工業港としての役割もあるのです。八戸が栄えている理由は漁業と工業という、ふたつの産業があるからだと考えました。ひとつの産業が被害を受けても、もうひとつの産業がカバーする。こういうことができているのが八戸の強みだと思いました。

【八戸港から工場の煙突を見る】

八戸の町が地震の被害を受けたということは、あまり知られていないのが現実だと思います。実際、メディアに多く流れているのは岩手、宮城、福島で、青森の被害はあまり報道されていません。市街地はとても賑わっていて、久慈市民が買い物へ行くというのも、分かる気がしました。 しかし、まだ津波の跡が残っている八戸港を見ると、青森が被害を受けたということは、もっと注目されてもよい事実なのになぁ・・・と感じました。

3月
8

野田村での、或るお店の人との会話

この日は野田村の人に話を聞いてみることにして、村の中を歩き、気になったお店に入ってその人にお話を聞くことにしました。

いくつかのお店でお話を聞きましたが、その中でも僕が一番気になったお店は、野田村にある数少ない衣料品店の「中伊」さんです。

このお店は、震災が発生して、3階建てビルの1階、店舗部分に木材や泥が流れ込み、建物が流されることはなかったものの、とうてい営業はできない状態になってしまったそうです。

 

お店の正面。震災当日は1階部分がまるまる、ゴミで埋まってしまった。中伊

 

服はもちろん売れない状態となってしまい、ラックも海水が原因で錆びついて使えなくなりました。3月11日は入学シーズン直前で、それらの商品が大きい被害を受けてしまい、かなりの苦労があったそうです。

震災当初から、近所に住む人から「早く店を開けてほしい。」と要望がありましたが、お店は何から手を付けたらよいのか分からない状態で、元の状態に戻すのには時間がかかったそうです。それでもボランティアの支援もあり、ゆっくりですがゴミを片づけ、ラックを買い揃え、床や柱の壁紙やガラスを新しいものに取り換えたのち、7月に再オープンの運びとなりました。

 このお店の特徴は、フロアの中央に、大きなテーブルと、椅子が置かれていることです。

 

お店のちょうど真ん中ぐらいのところに置かれているテーブルと椅子。テーブルとイス

 

これらは震災前にはなかったもので、もちろん設置されたのには目的があります。

それは、このお店を単なる買い物の場ではなく、「憩いの場」にしたいから、という思いからです。買い物というより、地域の人とお茶を飲みながら、おしゃべりをする場所。時間つぶしなど、気軽に入ってきて欲しい場所としたかったのです。

このことを話されたとき、お店の方は、とても嬉しそうでした。実際、自分たちがこのお店に来た時も既にひとりの方と談笑をしており、野田村の「憩いの場」として、活用されているようでした。

 

しかしこのお店の方はこうも言っておられました。「道の前の街灯がなく、夕方や夜は暗くて寂しい。これじゃぁ夜、店に来る人はいない。」と。

たしかに、お店の前の道の街灯は数が少なく、ほかに営業している店や民家も少ないので、暗そうだな、という印象を持ちました。これでは人足が遠のくのも分かる気がします。

 

 店の前の道路。人はあまり歩いていません。夜はもっと減るのでしょう。

 

今まで街灯に注目したことはありませんでしたが、改めて新しく整備する道路に街灯の必要性を感じました。

そのためにも、復興計画の策定を急ぐべきだと考えます。野田村に限ったことではないですが、復興計画が決まっていない市町村は少なからずあります。区画整理や高台移転など決めなくてはならない課題は山積していますが、野田村が震災前の活気を取り戻すためにも一刻も早い策定が必要だな、と考えました。