久慈における公共交通機関
久慈広域観光協議会主催のウォーキングイベント「ぐるてく」に参加させて頂きました。お年寄りとそのお孫さんが主に参加されていましたが、約6.2kmの距離を歩くなかで色々な話をしました。そんな中で出てきたのが、昨日開通記念映像の撮影にも参加させて頂いた三陸鉄道の話です。
三陸鉄道は震災の影響で北リアス線は久慈駅―陸中野田駅間、小本駅―宮古駅間が運行していて、他の区間は運休している状況でしたが、この4月から久慈駅から田野畑駅まで延伸します。三陸鉄道は震災前からずっと赤字が続いており行政からの援助を受けています。
久慈に限ったことではありませんが地方では車移動が基本でありほとんどの人が自動車免許を所持しています。そのことから学生やお年寄りといった交通弱者を除けばほとんど電車に乗ることはないそうです。
そのような状況を受け、三陸鉄道と三陸鉄道を支援する団体では、沿線地域住民の三陸鉄道に対するマイレール意識の高揚とその利用促進を図るため、マイレール三鉄・沿線地域30万人運動として、「年に1度は三陸鉄道に乗りましょう」という活動を行っています。
車移動が基本な状況は三陸鉄道のみならず公共交通機関全般の本数を減らします。バスも現在久慈で洋野町方面に運行しているのは市バスのみです。地元の人はみんな車を所持し運転して移動しますが、よそから来た私たちや観光客はおおむね公共交通機関を利用しようとします。
しかしそれが使えないとなるとタクシーを使わざるを得なくなり予算がかさみます。そうなると観光で行こうかなという気持ちがくじかれる人もいるでしょう。
よそから来る人が少ないため公共交通機関が廃れるのか、公共交通機関が少ないためよそから来る人が少なくなるのか、どちらが先と言うことはできませんが人を呼ぶには目玉となるモノだけではどうにもならない部分があるのだと実感させられました。
三陸鉄道に関しては個人的に興味があることもあり、
より詳しく情報収集をして改めて別記事を書きたいと思います。
3月2日~洋野町編~
本日は前回の記事でも書かせて頂いた「いわてあおもり復興応援協議会第二回商品化会議」において紹介されていた久慈市周辺湾岸部を、久慈広域観光協議会の水堀さんが案内してくださりました。
洋野町は漁業ではホヤやウニ、農業では寒さに強いホウレンソウや椎茸に力を入れており、それらに加えて牛を飼って酪農をする人もいます。漁業をする人は漁業だけ、農業をする人は農業だけ、という風に分けているわけではなくむしろ兼業で行う人も多くいるそうです。農業では兼業している人を割と見かけますが、漁業や酪農は農業よりもさらに専門性が高く専業のイメージがあったため意外でした。しかしこれらの職業は安定した収入を望める職種ではないため、いくつか行うことによってリスクを分散させているのかもしれません。
現在私たちが泊まらせて頂いている宿舎の周り(久慈駅周辺)はあまり地震や津波の被害を感じさせないのですが、久慈とほとんど目と鼻の先にある洋野町では、湾岸部ということもありポールが曲がっていたり、マツの木が枯れていたりと確かな被害状況が今なお残っていました。目を引いたのが住宅街の風景です。均したように平になっている土地がいくらか続いたかと思うと目立った傷のない住宅が並んでいる土地、その隣にはまた平地がしばらく続くという具合で上から見ればまだら模様になっているのではないかと思うような不思議な立地となっていました。大きな損傷もなく立っている家は真新しく丈夫にできていたのかと思い、水堀さんに尋ねてみると必ずしもそうではないらしく、同じ津波を浴びてもその土地によって波の角度が変わったため勢いもばらつき、それによって被害状況がまばらとなったそうです。
それからもう一つ考えさせられたのが水堀さんのお話です。漁師の方にとって船は生活の糧であり、そのため津波の警報が出た際、今後の生活を守るために沖の方まで船を持って行った方もいるそうです。沖の方まで持って行けば岸においているよりも少しぐらいは被害がましになるためですが、当然漁師の方のリスクは大きくなります。命をかけてでも守ろうという心意気なのです。
命がなによりも大切というのは当然のことですが、そこで助かったとしてもその後の生活が送れなくなってはどうにもなりません。
実際災害が起こった際に生き残ることができたとしても、その災害によって職を失って生活に困る人は多くいます。そういった兼ね合いが難しいと感じました。
洋野で訪れた「ウニ栽培センター」は津波で大きな被害を受け、現在は使用されていませんが大規模ウニ栽培施設であり、その全てを育てあげて売るわけではなく稚ウニの状態で他の地域へ販売するものもあるそうです。
【現在のウニ栽培センター】
今回の活動に関する会議に参加してきました
2月29日、12時から開催の「いわてあおもり復興応援協議会第2回商品化会議」に参加させて頂きました。(会議には私を含め久慈組がお世話になる貫牛さんも含め、岩手全域から多くの人が参加されています。)
その名の通り岩手県と青森県の復興を応援するため、被災した地域等で商品として売り出せそうな催し事を探し出して検討する会議です。
地元に住む人にとっては当たり前であっても、他の地域の人にとっては新鮮な体験であることがあります。そういった施設の見学や震災にまつわる体験を聞くことに対価を支払い、現地へ訪れてもらうことで被災地域の人々の支援とすることがこの会議の目的です。
ただ、これは支援を目的としているため一般の見学プランよりも割高になります。そのためこの高値を理解してもらうためにはどうするか、ということが重要となります。
話し合いのなかで大前提となった意見が「どの人にいくら支払われるか、何に使われるのか」をプランに明記することです。ほかの意見も「プランに参加することで復興の報告が受けられる。」など全体的に応援旅行ということを前面に押し出すことが必要とのことでした。
そして今回の会議では「ボランティア」という言葉の既成概念についても考え直さなければならないとされました。
つまりボランティアというと人の役に立つために頑張らなければならないと堅苦しく考えてしまいがちですがそうではなく、現地に訪れて楽しみ、学び、交流することもまたボランティアなのです。そういったことを伝えて気安く東北へ来られるようなキッカケを作れば現地の空気を感じてもらうことができ、今後の復興にも関心を持ち続けてもらうことができます。
会議の中で出た「何もしなくても良いからまた来て欲しい。忘れないで欲しい。」という言葉がとても印象的でした。

