Browsing all articles by 前原 慎吾
4月
7

被災の手当はだれに必要なのか

東日本大震災の影響で失業してしまった人への失業手当。

一口に「失業」といっても、その中には家族を養うために絶対に働かなければならない状況にある人、お小遣い稼ぎのようにパートに出ていた人も含まれています。その前者、後者ともに失業保険の対象となっています。

「震災の影響で『何人』の失業者が出ています」という情報がメディアで流されていますが、本当に困っている人はそのうち「何%」の人でしょうか。

 

東日本大震災によって自宅が全壊してしまった人への手当て「150万円」。

この金額は安いと感じるでしょうか。それとも十分だと感じるでしょうか。これは「自宅」が全壊した人への手当ての金額です。立派な一戸建てを構えていた人も、小さなアパートを借りていた人も、岩手県の生活再建支援法では全壊世帯に対して100万円が支給され、その後賃貸住宅に暮らしている人に対してはさらに50万円が追加支給されます。このように一律に扱われる理由は、この制度が損失を補償する制度ではなく、「居住安定」つまり、住まいを失ったということに関して、住まいをあらたに確保するための支援という位置づけだからです。一戸建てを構えていた人にとっては、その金額に対しても、金額が一律であることに対しても不満がたまっています。

 

3月8日に岩手県大船渡市にある「有限会社ラボ・オーフナト」の工場長の星拓也さんにお話を伺いました。星さんは、もともと被災前は陸前高田市で縫製工場の経営をされていたのですが、工場が津波の被害にあい全壊してしまい、紆余曲折を経て現在の職に就かれました。

 有限会社ラボ・オーフナトのみなさん。向かって一番左が星さん。

 

2011年3月11日、星さんは、製品の納品のため会社のある陸前高田市から宮城県に車で向かっている道中に、地震に遭いました。異変を感じた星さんは自分の工場に引き返すことにしました。普段使う海沿いのルートは道路が封鎖されていたため、内陸のルートに変更しましたが、工場に戻ることを諦め途中にある自宅に一旦戻りました。そこで、陸前高田市にも津波の被害が出ていることを知りました。ただその時は「ひどくても床上浸水しているくらいだろう。機械は無事だろうか。」と考えていたそうです。

次の日の朝、山を越えていくルートに変更して陸前高田に向かいました。そして、従業員の安否を確認するため各地の避難所を奔走し、2週間かけて全従業員26名中24名の無事を確認できました。しかし、残念ながら後に2名が犠牲になってしまったことを知りました。また、会社には地震から4日後に行きましたが、基礎とポーチを残して床から上がすべて流されてしまっていました。

避難所にいる限り食料などには困らないと考えた星さんは、会社の従業員は全員女性であることも考慮して、「必需品だが優先順位が一番後回しになってしまうだろう」と考えられるもの、ハンドクリームやリップクリームなど軽い化粧品類を従業員のためにたくさん買って届けました。東京や香港や韓国の子会社からもたくさんの支援物資が送られてきて、星さんが各避難所に配りました。

 

自身も被災者でありながら、他の多くの被災者の支援にもまわられた星さんは、失業手当に対して疑問を持たれています。

手当ての金額が元々の給料より多いことや、病院や薬にかかる費用の無償化や、手当の期間が延長されることなどから、働く必要がないと考えてしまう人が多く出てきてしまい、働く人口がなかなか増えません。働く人口が増えないとまちの復旧・復興はかないません。まちが復興しないと職の口は増えず、人口が流出して過疎化が進み、まちが死んでいってしまうという悪循環に陥ります。そこで星さんは、手当ての待遇を見直し、一人ひとりに合った保障をすることが必要だと言っておられました。

また、行政の一律の対応は働ける人の就業を妨げている可能性もあります。働くことが難しい高齢者と、20代の若者の待遇が一緒だと、この若者に対しては対応が厚すぎると考えられます。

 

人それぞれに、おかれた状況は違うのです。

すべての人に一律な対応をすることは、一見平等であるように見えますが、それは公平ではないように思います。そうかと言って、このような大災害の何万人単位の被災者に対して一人ひとりに個別の対応をすることはできないですから、せめてもう少し括りを細分化するべきです。たとえば、生活再建支援法での「住まいをあらたに確保するための支援」という名目で支給される金額は、震災で0の状態になった人が1からスタートすることに対しての一律の保障ですが、元々の生活水準が違うのですから、よりよい生活をしていた人が不公平に感じてしまうのは当たり前のことです。「一戸建てを持つとバカを見るから賃貸に住みなさい」とローンを払い終えたマイホームで暮らしていた被災者の方に勧められた時には、その気持ちは察するに余りあると感じました。もとの住まいを考慮に入れた保障をすべきです。

 

政府は、不公平だと被災者が感じてしまうような対応を減らし、気持ちの面でも「また立ち上がろう」と思えるような保障を新たに打ち出すべきです。経済的な面でも、就業を促し、また雇用を増やす方策が必要です。

保障が手厚すぎても手薄すぎても、復旧・復興の妨げになるということを学びました。

3月
20

『食』を通した観光のアプローチ

震災で被害を受けた三陸沿岸に人を呼ぼう!!、ということで、様々な取り組みが行われています。 

そのひとつが、「駅―1(エキイチ)グルメ」というものです。

もともと三陸沿岸は海の幸だらけで、その土地で何を食べたらよいのかが分かりませんでした。そのため貫牛さんをはじめとした有志の方たちが、地域の人たちと一緒にその地域に合うおすすめメニューを考え、商品化したものです。三陸沿岸の陸前高田から八戸まで、3県に跨って、23駅、30店が対象店舗です。

いわば食を通しての地域おこしと言えるでしょうか。もともと昨年からあった企画でしたが震災の影響を受け中断、今回第二弾として再開しました。

パンフレットパンフレット

今回は、そのうち2つを紹介したいと思います。

洋野町・種市駅の「はまなす亭 本店」は、天然ホヤが命のお店。もともとは海岸沿いに店を設けていましたが、今回の震災でお店が流されてしまいました。それでもなんとか営業を再開することができ、再びおいしいホヤ料理や、海鮮ラーメンを食べることができるようになりました。

もともとこの周辺は、稚ウニを飼育する、ウニ栽培漁業センターがありました。観光コースではセンターを見学し、ここのお店でご飯を食べる、というルートとなっていました。センターはまだ完全に復活していないので、いつかまた震災前と同じルートの旅行を復活することができたらよいな、と感じました。

 はまなす亭で提供される「庭のはまなす丼」。ホヤのから揚げが入っています。庭のはまなす丼

 もう一つは、久慈駅の「まめぶの家」。

そもそも、「まめぶ」をご存知でしょうか。「まめぶ」とは、久慈の郷土料理です。一見、すいとんのようですが、小麦粉で作った団子の中に、クルミが入っているのが最大の特徴です。一口食べるとクルミと砂糖の甘さが口の中に広がります。久慈市の旧山形村地域では、まめぶがお祝いの時に食べる料理として定着しています。

この料理は昨年のB-1グランプリにも出場し、知名度は年々上がっています。全国区に「まめぶ」の名が轟く日もそう遠い話ではないかもしれません。

まめぶ汁。まめぶが5個入っていて、あとは椎茸やニンジンなど。まめぶ汁

これは、岩手県中核観光コーディネーターの草野さんがおっしゃっていたことですが、三陸沿岸の北部は、景勝地を含む観光地、という魅力があります。しかし、南部は震災で被害を受けてしまったので、現在はそのような魅力がない状態になってしまっているとのことです。

それでも、三陸沿岸の北部と南部共通している魅力があります。それは、「食」の魅力です。

有名旅行雑誌の調査によると、旅行の目的は「食」と「温泉」が、上位2項目を占めているということです。つまり、美味しかったり、珍しいような「食」があれば、人を呼ぶことができるというわけなのです。

 

富士宮市の富士宮焼きそばみたく、「久慈と言えばまめぶ!」という風に売り込むことができたら、久慈へ来るきっかけができます。観光客の数も増え、地域経済も豊かになるでしょう。「食」を通した観光客へのアプローチ。十分成り立つと思います。

3月
17

野田村の人と人とのつながり

野田村はメインの通りが被災しており、仮設住宅も三か所に分けて作られています。私が訪れた仮設住宅の集会所では、5人の方がさをり織でコースターを作っておられました。

仮設の方が作られていたコースターコースター

これは売り上げの一部が、この作っている方々の利益になります。また、さをり織は青森の伝統のもので、さをり織をしている会社からの支援で、さをり織を教えてもらい、作られているそうです。みなさん丁寧に作られていて、前向きに楽しみながら作業されていました。

お昼には、最近仮設店舗にオープンした「十府ヶ浦食堂」に行きました。このお店は震災前、海岸沿いにあったためお店は流されたため、この仮設店舗に移られ、再開されたそうです。磯ラーメンを食べました。あっさりとしていて、塩ベースなので塩の味が効いていて、すごく美味しかったです。関西では絶対に食べられない味だと思いました。

磯ラーメン磯ラーメン

また米田さんという方が作られている豆腐もいただいたのですが、ふわふわで豆腐自体にすごく味があり、醤油なしでも美味しくいただけます。米田さんも震災によって、工場が被災し今は仮設店舗でとうふを作ったり、田楽を作ったりしておられます。

それからお顔見知りになった方にご一緒させていただき、キルトのお披露目に参加させていただきました。キルトは被災した方々が集まってみなさんで、分担して作られたものです。

キルト会のみなさんで作られたキルトキルト

このキルトは弘前から先生が来られて、教えてもらいながら作られたそうです。一つ一つ丁寧に縫われていて、とても素人の方が作ったようには思えませんでした。

私は支援というのは被災直後に食べ物や日用品を送ったり、瓦礫の撤去などのイメージが強かったです。しかし今回野田村に入り、被災後の復興中の過程を知りました。そのなかで弘前からキルトの先生が来て、被災した方にその技術を提供するといった支援は想像もつかないことでした。やはり被災してから時間が経つにつれて物資を送るとかではなく、被災者の方たちが自ら行動するための手助けとして技術者や指導者が必要なのだと思いました。

また、村自体の人と人とのつながりの深さに感激しました。野田村の米田地区では被災当初公会堂に避難していたそうです。すると被災していない山沿いの地域の方が、あるものを持ち寄りみんなにふるまったそうです。やはり人と人とのつながりが深いからできることであり、例えば大阪のように、その地区の人たち同士が顔も知らない人がいる環境ではできないことではないかと考えます。

 

 

3月
16

リーダーシップをとれる人、雇用を生み出せる人

「三陸鉄道と沿線地域の在り方」記事で書いた草野さんは元々大手広告代理店プロデューサーをやっておられる方です。

現在は岩手県中核観光コーディネーター、ソウルオブ東北岩手プロジェクトプロデューサー、西和賀町地域復興アドバイザー会議委員、イオン盛岡南SC「結いの市」監修兼管理者、岩手県観光協会評議員など、アイデアや新しい発想に富んで岩手県全域で幅広い活動をしてらっしゃるためとてもここでは紹介しきれません。

そんな草野さんいわく「現場、現実、現状、この3つを理解したうえで企画力と決断力のある人が活力ある活動には必要」だそうです。

お話を伺わせていただいた草野悟さん草野悟さん

私たちがお世話になっている久慈観光協議会観光コーディネーターの貫牛さんもおそらく上に挙げた条件を満たす企画力リーダー体質の人であり、色々なアイデアを提案して既存の観光コーディネーターとしての仕事以外にも周辺の店の商品のプロデュースや道の駅でのイベント企画などを行っていらっしゃり目が回るような忙しさで働いていらっしゃるように見えました。

震災後に復活した食堂の新メニュー開発に携わる貫牛さん。(オレンジ色のジャンパーの方です)この日は試食会で私たちも参加させて頂きました。)試食会

そういった企画力のあるリーダーは自分の企画によって多くの人間を動かし、ひいては雇用を生み出し社会を変えていく力をもっています。そんな人材はただ漫然と待っていてもなかなか出てこないためそのポテンシャルのある人を育てることも草野さんの仕事だそうです。

確かに決まった仕事のなかで真面目に仕事をこなす人というのは大勢いますし、ただでさえ昨今の科学技術の進歩によって決められた作業を行うことはたやすいこととなっています。

しかし「今までにない発想で企画を打ち立てて実行する」ということは並大抵のことではありません。

東京、大阪などに大企業が集中し、平均収入が高いことからもやはり地方と都市部には明らかな差があります。

それは今何度も挙げている「企画力のあるリーダー」が都市部に流れてゆくためじゃないかと私は考えます。

地方団体が「企画力のあるリーダー」育成に力を入れ、そういった人材が増えれば斬新な考えが多く生まれ、三陸の活力アップのみならず都市部と地方の経済格差や、ひいては都市部集中型の経済を地方に分散することも可能なのではと思います。

 

3月
15

~三陸鉄道・再開PR動画撮影会~

4月1日に北リアス線陸中野田駅から田野畑駅間の運行が再開します。その再開を喜び、また震災復興支援への全国、全世界への方々への感謝の気持ちを表すため、「笑顔をつなぐ、ずっと・・・」をテーマに再開PR動画の撮影会が行われました。私たちはその撮影会に参加し、三陸鉄道の現状などを学びました。

久慈市→野田村→普代村の順で移動し、PR動画を撮影しました。この撮影会には小学生の子供たちからご年配の方まで、幅広い年齢層の地元の方々が参加していました。参加者の様子を見ていると、三陸鉄道は本当に地元の方々に愛されているのだと感じました。

楽しく電車ごっこでPR

しかし、三陸鉄道は震災前の通常運行状況でも乗車客は少なく、経営が難しかったといいます。「年に一度は三陸鉄道に乗ろう」というポスターが作られるくらいです。その経営難の背景には、北岩手沿岸部の車社会があります。地元の人々の主な交通手段は自動車です。そのため、鉄道を使うのは車を運転できない幼い年齢層とご年配の年齢層です。時刻表を見ると、電車が来るのは約1、2時間に1本と、大変少ないと感じました。電車の本数が少ないから鉄道を利用せず自動車で移動するようになる。自動車での移動が増え、鉄道の利用が少なくなると電車の本数がさらに少なくなるという負の連鎖になっていると思いました。この現状を改善するには、今以上に鉄道の魅力を発見し、PRすることが必要です。

 

今回の再開PR動画が三陸鉄道をさらに活気づける一つのきっかけとなり、いつまでも地元の人々に愛され続ける三陸鉄道であってほしいと思います。

 

(PR動画は3月中下旬にYouTubeなどで広く公開される予定です。)

運休中の線路上に入らせてもらいました。