「ボランティア」としてやるべきことは…
遠野に入って5日が経った僕ら後発隊。天候も僕らを迎えてくれたかの様な、ほとんど0度を下回らない温かい日が続いています。
この数日間は非常に濃い日々でした。
それは3月4日、行きの電車から始まりました。同じ電車に乗っていた女性の方に声をかけられたのです。釜石市にお住いの、学校の先生なのですが、子供たちの心のケアに携わってらっしゃる方でした。本当に出会いは偶然からだと思い、いろいろとお話を聞かせていただきました。子供たちに、真ん中に自分の顔を書いて、自分の周りの人やペットや、建物、自分にかかわると思うものすべての繋がりを書いてください、という質問をしたプリントを見せていただいたところ、震災前のプリントは、子供たちは皆思い思いに自分の顔を書いて、その周りには繋がりとして、「パパ」「ママ」「お兄ちゃん」など家族や、友人、ペット、さらには、近くのコンビニまでしっかりと書いていました。
しかし震災後の繋がりは、多くても「パパ」か「ママ」のどちらか、もしくは何も繋がりを書かない子供、そのうえ自分の顔すら描かない子供が大勢いました。その子供たちは、今何が欲しいかと尋ねられると、「なにもいらない」と答えるのだそうです。
この女性の方はこういった子供たちの心をどうすれば救えるのか、笑顔にできるのかをずっと考えていらっしゃる方で、そしてそのことを時間の許す限り、詳しくお話ししてくださいました。まだ、ボイスレコーダーを持っていなかったのですが、そのお話は忘れることのない衝撃的なものとして強く印象に残りました。電車に乗っている短い時間でしたが、子供達の心を救うにはどんなことが必要なのか、ということを考えさせられた時間でした。
その後3月7日、僕らは大槌町で宅地跡の清掃のボランティアに参加しました。大槌町はいまだがれきだらけで、建物の基礎がそこら中に残っている状態でした。
私たちの仕事は、その建物の敷地内に積もったがれきや土を掘りだし、きれいにすること。この日も60人近いボランティアが参加していました。大槌は釜石に比べ、比較的作業が進んでいるそうです。
写真① [作業の様子①]
写真② [作業の様子②]
このボランティア中、たくさんの地元の方に出会いました。その誰もが明るく挨拶してくれました。それは、小学生も同じでした。その明るい笑顔を見て、遠野に来るまでの電車で聞かせていただいたことを思い出しました。この子たちのように、心に傷を負った子達が明るく笑えるように、今、何ができるのか。すごく難しい課題だと感じました。
最後に、復興の第一歩を見つけました。津波に襲われた何もない街に、つい最近オープンしたファミリーマートです。
これがこれからの復興の先駆けとなってくれることを願います。
写真③ [ファミリーマート]
仮設住宅へのパフォーマンス
今日は気仙沼復興協会での福祉部での二日目の活動でした。
今日は昨日に引き続き、仮設住宅でのお茶会に参加させていただきました。お茶会とは仮設住宅の集会所で住民の方々とお茶を飲み、いろいろなお話をする会のことです。そこでは震災のことはもちろん、普段の趣味についてなど震災とは違ったお話などもします。お茶会で会話をすることは住民の方々の心の健康のために非常に重要な役割をします。また、仮設住宅では知らない人同士が同じ建物で暮らしていることもあるので、お茶会は住民同士の交流の場としても非常に大切なものだと感じました。
お茶会
今日は県外から来られた方によってパフォーマンスが行われ、有名グループのコーラスや大道芸の方のパントマイムなどが披露されました。パフォーマンスはパントマイムでは住民の方も一緒に参加し、コーラスではみんなで声を出したりして一体感を感じられるもので、個人的にも観ていて非常に面白かったです。パフォーマンス中は終始笑い声が絶えなかったです。中にはおなかが痛くなるくらい笑ったという方もいました。このように心から笑うということは仮設住宅で生活していくうえで非常に重要なことなのだと思いました。住民の方々が心笑っている姿を見て心が和みました。このような企画を手伝わせていただいて本当によかったと思いました
この二日間福祉部で活動させていただいて、住民の方々の声を聞くことができました。最も印象的だったことは高台への集団移転についてです。今後再び来るかもしれない津波に備え、高台へ移転することは防災の面においては非常に重要なことです。しかし、自分が住んでいた場所を離れたくないから、高台への移転に反対する人も居ます。故郷を離れたくないという気持ちは理屈では言い表せないものだと思いました。私も故郷が大好きで自分にとって一番心が落ち着く場所であるため、非常に考えさせられました。
福祉部のみなさん、二日間本当にありがとうございました。
長部での4日間
ボランティア調査を開始して4日目になります!!3月1日から3月3日にかけて、陸前高田長部での杉の木の皮むき作業を主にやらせていただきました。
今回はそのことについて。。。
ボランティアの一日は朝7時40分からのラジオ体操、朝礼から始まります。
寒い中でのラジオ体操はめっちゃ気持ちいいんです(笑)
人とすれ違う度、「おはようございます」「よろしくお願いします」が当たり前。
みんな仲間であり、もはや家族ですね!!
杉の木の皮むき作業はその名の通り地道に皮むきしていくのですが、
これがまた手首、腰にきついんです。
ボランティア初日はもうクタクタでした….でも2,3日目になるとみんな慣れてくるんです。
3日目なんて物凄いスピードで仕上げていきましたよ!!それはやはりみんな協力がちゃんと出来ていたからだと思います。
この木を移動させたいと思う人が全員に協力を呼びかけ、すぐさまみんな駆けつけます。
自分たちが皮むきをした木が現地のおっちゃん達のプロの技術により製材所ができていきます。自分たちボランティアと現地の方々とのつながりが確かに実感できました。もちろんボランティアの方同士でも!!
利用される木は津波で海水を浴び、枯れてしまった木です。津波被害を受けダメになってしまったものなどが人の手によって、復旧・復興に少しずつ近づく新しいものを生み出していくのです。
帰る際に地元のおっちゃんたちが必ず「ありがとなあ!!」「またこいよー!!」って笑顔で言ってくれました。ほんの少し助けになれたかなと自分も笑顔になります。(笑)
写真1<製材所の建築途中>
今月の11日で東日本大震災から一年が経ちますが、メディアの報道はかなり少なくなってきました。原発の報道は比較的多いと思いますが…少なくなるのは、誤解を招くかもしれませんが当然なことだと思います。日本を含め世界中で色んな災害がおきているからだと考えています。
でも、東日本大震災が終結した、もう大丈夫だとは絶対に思わないでほしいです。僕は復興、というより復旧途中だと考えています。
まだまだ仮設住宅にすんでいられる方はたくさんいますし、瓦礫の片付けは進んでも、受け入れ先が決まらず、瓦礫の山が多く残っています。
<写真2>瓦礫の山
今の季節だと、津波でふたがなくなったマンホールが雪や瓦礫で隠れてしまっていて、落ちる危険などの二次災害も考えられます。
自分自身ここへ来て、現場を見るまでは正直かなり復興してきているんだろうと安易に考えていました。現状は違います。あと何年かかるかわかりません。 課題はあらゆるところに様々な形で存在します。
少しずつ、小さな地域でも素敵な人たちが、現地、そしてボランティアの人たちと協力して活動しています。
ブログの更新スピードが遅いですが、その分確実にそのような活動をどんどん載せていきます。よろしくお願いします。
街の電気屋さんの在り方
街を探索しながらお店を巡ろうということで野田村へ行きました。
ぶらぶら歩いていると「電化製品 肉」という表示のある北末電化製品店を見つけました。肉と電化製品を一緒に売っているなんて珍しいということでお邪魔してみると電化製品はあまりなく、肉も豚肉が中心でそれほど多種を揃えている様子ではありませんでした。
話を伺うと、肉と電化製品を一緒に売っている状況は先代からのことなのでわからないそうですが、一つの業種ではなかなか稼げないためいろんな方向に手を伸ばしているうちに最終的に残ったのが肉と電化製品だったのだろうとのことでした。
野田村と久慈市は隣接しているのですが、久慈には「ヤマダ電機」や「K’s電機」といった量販店が並んでいます。そういったチェーン店と比較してどのような経営をしてどのような役割を担っているのだろうかと疑問に思った私は、野田村に他に電化製品を売る店があるかを北末さんに尋ねました。
すると、中野電機さんがあると教えて下さりそちらへもお邪魔しました。
そちらは北末電機さんとは異なり電化製品を専門とした店なのですが、店構えも小ぶりで同じく店内に電化製品はほとんどありません。
店に商品がない状態でいったいどうやって生業を行っているのかと思っていたのですが、電化製品というものは一般に幅をとり、またどんどん新しい種類が増えて型も変わってゆくためお客さんから注文されてから発注するそうです。
これなら売れなくていつまでも店に置いておかなくてはならないということにもなりませんし、カタログだけ置いておけばいいので店のスペースもとりません。商品は注文すれば翌日には届くそうです。
現物を見て判断できないためネット通販に近い仕組みになりますが、客層が店の近くに住む年配の方がほとんどであるため疑問に思ったこと等を言えばその人に合った柔軟な対応をしている様子でそういったことが支持されているのでしょう。
お話を伺っている間にも仮設住宅から「テレビをぶつけてしまって動かないんだけど。」と電話がかかってきたのですが、仮設住宅のテレビは行政が無料で配置したものなので「俺に頼んでもいいけど役所に頼んだらタダで直してくれるんじゃないか。」と儲け度外視のアドバイスをするなど、人と人とのつながりが大切にされているのだと感じました。
このような街にある小さなお店が大型量販店と同じ土俵に立てば品揃え、価格どちらにおいても対抗することは並大抵のことではありません。
そうなれば、無理に同じ土俵で勝負をするのではなく大型店にはできない違う角度から顧客を集める方が効率のよいやり方と言えるでしょう。
思えば私の地元にも小さな電気店があったのですが、気づけば空き店舗になっていましたし、地域住民とお店とのつながりが都市部よりも強い地方の方がこういった商店は営業しやすいのかもしれません。
3月5日~7日 -現地から若者へのメッセージ
3月5日、6日は阿部農縁さんでお手伝いです!
阿部農縁さんは大正時代から受け継がれ、今は4代目の寺山佐智子さんが代表を務める歴史ある農家さんです。東日本大震災での風評被害から、代々受け継がれてきた畑を守ろうと頑張っている農家さんの1つです。
両日、なんと雪が積もり、雨が降っていました。大阪ではなかなか見られないほどの積雪で、外では作業ができないので屋内で活動しました。私は阿部農縁3代目にあたる阿部正子さんとご一緒させていただいて、出荷用の商品を容器に入れ、用意をする作業をさせていただきました。この2日間では福神漬け、大葉味噌、パリパリ大根などの出荷のための袋詰め、そして阿部農縁でお勤めの皆さんのお昼ご飯作りなどをお手伝いしました。
皆さん、とても明るく優しい方達で毎日が楽しく、震災後の被害にも負けずとても前向きに農業に励んでいらっしゃいます。農園で採れた野菜を使ったお昼ご飯はとても美味しいです!
そして3月7日は阿部農縁の寺山さんに勧められ、ある会合のモーニングセミナーに行かせていただきました。そのセミナーには様々な企業の方達が来られており、お話を伺える機会がたくさんありました。私たちの活動の趣旨を伝えると、皆さんは快く震災に関するお話をしていただきました。
―ある女性の方によるお話
東日本大震災後の昨年のある日、東京で電車に乗ると「福島第一原子力発電所の水素爆発の影響により、今年の東京は暗い」という掲示が目に入った。私達(福島県民)は東北電力の事業地域であり、東京電力の電力を一切受け取っておらず、関東地方のために電力を送ってきたようなものなのに「福島のせいだ」と言っているような書き方をされるなど、関東地方にまで風評被害を被るなんて……それに対して非常に怒りと憤りを感じた。しかし、だからといって今まで私達は原子力発電所を持つ地域の住民として、原発に関することを何も知ろうとしなかったし、「安全」について何もやろうとしなかった。だから悔しい…そういう意味でも、住民の私達にも責任があるんだ…。
今回の震災で、原発の問題に留まらず、日本の行政や地方自治体などの様々な危機管理体制や危機管理に関するシステムの姿が顕著になった。私達ではもうどうにもできないこともあるが、若い人なら今からでもできることがたくさんある。今回の震災で分かったことを、これからの日本を担う若い人たちに託したい。今までの日本のシステムは本当に良かったのか…を改めて考えてほしい。自分の生き方、考え方をしっかり持ち、ふらつかないように生きていってほしい(自分の利益や欲だけを追求するためにではなく…)。原子力発電のような近年人間が新しく作り出したものを、また新しくやり直していってほしい。
…と、目に涙を浮かばせながらおっしゃられていました。私達に懸命に思いを訴えかけているその姿と涙に、私も思わず涙ぐみました。
この貴重なお話を聞かせていただいて、改めて私達の年代がこれからの日本を創り上げるんだ、みんなを支えていくんだ、同じような被害は二度と繰り返さないようにすべきだと自覚できました。また、このような現地の方々の思いを真剣に受け止め、社会安全学部生としてもこの震災での教訓や現地の方のメッセージをできるだけ多くの方に伝え、知っていただきたいし、これからの自身の勉学や様々な活動にも反映させていきたいと思いました。











