島田実弥の投稿一覧
3月
11

人がいる、人が来ることの大切さ

東日本大震災から1年が経つこの日、私たちは岩手県釜石市箱崎町でボランティア活動を行いました。ボランティアの人数はやはりこの数日間で1番多く、ボランティア宿舎にも収まらない程でした。この日の作業は箱崎の学校のグラウンドの清掃です。学校のグラウンドといえば整備が施されているため平らで走りやすいのが私のイメージです。しかし、そこにあったのは、大きながれきは無いものの、生活用品や貝殻、ガラス片等の普通あるとは思えないものが、いくら掘っても出てくるグラウンドでした。その光景を見て1年前まで生徒たちが走り回っていた場所とは、私には思えませんでした。

 

グラウンドの状態。陶器、ガラス片、瓦等落ちているはずのないものが落ちている。

 

作業自体は14時に終了し、そこから私たちは地震発生時刻である14時46分が訪れるのを待っていました。すると少数ではありますが、この場所で暮らしていたと思われる方々が、住宅跡地の方へ行かれるのが見えました。震災から1年が経つ箱崎の地を見つめながら、何を思っていらっしゃるのでしょうか。一緒に来た人と話している人、ただ見つめている人。私にはその方々の気持ちを想像することしかできません。

 

箱崎町の宅地跡。奥の方は少し土地が高くなっているため、同じ町内でも被害が少ない。

 

その方々が自宅の跡を見つめる表情は1人1人異なっています。この場所での生活を思い返しているのか、少しやわらかい表情の方もいれば、悲しみで満ちた表情の方もいます。また、何かの決意をしているような表情の方もいました。震災前の生活、震災が起きてからのこの1年間が異なるため、表情が違うのは当たり前です。しかし、どの方からも、その表情の裏側に何かに対する「想い」を感じました。家族を想う、友人を想う、箱崎での生活を想う。その方向は違っても、愛する何かを想っているという点では、あの時間、皆さん同じだったのではないかと思います。

14時半頃、ある箱崎町民の方がお話をしてくださいました。私はその方がおっしゃったある言葉が印象に残りました。それは「今、大勢の方々が箱崎にいる光景を久々に見ることができて、とても嬉しく思います。」という言葉です。震災前、この街にもたくさんの方が暮らしていらっしゃったでしょう。今は震災の影響で人影が少なくなっています。

私たちは「東北に行くなら、ボランティア等をしなくては」と思いがちかもしれません。しかし、1年が経った今、ボランティアや観光に関わらず「人がこの場にいること」が大切なのではないかと思います。何も無い空き地でも、子供が集まって遊んでいれば、楽しい場所になるように、人が集まればその場所の雰囲気も変わるもの。人が集まるならば、「お店を出そう」など1歩前に踏み出そうと考える方もいらっしゃると思います。現地の方々の「キッカケ」がこの場所に私たちが来ることで生まれるかもしれません。そのキッカケを生み出すためにも、現地で誰よりも先に一歩を踏み出し、人が来ることができる準備を整える人が求められるのだと思います。

そして14時46分のサイレンが鳴り、ボランティア一同は海の方を向きながら黙祷。やっと1年経ったと思う人もいれば、もう1年も経ってしまったと思う人もいます。現地の方のお話を聞いているかぎりでは、後者の方が多い気がしました。生活そのものががらりと変わり、目まぐるしく過ぎて行った1年だったのではないかと思います。

復興計画が立てられ、ここからそれが具体化していき、何十年という長い年月をかけて街が復興していくでしょう。復興していく過程で、実際に目で見ることができる、また感じることができる震災が残した爪痕は、毎日少しずつ無くなっていきます。今日私たちが見た箱崎の光景や雰囲気を知っているのは私たちのようにその場にいた人間だけ。それは私の財産であり、またみんなで共有すべき情報です。関西に戻ったら、その情報を自分の周りの人に言葉で伝えることから始めようと思います。言葉にすることの難しさを東北に来て毎日感じます。言葉は大きな影響力を持つものでもあり、時に儚いものでもあるからです。しかし、まっすぐにこの震災と向き合い、その一言をみつけていきます。

3月
7

現地に来るからわかること

遠野到着4日目にしてボランティアに初参加となりました。今日は大槌町の宅地跡の清掃活動です。作業場所はニュースなどでも話題となった、「はまゆり」という船が津波によって屋上に乗った建物がある赤浜です。現在、あの船は撤去され建物だけが残っています。しかし東日本大震災の記憶を残すため、再現保存をすることを赤浜住民の方々は希望されています。

赤浜住民の方々の願いが書かれた看板。そしてその奥が実際の建物。

JR釜石から赤浜に着くまでの移動中、景色は一変しました。赤浜に近づくにつれ建物といえるものは少なくなり、着いた時、そこにあるものは家が建っていた跡、かろうじて残った鉄筋コンクリートの建物のみでした。テレビやインターネットで見る被害状況で、被害者数は知っているはず、被災地の様子は知っていたはずなのです。しかし、実際に現場を見ると違った感覚が押し寄せてきました。ニュースやインターネットでは1つの情報を深く、またたくさんの情報を短時間で得ることができます。しかし、「感じる」ということができません。私は今まで情報を得ていただけ、その街の雰囲気、街の色を感じていなかったことに気がつきました。本当に被災地を理解することは数字を知ること、映像を見ることだけではないと実感しました。

赤浜の風景。家は流され跡だけが残る家が多い。

作業は瓦やガラス片、コンクリートなどを拾い集めるものでした。スコップで土を掘り返せば掘り返すほど、名札やビデオテープ、おもちゃなど様々なものが出てきます。壁も柱も無く、あるのは家が建っていたのであろう跡、そしてボロボロになった鉄筋コンクリートの建物ぐらいです。しかし今でもそこには人が生活し、思い出を作った跡が残っていました。被災地の状況を写真で見た感想として、「なにもない、全て失った」などの言葉をよく耳にします。しかし今日私は何もないのではないと思いました。そこに住んでいた人々にわかる、どこか思い出を蘇らせる何かがまだ残っているのではないかと思います。だからこの街から離れたくないという方がたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。

赤浜には最近1軒の喫茶店がオープンしました。名前は「チロリン村 ぽんた」。店主の方は仮設住宅で暮らしながら、お店まで通っています。短い時間でしたが、津波が起こった時、また4日目に自衛隊に発見される時までのことを詳しく話してくださいました。ここまで詳しい話を聞いたことがなく、ただ驚きました。最後に店主の方が「皆さんにありがとうと伝えたい」とおっしゃっていました。この「チロリン村 ぽんた」に関しては、今後詳しくブログを書きたいと思っていますので、ぜひ皆さんに読んでいただけたら嬉しいです。

「チロリン村 ぽんた」3月赤浜にオープンしたばかりの喫茶店。

いよいよ始まりました!感じたことを皆さんに届けたいと思います。よろしくお願いします!