岡田裕貴の投稿一覧
3月
14

大槌町の現状

これが初めての投稿です。

今回は大槌町に着目して書いていこうと思います。

大槌町、、、みなさんはどのようなイメージをお持ちでしょうか?

ひょっこりひょうたん島で有名な蓬莱島を思いつく人も多いのではないでしょうか。

その蓬莱島も震災前は歩いて行けるように道があったのですが、津波によって道が流されてしまい、今は孤島になってしまっています。

ひょっこりひょうたん島で有名な蓬莱島蓬莱島

 街の復興のためには観光を強化していく必要があるはずです。この蓬莱島の再生こそ大槌町の復興の手助けになるのではないかと感じました。

 

その他にも観光の面だけでなく、この震災の記憶を伝えていくためにも何もかも取り壊していくのではなく、残すべきものは残していく必要があるのではないでしょうか。

すでに安全面の不安や復興に支障が出るという意見が出て今は無くなってしまいましたが、民宿の上に漂流した遊覧船「はまゆり」のインパクトが私的には非常に大きかったので東日本大震災の被害の象徴として個人的に保存して欲しかったです。

 このように赤浜住民からも保存の声があがっていたはまゆり

 

 大槌町は、大きな地震が発生し、それによって津波が押し寄せただけではなく、地震の後、大火災が起きて街中の建物や木などが焼き焦げてしまったそうです。そのせいか残っている多くの建物も黒く焦げ、さらに塩水に一度さらされていることから結局取り壊さなければならないという悲惨な状況でした。

 この大槌町に初めて入ったのは3月7日、この日が初めてのボランティア活動日でした。

私たちが担当していた大槌町の赤浜にはほとんど建物がなく、住宅の敷居と多くのガレキが散乱している状況でした。

地元の方のお話によると、津波が7回も来て、建物や人など根こそぎ流していき、802名の方が亡くなられたそうです。

 

~ボランティア活動~

私たちが担当したのは住宅跡の清掃活動です。住宅跡には敷居だけが残っており、その中には多くの生活用品の破片やガラス片などが散らばり、そのガレキ処理を行いました。野球ボールなどの思い入れのある品々も出てきて、気持ちの面では少し苦しかったですが、心を込めて清掃させていただきました。

 作業風景、手前にあるのはこの宅地跡から出たガレキの山作業風景

 

大槌のガレキ撤去は進んでいるそうですが、多くのガレキが山積みになっており、街が復興していっているというよりかはまだ片づけの途中段階であると感じました。

なかなか難しい問題かもしれませんが、ガレキ引き受けの場所を被災地だけの問題だと考えるのではなく、全国民の問題だと受け止め、一刻も早く決めていくことが復興の一番の近道ではないかと感じました。

道中に見かけたガレキの山瓦礫の山

 

 その他にも大槌町の赤浜で”チロリン村ぽんた”という店を始めた方に震災直後4日間の体験談を話していただきました。

被災直後の生活は私からは考えられないようなものばかりで、避難時の緊迫感や恐怖感、その後の生活の苦しさを知ることができました。

 

前回はボランティアの休憩時間を利用してのお話だったのであまり詳しいことをお聴きすることが出来なかったので、

帰るまでにもう一度、大槌町の”チロリン村ぽんた”に行って、なぜまた沿岸部に開店したのか、などの経緯や詳しいお話を聴いてみたいと思います。

その内容はまた次回の更新で書きたいと思うので、またよろしければ読んでください。

3月
13

初めての仮設住宅訪問

「浜のミサンガ環」の地域リーダーをされている船砥さんのご好意により、陸前高田市の仮設住宅に行かせていただきました。 

まず浜のミサンガをご存知でしょうか?このミサンガは被災された女性が編んで作っており、その売り上げの約半分が作り手の収入になります。仕事をすることにより、収入を得るだけでなく、仲間ができ、仲間と語り合い、それが高齢化の進む仮設住宅内での孤独死も未然に防ぐことができると教えていただきました。

このミサンガの価格は1100円で、被災地だけでなく東京や名古屋、大阪でも販売されています。被災地に行かずとも、これも立派なボランティアになります。様々な色もあるのでぜひチェックしてみて下さい!ちなみに僕も復興食堂で見つけてすぐに購入しました!

仮設住宅に訪問する前に車で陸前高田市と大船渡市を案内していただきました。その中で一番印象に残った場所を紹介したいと思います。

希望の灯り希望の灯り

この希望の灯りの近くの石碑には次のように書いてありました。

『この「希望の灯り」は2011年3月11日午後2時46分に発生した

東日本大震災で被災された方々に

少しでも希望を持っていただきたいとの思いから

国内外からのご寄付をもとに

被災地のみなさんとボランティアが協力して建立しました。 

ここに灯る火は、1995年1月17日午前5時46分に発生した

阪神淡路大震災で被災した方々をはげまそうと

全国47都道府県から種火が集められ

2000年の1月17日、神戸市の東遊園地に

「1.17希望の灯り」として点灯され、いまも灯り続けています。

震災が教えてくれた

やさしさ、思いやり、仲間、絆の大切さを忘れることなく

ともに歩んでいきましょう。』

2011年12月10日建立

 このように被災地のことを多くの人が気にかけていること、日本の絆の強さを感じることができました。これからも希望の灯りが灯し続けるように、被災された方々は希望を持ち続けていってほしいです。そうすれば被災地の早期復興につながっていくはずです。 

その後、船砥さんが住んでいる仮設住宅に行かせていただき、そこで多くの話を聞かせていただきました。様々な話を聞いていると仮設住宅の現状や問題、課題が見えてきました。

仮設住宅というと、どこか暗いイメージを持っていましたが、ここは違いました。ご近所付き合いもあり、本当にみなさん仲が良かったです。しかし、最初は仮設住宅の中に知り合いが一人もおらず、会ってもあいさつをする程度で雰囲気も暗かったそうです。さらにこの仮設住宅は、全46世帯中12世帯が一人暮らしのお年寄りと非常に多く、このままでは高齢者の孤独死を招いてしまうと船砥さんは感じ、ミサンガのプロジェクトの参加を促したそうです。

ここまで仲が良い要因としては46世帯と比較的に小さい仮設住宅だからとも考えられます。やはり小さい仮設住宅の方がコミュニティ形成されるのでしょうか。しかし小さい仮設住宅にも問題がありました。50世帯以上ないと最初から交流の場である集会所が設置されなかったそうです。市に問い合わせて1年経過してやっと設置されたようです。その後、実際にその集会所で集まって、楽しく食事や会話をさせていただき、笑い声が絶えなかったです。

集会所でご飯をいただきました

昼食

本当に元気いっぱいの方ばかりで逆に元気をもらってしまうほどでした。僕たちのような若い人たちが行くことで本当に喜んでいただけました。船砥さんも、「とにかく仮設住宅に笑顔で来て、私たちと話をしてほしい。話を聞いてもらえると気持ちが本当に楽になる。それでその経験を帰って多くの人に伝えてほしい。」とおっしゃっていました。これも立派なボランティアです。

 最後に一枚、、

 集会所にあった”前を向くカレンダー”カレンダー 

この言葉のように被災地は徐々にですが復興していっています。この被災地の復興にみなさんも協力することができます。被災地に足を運んで観光するのもボランティア、ミサンガを購入するなど被災地に行かずとも出来るボランティアなど様々なボランティアがあります。他人事だと思わず、被災地の復興の手助けをみんなでしていきましょう!