3月
16

リーダーシップをとれる人、雇用を生み出せる人

「三陸鉄道と沿線地域の在り方」記事で書いた草野さんは元々大手広告代理店プロデューサーをやっておられる方です。

現在は岩手県中核観光コーディネーター、ソウルオブ東北岩手プロジェクトプロデューサー、西和賀町地域復興アドバイザー会議委員、イオン盛岡南SC「結いの市」監修兼管理者、岩手県観光協会評議員など、アイデアや新しい発想に富んで岩手県全域で幅広い活動をしてらっしゃるためとてもここでは紹介しきれません。

そんな草野さんいわく「現場、現実、現状、この3つを理解したうえで企画力と決断力のある人が活力ある活動には必要」だそうです。

お話を伺わせていただいた草野悟さん草野悟さん

私たちがお世話になっている久慈観光協議会観光コーディネーターの貫牛さんもおそらく上に挙げた条件を満たす企画力リーダー体質の人であり、色々なアイデアを提案して既存の観光コーディネーターとしての仕事以外にも周辺の店の商品のプロデュースや道の駅でのイベント企画などを行っていらっしゃり目が回るような忙しさで働いていらっしゃるように見えました。

震災後に復活した食堂の新メニュー開発に携わる貫牛さん。(オレンジ色のジャンパーの方です)この日は試食会で私たちも参加させて頂きました。)試食会

そういった企画力のあるリーダーは自分の企画によって多くの人間を動かし、ひいては雇用を生み出し社会を変えていく力をもっています。そんな人材はただ漫然と待っていてもなかなか出てこないためそのポテンシャルのある人を育てることも草野さんの仕事だそうです。

確かに決まった仕事のなかで真面目に仕事をこなす人というのは大勢いますし、ただでさえ昨今の科学技術の進歩によって決められた作業を行うことはたやすいこととなっています。

しかし「今までにない発想で企画を打ち立てて実行する」ということは並大抵のことではありません。

東京、大阪などに大企業が集中し、平均収入が高いことからもやはり地方と都市部には明らかな差があります。

それは今何度も挙げている「企画力のあるリーダー」が都市部に流れてゆくためじゃないかと私は考えます。

地方団体が「企画力のあるリーダー」育成に力を入れ、そういった人材が増えれば斬新な考えが多く生まれ、三陸の活力アップのみならず都市部と地方の経済格差や、ひいては都市部集中型の経済を地方に分散することも可能なのではと思います。

 

3月
15

人のために、誰かのために

私達は、3月15日、大槌町に3月6日に開店した「あかはまチロリン村ぽんた」さんというカフェに、開店に至る過程のお話を伺ってきました。そのお店は、大槌の津波にさらわれた住宅街の中に建てられているのですが、初めて見たときからそのカフェがどのようにして生まれたのかがずっと気になっていました。

(写真1)あかはまチロリン村ぽんた

店主の岡本カツ子さんは、とても気さくな方で、いろいろな話をしてくれます。 被災した時の話、その時の波が襲ってくる様子、救助された時の話、そんな思い出したくないような話を私たちに聞かせてくれるのです。岡本さんは11時ごろにボランティアの方が作業を一段落させた時間に開店し、ボランティアの方にコーヒーを出してくださります。 僕らは、そのカフェが開店する少し前にお話をうかがいに行きました。

その岡本さんのお話は非常に考えさせられるものでした。 震災前、今のぽんたが立っている場所には岡本さんの家と一緒にカフェのお店が建っていたそうです。そこは、地域の皆さんに愛されたお店だったそうです。 しかし、震災で何もかもを持っていかれてしまいました。家、お店、車、ペットの猫まで失って途方に暮れていたとき、姪っ子さんの一言が彼女を救ってくれたというのです。 「ここで折れたらいかんよ!」という、姪っ子さんのその言葉に叱咤激励された岡本さんは、もう一度お店を開くことを決意されたそうです。しかし、ゼロからもう一度やり直すことは簡単ではありませんでした。 何しろ、何もかも流されて何一つ残ってないのです。 そんなときに姪っ子さんがボランティアの皆さんに声をかけてボランティアのみなさんを集めてくれたそうです。そのボランティアの方々は、資材を周りの工場などからかき集めてきてくれたのです。さらにお話をうかがっていると、ボランティアの方々が仮設に使うドアを取り付けてくれたり、お店を立てるのをすべて手伝ってくれたそうなのです。 「ボランティアさんに助けていただいて、ドア、外装、シンクまですべて作ってくれたんですよ。本当に感謝しています。」 と岡本さんはおっしゃいました。

 

しかし、「ぽんた」さんを助けてくれたのはボランティアで来ている方ばかりではありませんでした。 僕たちがお話を伺いに行った前日は、オーストリア大使館の方が来て、ストーブをセッティングしてくれたと喜んでおられました。

「お代はいらないから、ほんとに気持ちだけでいいのよ。あなた方に商売するつもりじゃないのよ。」とおっしゃる岡本さんは、岡本さん自身がボランティアの方にしていただいた分の恩返しがしたいというお気もちでお店に出られるそうです。 一軒の小さなカフェですが私には、復興への大きく、とても大切な一歩のように感じました。 これからも、ボランティアさんや地域の人たちに親しまれるカフェであってほしいと思います。

(写真2)岡本さんと

 

さて私たちはこの2週間で、仮設住宅を訪れたりお話を聞くことで震災後、仮設から出ずにずっと人とのかかわりを避けて暮らしている方々がいることを知りました。その方たちは、震災で受けた心の傷が今なお強く残り、心を閉ざしてしまった方たちだと思います。 しかし、岡本さんのようにあるきっかけから立ち直って、しっかりと前を向いていらっしゃる方もいることに私たちは驚きました。 ご自分も大変なのに、誰かのために何かをしたいと考えていらっしゃる岡本さんはこの先の復興において非常に大切なものを手に入れていらっしゃると感じました。それは「自分のことだけでなく、人のため、誰かのため」という思いだと思います。 そんな思いを、一人でも多くの方が持てるようになってほしいと思います。

3月
15

岩手ブログ

この日は山里ネットさんにお世話になり、津波が起きたときのお話を釜石市の唐丹町の大曽根という仮設住宅に入られているお二人の女性に聞かせて頂きていました。 この方々は「人によって感じ方は違うと思うが、震災が起きたのが岩手、東北で良かった。」とおっしゃいました。自分の家が流されたにも関わらずにです。

 

岩手で良かった、だけでは聞こえが悪いですが、こうお二人がおっしゃったのには理由があります。東京、大阪でこの規模の震災が起これば、日本の社会や経済は動かなくなるし、死傷者はもっと多かったであろうというのです。

 

みなさんは自分の家が無くなり、親戚が亡くなってもそう言えるでしょうか? 私はこの話を聞いた時、背筋が凍りました。正直なんと返していいかもわからなかったですが、笑いながら、話していただいたのでなぜだか、私が元気をもらいました。そして、こんなに津波に被害に合ったにも関わらず、こうおっしゃいました。

「私たち岩手の人間は海の幸によってここまで大きく成長させていただいた。 なので、海を憎もうとも、思わない。」

 

私は正直、海のことを憎く思いました。ここまで愛されているにも関わらずなぜ津波という形で人を襲うのかと。そして、私は普段、普通に食べている食物に対してそこまで感謝をしているかな?と、情けなくも思いました。

写真1を見てください。

写真1:唐丹町の小白浜漁港の堤防の被害

これは、仮設に行く途中に唐丹町の小白砂漁港によってもらい堤防をみせてもらった時に撮った写真です。この写真では伝わらないと思いますがとにかく見上げるぐらいでかい堤防がたおれているのです。この堤防を襲った津波がどれほどのものだったかを物語っています。

 

写真2は、高台から堤防と、その内陸部を撮った写真です。


写真:2高台から見下ろした小白浜漁港の堤防

この堤防の内側には民家がたくさんありました。この堤防をなぎ倒し民家までさらっていく津波。これは現地に行った私でも、想像するのが難しいぐらいです。

お話によると、津波が来たというよりは山が襲ってきたという感じだったらしいです。  しかし、こうした巨大な津波にも関わらず、近場の小学校のなどでは普段から、避難訓練をしていたおかげで助かったとのことです。私自身は小学生の時避難訓練をバカにし真面目にやった記憶は一度もありません。それより、避難訓練なんていらない。と思っていました。しかし、今回はこの避難訓練のおかげで生徒が全員助かったのです。それを聞いた時、また私は、自分が情けなくなりました。このとき始めて避難訓練の大切を知ったといっても過言ではないです。

 

私はこの震災の現場を生で見るのは初めてで、テレビで見たことしかありませんでした。

正直、大阪にいるときは、なめていました。津波がここまでおそろしいとは。

ここまで私達人間の物全てを奪っていった姿は、まるでブラックホールのようでした。

 

この感情は被災地に行かなければ、正直わかりません。 本当に、この現場を見ると言葉がでないのです。みなさんも一回行ってみてください。 これから、これまでの、人生観が変わると思います。

 

そして、行くことにより、あなたは復興の手助けになります。ぜひ、足を運んでください。自分の中の何かが変わります。

 

3月
15

~三陸鉄道・再開PR動画撮影会~

4月1日に北リアス線陸中野田駅から田野畑駅間の運行が再開します。その再開を喜び、また震災復興支援への全国、全世界への方々への感謝の気持ちを表すため、「笑顔をつなぐ、ずっと・・・」をテーマに再開PR動画の撮影会が行われました。私たちはその撮影会に参加し、三陸鉄道の現状などを学びました。

久慈市→野田村→普代村の順で移動し、PR動画を撮影しました。この撮影会には小学生の子供たちからご年配の方まで、幅広い年齢層の地元の方々が参加していました。参加者の様子を見ていると、三陸鉄道は本当に地元の方々に愛されているのだと感じました。

楽しく電車ごっこでPR

しかし、三陸鉄道は震災前の通常運行状況でも乗車客は少なく、経営が難しかったといいます。「年に一度は三陸鉄道に乗ろう」というポスターが作られるくらいです。その経営難の背景には、北岩手沿岸部の車社会があります。地元の人々の主な交通手段は自動車です。そのため、鉄道を使うのは車を運転できない幼い年齢層とご年配の年齢層です。時刻表を見ると、電車が来るのは約1、2時間に1本と、大変少ないと感じました。電車の本数が少ないから鉄道を利用せず自動車で移動するようになる。自動車での移動が増え、鉄道の利用が少なくなると電車の本数がさらに少なくなるという負の連鎖になっていると思いました。この現状を改善するには、今以上に鉄道の魅力を発見し、PRすることが必要です。

 

今回の再開PR動画が三陸鉄道をさらに活気づける一つのきっかけとなり、いつまでも地元の人々に愛され続ける三陸鉄道であってほしいと思います。

 

(PR動画は3月中下旬にYouTubeなどで広く公開される予定です。)

運休中の線路上に入らせてもらいました。

3月
15

風評被害と被災地の現実

福島県田村市の商工観光課に勤めるAさんにあぶくま洞に連れて行っていただきました。あぶくま洞は福島県田村市にある鍾乳洞です。福島第一原発の西に位置する田村市では、原発事故で避難指示が出た半径20キロ圏(※田村市の4月現在:住民の一時帰宅、公益目的の立ち入りなどを柔軟に認める「避難指示解除準備区域」)、屋内退避が指示された20~30キロ圏、何も指示が出ていない30キロ圏外の3つの区域に分かれています。今回私たちが連れていっていただいたあぶくま洞も福島第一原発から30キロ圏外ではありますが30キロに近いところに位置しています。

あぶくま洞

距離を聞くだけでは一見リスクもあるのではないかと感じますが、実際にあぶくま洞で計測してみても放射線量には問題はありませんでした。

あぶくま洞での放射線量0.03μ㏜/h

それは今回の震災時の風向きや地形の影響で原発より南部にある地域では北部に比べると格段と線量は低いとされているからです。そして、お話を聞いたり自分で放射線に関することも調べてみました。やはり、原発事故によって、広範な地域に住む周辺住民、特に放射線被害を受ける危険性のある妊婦、乳幼児、子ども、そして若い世代の健康への不安は拭いきれないところがあるようです。どこまでが安全とされるのか、どのくらいの基準で住民の方の安心感が得られるのかを判断することは本当に難しいことであると感じました。

 

Aさんがおっしゃるには、彼の職場には「そちらでは防護服を着て生活しているのですか?」「子供が福島県に行っても大丈夫ですか?」などといった問い合わせが寄せられることが現在でもあるそうです。福島県には医療的も推奨される療養温泉があり、この温泉中は微量の放射線が含まれている放射能泉だそうです。それらによる放射線などが日常的に存在しているにも関わらず、そうした報道がないため、福島という名前だけでマイナスの判断がされてしまうのが現実だそうです。しかし、こういったお話だけでなく、福島県の元気も伝えてください、とAさんはおっしゃっていました。放射線による風評被害でマイナスのイメージが漂う中、福島県の方々は明るく、笑顔で復興に向けた活動をされている方がたくさんいます。風評被害に負けず、復興に向けてプラスの方向に動きつつある福島の現状を多くの人に知ってもらうことで観光地や地元の特産物などのアピールにもつながるのではないかと考えました。