2012年3月 アーカイブ
3月
20

『食』を通した観光のアプローチ

震災で被害を受けた三陸沿岸に人を呼ぼう!!、ということで、様々な取り組みが行われています。 

そのひとつが、「駅―1(エキイチ)グルメ」というものです。

もともと三陸沿岸は海の幸だらけで、その土地で何を食べたらよいのかが分かりませんでした。そのため貫牛さんをはじめとした有志の方たちが、地域の人たちと一緒にその地域に合うおすすめメニューを考え、商品化したものです。三陸沿岸の陸前高田から八戸まで、3県に跨って、23駅、30店が対象店舗です。

いわば食を通しての地域おこしと言えるでしょうか。もともと昨年からあった企画でしたが震災の影響を受け中断、今回第二弾として再開しました。

パンフレットパンフレット

今回は、そのうち2つを紹介したいと思います。

洋野町・種市駅の「はまなす亭 本店」は、天然ホヤが命のお店。もともとは海岸沿いに店を設けていましたが、今回の震災でお店が流されてしまいました。それでもなんとか営業を再開することができ、再びおいしいホヤ料理や、海鮮ラーメンを食べることができるようになりました。

もともとこの周辺は、稚ウニを飼育する、ウニ栽培漁業センターがありました。観光コースではセンターを見学し、ここのお店でご飯を食べる、というルートとなっていました。センターはまだ完全に復活していないので、いつかまた震災前と同じルートの旅行を復活することができたらよいな、と感じました。

 はまなす亭で提供される「庭のはまなす丼」。ホヤのから揚げが入っています。庭のはまなす丼

 もう一つは、久慈駅の「まめぶの家」。

そもそも、「まめぶ」をご存知でしょうか。「まめぶ」とは、久慈の郷土料理です。一見、すいとんのようですが、小麦粉で作った団子の中に、クルミが入っているのが最大の特徴です。一口食べるとクルミと砂糖の甘さが口の中に広がります。久慈市の旧山形村地域では、まめぶがお祝いの時に食べる料理として定着しています。

この料理は昨年のB-1グランプリにも出場し、知名度は年々上がっています。全国区に「まめぶ」の名が轟く日もそう遠い話ではないかもしれません。

まめぶ汁。まめぶが5個入っていて、あとは椎茸やニンジンなど。まめぶ汁

これは、岩手県中核観光コーディネーターの草野さんがおっしゃっていたことですが、三陸沿岸の北部は、景勝地を含む観光地、という魅力があります。しかし、南部は震災で被害を受けてしまったので、現在はそのような魅力がない状態になってしまっているとのことです。

それでも、三陸沿岸の北部と南部共通している魅力があります。それは、「食」の魅力です。

有名旅行雑誌の調査によると、旅行の目的は「食」と「温泉」が、上位2項目を占めているということです。つまり、美味しかったり、珍しいような「食」があれば、人を呼ぶことができるというわけなのです。

 

富士宮市の富士宮焼きそばみたく、「久慈と言えばまめぶ!」という風に売り込むことができたら、久慈へ来るきっかけができます。観光客の数も増え、地域経済も豊かになるでしょう。「食」を通した観光客へのアプローチ。十分成り立つと思います。

3月
17

野田村の人と人とのつながり

野田村はメインの通りが被災しており、仮設住宅も三か所に分けて作られています。私が訪れた仮設住宅の集会所では、5人の方がさをり織でコースターを作っておられました。

仮設の方が作られていたコースターコースター

これは売り上げの一部が、この作っている方々の利益になります。また、さをり織は青森の伝統のもので、さをり織をしている会社からの支援で、さをり織を教えてもらい、作られているそうです。みなさん丁寧に作られていて、前向きに楽しみながら作業されていました。

お昼には、最近仮設店舗にオープンした「十府ヶ浦食堂」に行きました。このお店は震災前、海岸沿いにあったためお店は流されたため、この仮設店舗に移られ、再開されたそうです。磯ラーメンを食べました。あっさりとしていて、塩ベースなので塩の味が効いていて、すごく美味しかったです。関西では絶対に食べられない味だと思いました。

磯ラーメン磯ラーメン

また米田さんという方が作られている豆腐もいただいたのですが、ふわふわで豆腐自体にすごく味があり、醤油なしでも美味しくいただけます。米田さんも震災によって、工場が被災し今は仮設店舗でとうふを作ったり、田楽を作ったりしておられます。

それからお顔見知りになった方にご一緒させていただき、キルトのお披露目に参加させていただきました。キルトは被災した方々が集まってみなさんで、分担して作られたものです。

キルト会のみなさんで作られたキルトキルト

このキルトは弘前から先生が来られて、教えてもらいながら作られたそうです。一つ一つ丁寧に縫われていて、とても素人の方が作ったようには思えませんでした。

私は支援というのは被災直後に食べ物や日用品を送ったり、瓦礫の撤去などのイメージが強かったです。しかし今回野田村に入り、被災後の復興中の過程を知りました。そのなかで弘前からキルトの先生が来て、被災した方にその技術を提供するといった支援は想像もつかないことでした。やはり被災してから時間が経つにつれて物資を送るとかではなく、被災者の方たちが自ら行動するための手助けとして技術者や指導者が必要なのだと思いました。

また、村自体の人と人とのつながりの深さに感激しました。野田村の米田地区では被災当初公会堂に避難していたそうです。すると被災していない山沿いの地域の方が、あるものを持ち寄りみんなにふるまったそうです。やはり人と人とのつながりが深いからできることであり、例えば大阪のように、その地区の人たち同士が顔も知らない人がいる環境ではできないことではないかと考えます。

 

 

3月
16

リーダーシップをとれる人、雇用を生み出せる人

「三陸鉄道と沿線地域の在り方」記事で書いた草野さんは元々大手広告代理店プロデューサーをやっておられる方です。

現在は岩手県中核観光コーディネーター、ソウルオブ東北岩手プロジェクトプロデューサー、西和賀町地域復興アドバイザー会議委員、イオン盛岡南SC「結いの市」監修兼管理者、岩手県観光協会評議員など、アイデアや新しい発想に富んで岩手県全域で幅広い活動をしてらっしゃるためとてもここでは紹介しきれません。

そんな草野さんいわく「現場、現実、現状、この3つを理解したうえで企画力と決断力のある人が活力ある活動には必要」だそうです。

お話を伺わせていただいた草野悟さん草野悟さん

私たちがお世話になっている久慈観光協議会観光コーディネーターの貫牛さんもおそらく上に挙げた条件を満たす企画力リーダー体質の人であり、色々なアイデアを提案して既存の観光コーディネーターとしての仕事以外にも周辺の店の商品のプロデュースや道の駅でのイベント企画などを行っていらっしゃり目が回るような忙しさで働いていらっしゃるように見えました。

震災後に復活した食堂の新メニュー開発に携わる貫牛さん。(オレンジ色のジャンパーの方です)この日は試食会で私たちも参加させて頂きました。)試食会

そういった企画力のあるリーダーは自分の企画によって多くの人間を動かし、ひいては雇用を生み出し社会を変えていく力をもっています。そんな人材はただ漫然と待っていてもなかなか出てこないためそのポテンシャルのある人を育てることも草野さんの仕事だそうです。

確かに決まった仕事のなかで真面目に仕事をこなす人というのは大勢いますし、ただでさえ昨今の科学技術の進歩によって決められた作業を行うことはたやすいこととなっています。

しかし「今までにない発想で企画を打ち立てて実行する」ということは並大抵のことではありません。

東京、大阪などに大企業が集中し、平均収入が高いことからもやはり地方と都市部には明らかな差があります。

それは今何度も挙げている「企画力のあるリーダー」が都市部に流れてゆくためじゃないかと私は考えます。

地方団体が「企画力のあるリーダー」育成に力を入れ、そういった人材が増えれば斬新な考えが多く生まれ、三陸の活力アップのみならず都市部と地方の経済格差や、ひいては都市部集中型の経済を地方に分散することも可能なのではと思います。

 

3月
15

人のために、誰かのために

私達は、3月15日、大槌町に3月6日に開店した「あかはまチロリン村ぽんた」さんというカフェに、開店に至る過程のお話を伺ってきました。そのお店は、大槌の津波にさらわれた住宅街の中に建てられているのですが、初めて見たときからそのカフェがどのようにして生まれたのかがずっと気になっていました。

(写真1)あかはまチロリン村ぽんた

店主の岡本カツ子さんは、とても気さくな方で、いろいろな話をしてくれます。 被災した時の話、その時の波が襲ってくる様子、救助された時の話、そんな思い出したくないような話を私たちに聞かせてくれるのです。岡本さんは11時ごろにボランティアの方が作業を一段落させた時間に開店し、ボランティアの方にコーヒーを出してくださります。 僕らは、そのカフェが開店する少し前にお話をうかがいに行きました。

その岡本さんのお話は非常に考えさせられるものでした。 震災前、今のぽんたが立っている場所には岡本さんの家と一緒にカフェのお店が建っていたそうです。そこは、地域の皆さんに愛されたお店だったそうです。 しかし、震災で何もかもを持っていかれてしまいました。家、お店、車、ペットの猫まで失って途方に暮れていたとき、姪っ子さんの一言が彼女を救ってくれたというのです。 「ここで折れたらいかんよ!」という、姪っ子さんのその言葉に叱咤激励された岡本さんは、もう一度お店を開くことを決意されたそうです。しかし、ゼロからもう一度やり直すことは簡単ではありませんでした。 何しろ、何もかも流されて何一つ残ってないのです。 そんなときに姪っ子さんがボランティアの皆さんに声をかけてボランティアのみなさんを集めてくれたそうです。そのボランティアの方々は、資材を周りの工場などからかき集めてきてくれたのです。さらにお話をうかがっていると、ボランティアの方々が仮設に使うドアを取り付けてくれたり、お店を立てるのをすべて手伝ってくれたそうなのです。 「ボランティアさんに助けていただいて、ドア、外装、シンクまですべて作ってくれたんですよ。本当に感謝しています。」 と岡本さんはおっしゃいました。

 

しかし、「ぽんた」さんを助けてくれたのはボランティアで来ている方ばかりではありませんでした。 僕たちがお話を伺いに行った前日は、オーストリア大使館の方が来て、ストーブをセッティングしてくれたと喜んでおられました。

「お代はいらないから、ほんとに気持ちだけでいいのよ。あなた方に商売するつもりじゃないのよ。」とおっしゃる岡本さんは、岡本さん自身がボランティアの方にしていただいた分の恩返しがしたいというお気もちでお店に出られるそうです。 一軒の小さなカフェですが私には、復興への大きく、とても大切な一歩のように感じました。 これからも、ボランティアさんや地域の人たちに親しまれるカフェであってほしいと思います。

(写真2)岡本さんと

 

さて私たちはこの2週間で、仮設住宅を訪れたりお話を聞くことで震災後、仮設から出ずにずっと人とのかかわりを避けて暮らしている方々がいることを知りました。その方たちは、震災で受けた心の傷が今なお強く残り、心を閉ざしてしまった方たちだと思います。 しかし、岡本さんのようにあるきっかけから立ち直って、しっかりと前を向いていらっしゃる方もいることに私たちは驚きました。 ご自分も大変なのに、誰かのために何かをしたいと考えていらっしゃる岡本さんはこの先の復興において非常に大切なものを手に入れていらっしゃると感じました。それは「自分のことだけでなく、人のため、誰かのため」という思いだと思います。 そんな思いを、一人でも多くの方が持てるようになってほしいと思います。

3月
15

岩手ブログ

この日は山里ネットさんにお世話になり、津波が起きたときのお話を釜石市の唐丹町の大曽根という仮設住宅に入られているお二人の女性に聞かせて頂きていました。 この方々は「人によって感じ方は違うと思うが、震災が起きたのが岩手、東北で良かった。」とおっしゃいました。自分の家が流されたにも関わらずにです。

 

岩手で良かった、だけでは聞こえが悪いですが、こうお二人がおっしゃったのには理由があります。東京、大阪でこの規模の震災が起これば、日本の社会や経済は動かなくなるし、死傷者はもっと多かったであろうというのです。

 

みなさんは自分の家が無くなり、親戚が亡くなってもそう言えるでしょうか? 私はこの話を聞いた時、背筋が凍りました。正直なんと返していいかもわからなかったですが、笑いながら、話していただいたのでなぜだか、私が元気をもらいました。そして、こんなに津波に被害に合ったにも関わらず、こうおっしゃいました。

「私たち岩手の人間は海の幸によってここまで大きく成長させていただいた。 なので、海を憎もうとも、思わない。」

 

私は正直、海のことを憎く思いました。ここまで愛されているにも関わらずなぜ津波という形で人を襲うのかと。そして、私は普段、普通に食べている食物に対してそこまで感謝をしているかな?と、情けなくも思いました。

写真1を見てください。

写真1:唐丹町の小白浜漁港の堤防の被害

これは、仮設に行く途中に唐丹町の小白砂漁港によってもらい堤防をみせてもらった時に撮った写真です。この写真では伝わらないと思いますがとにかく見上げるぐらいでかい堤防がたおれているのです。この堤防を襲った津波がどれほどのものだったかを物語っています。

 

写真2は、高台から堤防と、その内陸部を撮った写真です。


写真:2高台から見下ろした小白浜漁港の堤防

この堤防の内側には民家がたくさんありました。この堤防をなぎ倒し民家までさらっていく津波。これは現地に行った私でも、想像するのが難しいぐらいです。

お話によると、津波が来たというよりは山が襲ってきたという感じだったらしいです。  しかし、こうした巨大な津波にも関わらず、近場の小学校のなどでは普段から、避難訓練をしていたおかげで助かったとのことです。私自身は小学生の時避難訓練をバカにし真面目にやった記憶は一度もありません。それより、避難訓練なんていらない。と思っていました。しかし、今回はこの避難訓練のおかげで生徒が全員助かったのです。それを聞いた時、また私は、自分が情けなくなりました。このとき始めて避難訓練の大切を知ったといっても過言ではないです。

 

私はこの震災の現場を生で見るのは初めてで、テレビで見たことしかありませんでした。

正直、大阪にいるときは、なめていました。津波がここまでおそろしいとは。

ここまで私達人間の物全てを奪っていった姿は、まるでブラックホールのようでした。

 

この感情は被災地に行かなければ、正直わかりません。 本当に、この現場を見ると言葉がでないのです。みなさんも一回行ってみてください。 これから、これまでの、人生観が変わると思います。

 

そして、行くことにより、あなたは復興の手助けになります。ぜひ、足を運んでください。自分の中の何かが変わります。