2012年2月 アーカイブ
2月
29

陸前高田市と釜石市を視察

遠野市から陸前高田市へ向かいました。もともと市街地があった場所に着くと、周りには瓦礫の山と少しの建物以外何もありませんでした。まず、陸前高田市の市役所を視察しました。市役所の建物の中には潰れた車が入り込んでいるなど、津波の爪痕はまだはっきりと残っていました。次に、駅を訪れました。ホームの形は残っているものの、駅舎は無く、線路も見当たらず、説明されなければ、駅だとはわからなかったです。

写真1:陸前高田駅のホーム。点字ブロックが雪の下に埋もれていました。雪に隠れたホーム

夏に南三陸町で体験したのと同じように津波の被害状況を目の当たりにして、呆然とし、言葉が出なかったです。また、もうすぐ震災から1年が経つのに復興が想像以上に進んでいないことに驚きました。瓦礫を一か所に集めることまではできるが、その大量の瓦礫を処分できなくて復興が進まず困っているらしいです。

 

その後、釜石市へ向かいました。釜石市に着くと、高台に上がり釜石湾を眺めました。この高台には、[GPS波浪計陸上局舎]や[津波防災監視装置中継所]などの装置があり、津波への対策は出来ていたのだと感じました。この湾には水深60メートルの地点に造った世界最大級の湾口防波堤があり、その防波堤のおかげで津波の到達時間を少し遅らせることができたらしいです。高台から見てわかるくらい、防波堤は津波によって破壊されていました。ここでも、津波の恐ろしさを実感しました。

写真2:釜石湾の湾口防波堤。一部破損していました。破壊された防波堤

続いて、釜石市の市街地も見て回りましたが、陸前高田市ほどの被害状態ではなく、すでに復旧しているお店などもありました。しかし、流されていなくても、『解体可』と外壁に書かれている建物が多くあり、ここもまだまだ復興が進んでいないのだということがわかりました。

瓦礫の受け入れ先を作ることや、復興するための一連の流れをハード面で整えることなど、さまざまな課題が見つけられました。

 

 

 

 

2月
29

大槌町の漁師さんに出会った日

2月28日。岩手県沿岸エクスカーション。とてもたくさんの事を感じた1日。お昼から行った大槌町の漁業協同組合。ここの地名は吉里吉里(きりきり)。なんだか可愛いでしょ。(*^_^*)素敵な漁師さんと可愛い鮭の稚魚がいる町。

ここに来るまで通ってきたのは、真っ白がどこまでも続く景色。唯一の高さのあるもといえば、雪にかぶった瓦礫の山。日々、復興がすすんでいるとはいえ、初めて被災地を訪れた私は、ただただ唖然…。

だけど、大槌町の漁場に待っていたのは、たくさんのドキドキとワクワク。新しいろ過装置に新しい番屋。そこまでの努力が言葉の1つ1つから伝わってくる。

<写真1>番屋をお借りして話し合い。津波が来た時のお話に息をのむ。エピソード

冷たい潮風を受けながら火を囲む本場の漁師さんのすがたにドキドキし。網目の細かさの違いに納得し。鮭の稚魚の多さにワクワクし…。見るもの聞くことすべてが新鮮で、何もかもが驚きと発見の連続(・o・)

<写真2>網とイカ漁の電球。近くで見ると結構大きい。

永松先生、桐山さん1日、運転ありがとうございました。そして、とてもとても親切に教えてくださった三浦さん黒澤さん、様々なお話をお聞かせ頂き本当にありがとうございました。また、この場を設定して下さった支援団体グッドネイバーズジャパンの古舘さんにもお礼申し上げます。今再びの吉里吉里へ。また会いたい人がいる。わかめがおいしい大槌の海。

いろんな衝撃にあふれる東北2日目、無事終了。

2月
29

復興への大きな一歩 復興食堂

今日はお昼に大槌町にある復興食堂に行きました。

<写真1>復興食堂の入り口

復興食堂

 

私は、大槌名物の鮭とイクラをふんだんに使った、おらが丼をいただきました。新鮮なので、すごく美味しかったです。

<写真2>実際に私が食べたおらが丼(おれらの丼)

おらが丼

 

そこでこの食堂を立ち上げた、一般社団法人「おらが大槌夢広場」の小川さんに話を伺いました。この法人では、研修ツアーや企業から派遣された方の案内役をされているそうです。また小川さんは以前、住宅関連のお仕事をされて、東日本大震災を機にこの食堂を立ち上げられました。

今この土地には建物が建てられないそうです。なぜなら復興計画がまだ決められていないそうです。まだ行政が追いついていない象徴だと思いました。でも私が夏に大槌町に行ったときには、復興食堂はなく、町の大きなショッピングモールが被災して悲惨な状況でした。しかし今日行ってみると、そのショッピングモールは再開され、実際に買い物をすることができました。また通り道には仮設のコンビニなどもあり、復興が進んでいることを実感でき本当に感激しました。大槌町に入った瞬間、復興の兆しを感じとれ、喜びでいっぱいでした。地域の方も前向きに進んでいることがわかり、あの津波を経験しても、またここに住みたいと言っておられました。復興食堂の方はみなさん笑顔で、あたたかい方ばかりでした。私は全力で応援したいと思います。

この食堂には復興支援として、浜のミサンガやチョコボを販売しています。これをもっと販売範囲を広げることや、多くの方に知って貰うことで大槌を知り、大槌町の復興につながると私は考えます。

2月
29

岩手二日目

岩手二日目!

厳しい寒さがなかなか僕を布団から出してくれませんでした…。

今朝は遠野駅で八時の電車で出発し、釜石駅まで行きました。遠野駅から乗る際、丁度通学途中の高校生をたくさん見かけました。この寒さだから何か特別な防寒をしているのかと思い注意してみましたが、特に関西の高校生と服装などの違いはなく、やはりこれは極寒の地に生まれ育ってきた人たちの「慣れ」なのかと思いました。

その後約1時間電車に揺られ続けている間、電車内から見える景色は一面雪景色でした。普段大阪であらゆる建物や酔い潰れている人々を見ている僕にとってまるで、天国のようでした。

写真は遠野から釜石までの電車内からの画像です。

雪景色

そんなこんなで釜石駅に到着。これからお世話になる桐山さんと合流し、釜石、大船渡、陸前高田を案内してもらいました。

釜石駅を出て数分すると、「津波浸水予想区域」を示す掲示板をちらちらと見かけるようになりました。結構大規模な仮設住宅も見られ、未だに入居者でいっぱいのようです。

リアス式海岸が目に付くようになり、その辺りでは少し海岸から離れた高いところに家が建てられているのを車内から発見しました。桐山さんの話によると、三陸津波の経験から以前よりも津波を避けるために高い場所に家を建設し、東日本大震災の津波から逃げることができた人も多くいたそうです。

さらに海岸沿いではホタテなどの漁業が少しずつ再開し始めているとのことです!!しかし、漁業に出る漁師さんだけが活動を再開できても、その仲買人や、加工する場所・機械・人、運送するトラック・人など漁業に関わる全ての面で回復できないことには漁業の復興はありえないという点が大切です。

2月
29

今回の活動に関する会議に参加してきました

2月29日、12時から開催の「いわてあおもり復興応援協議会第2回商品化会議」に参加させて頂きました。(会議には私を含め久慈組がお世話になる貫牛さんも含め、岩手全域から多くの人が参加されています。)

その名の通り岩手県と青森県の復興を応援するため、被災した地域等で商品として売り出せそうな催し事を探し出して検討する会議です。

地元に住む人にとっては当たり前であっても、他の地域の人にとっては新鮮な体験であることがあります。そういった施設の見学や震災にまつわる体験を聞くことに対価を支払い、現地へ訪れてもらうことで被災地域の人々の支援とすることがこの会議の目的です。

ただ、これは支援を目的としているため一般の見学プランよりも割高になります。そのためこの高値を理解してもらうためにはどうするか、ということが重要となります。

話し合いのなかで大前提となった意見が「どの人にいくら支払われるか、何に使われるのか」をプランに明記することです。ほかの意見も「プランに参加することで復興の報告が受けられる。」など全体的に応援旅行ということを前面に押し出すことが必要とのことでした。

そして今回の会議では「ボランティア」という言葉の既成概念についても考え直さなければならないとされました。

つまりボランティアというと人の役に立つために頑張らなければならないと堅苦しく考えてしまいがちですがそうではなく、現地に訪れて楽しみ、学び、交流することもまたボランティアなのです。そういったことを伝えて気安く東北へ来られるようなキッカケを作れば現地の空気を感じてもらうことができ、今後の復興にも関心を持ち続けてもらうことができます。

会議の中で出た「何もしなくても良いからまた来て欲しい。忘れないで欲しい。」という言葉がとても印象的でした。