3月
9

「ボランティア」としてやるべきことは…

Category 遠野班     Tags
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遠野に入って5日が経った僕ら後発隊。天候も僕らを迎えてくれたかの様な、ほとんど0度を下回らない温かい日が続いています。

この数日間は非常に濃い日々でした。

 

それは3月4日、行きの電車から始まりました。同じ電車に乗っていた女性の方に声をかけられたのです。釜石市にお住いの、学校の先生なのですが、子供たちの心のケアに携わってらっしゃる方でした。本当に出会いは偶然からだと思い、いろいろとお話を聞かせていただきました。子供たちに、真ん中に自分の顔を書いて、自分の周りの人やペットや、建物、自分にかかわると思うものすべての繋がりを書いてください、という質問をしたプリントを見せていただいたところ、震災前のプリントは、子供たちは皆思い思いに自分の顔を書いて、その周りには繋がりとして、「パパ」「ママ」「お兄ちゃん」など家族や、友人、ペット、さらには、近くのコンビニまでしっかりと書いていました。

しかし震災後の繋がりは、多くても「パパ」か「ママ」のどちらか、もしくは何も繋がりを書かない子供、そのうえ自分の顔すら描かない子供が大勢いました。その子供たちは、今何が欲しいかと尋ねられると、「なにもいらない」と答えるのだそうです。

 

この女性の方はこういった子供たちの心をどうすれば救えるのか、笑顔にできるのかをずっと考えていらっしゃる方で、そしてそのことを時間の許す限り、詳しくお話ししてくださいました。まだ、ボイスレコーダーを持っていなかったのですが、そのお話は忘れることのない衝撃的なものとして強く印象に残りました。電車に乗っている短い時間でしたが、子供達の心を救うにはどんなことが必要なのか、ということを考えさせられた時間でした。

その後3月7日、僕らは大槌町で宅地跡の清掃のボランティアに参加しました。大槌町はいまだがれきだらけで、建物の基礎がそこら中に残っている状態でした。

私たちの仕事は、その建物の敷地内に積もったがれきや土を掘りだし、きれいにすること。この日も60人近いボランティアが参加していました。大槌は釜石に比べ、比較的作業が進んでいるそうです。

写真① [作業の様子①]

写真② [作業の様子②]

このボランティア中、たくさんの地元の方に出会いました。その誰もが明るく挨拶してくれました。それは、小学生も同じでした。その明るい笑顔を見て、遠野に来るまでの電車で聞かせていただいたことを思い出しました。この子たちのように、心に傷を負った子達が明るく笑えるように、今、何ができるのか。すごく難しい課題だと感じました。

 

最後に、復興の第一歩を見つけました。津波に襲われた何もない街に、つい最近オープンしたファミリーマートです。

これがこれからの復興の先駆けとなってくれることを願います。

写真③ [ファミリーマート]

2 コメント “「ボランティア」としてやるべきことは…”

  • 前原 慎吾 2012年3月9日 9:16 PM

    電車でのお話、良い経験になったのではないでしょうか。世間一般では、「被災者」とひとくくりにされていても、一人一人の悩みは様々であることが伺えます。それは、外見では全く分からない所です。もっといろんな人と関わって多くの事を学び、子供の心のケアなど様々な問題点を、共に考えていけたら良いですね。

  • 西村弘 2012年3月10日 9:38 AM

     人の幸せは、つまるところ、他の人々とのつながりにあるものなんでしょうかね。震災前には多くの人とつながっている、幸せな自分を描くことができた。震災後は、大事な人々を亡くした記憶が大きく、自分のまわりにそうした人々を描こうとすると、いないことに気づく・・・。いない人が多ければ多いほど、描くべき人がいなくなってつながりを断たれた自分を描く意味もないと感じる・・・。代わりになるものなんてないとわかっているから、なにもほしくない、と言ってしまう。わかるような気はするけれど、本当にわかることはできない一人一人の子どもの心の内は、大事に、そっとしておいてあげるしかないのではないか。
     新しい人々とのつながりを、いそがず、大切に、丁寧に作る。一言でいえば、「絆」なんでしょうが、いそいで作ろうとすれば、亡くなった人を忘れろと言われているようで、それを恐れる気持ちもきっとあることでしょう。長い間に心の準備ができているときでさえ、永遠の別れは辛いものがあります。ましてや、暴力的に、一瞬のうちに奪われてしまえば、やわらかな心に与えられた衝撃はどれほどのものか。それをわかることはきっとできない。でも、寄り添うことくらいはできるかもしれない。あなたたちがそこにいることは、そういうことでもある。そう感じました。