3月
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野田村の人と人とのつながり

Category 久慈班     Tags
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野田村はメインの通りが被災しており、仮設住宅も三か所に分けて作られています。私が訪れた仮設住宅の集会所では、5人の方がさをり織でコースターを作っておられました。

仮設の方が作られていたコースターコースター

これは売り上げの一部が、この作っている方々の利益になります。また、さをり織は青森の伝統のもので、さをり織をしている会社からの支援で、さをり織を教えてもらい、作られているそうです。みなさん丁寧に作られていて、前向きに楽しみながら作業されていました。

お昼には、最近仮設店舗にオープンした「十府ヶ浦食堂」に行きました。このお店は震災前、海岸沿いにあったためお店は流されたため、この仮設店舗に移られ、再開されたそうです。磯ラーメンを食べました。あっさりとしていて、塩ベースなので塩の味が効いていて、すごく美味しかったです。関西では絶対に食べられない味だと思いました。

磯ラーメン磯ラーメン

また米田さんという方が作られている豆腐もいただいたのですが、ふわふわで豆腐自体にすごく味があり、醤油なしでも美味しくいただけます。米田さんも震災によって、工場が被災し今は仮設店舗でとうふを作ったり、田楽を作ったりしておられます。

それからお顔見知りになった方にご一緒させていただき、キルトのお披露目に参加させていただきました。キルトは被災した方々が集まってみなさんで、分担して作られたものです。

キルト会のみなさんで作られたキルトキルト

このキルトは弘前から先生が来られて、教えてもらいながら作られたそうです。一つ一つ丁寧に縫われていて、とても素人の方が作ったようには思えませんでした。

私は支援というのは被災直後に食べ物や日用品を送ったり、瓦礫の撤去などのイメージが強かったです。しかし今回野田村に入り、被災後の復興中の過程を知りました。そのなかで弘前からキルトの先生が来て、被災した方にその技術を提供するといった支援は想像もつかないことでした。やはり被災してから時間が経つにつれて物資を送るとかではなく、被災者の方たちが自ら行動するための手助けとして技術者や指導者が必要なのだと思いました。

また、村自体の人と人とのつながりの深さに感激しました。野田村の米田地区では被災当初公会堂に避難していたそうです。すると被災していない山沿いの地域の方が、あるものを持ち寄りみんなにふるまったそうです。やはり人と人とのつながりが深いからできることであり、例えば大阪のように、その地区の人たち同士が顔も知らない人がいる環境ではできないことではないかと考えます。

 

 

1 コメント “野田村の人と人とのつながり”

  • 西村弘 2012年3月19日 5:11 PM

    越山先生は、阪神淡路の経験をもとに、物理的ネットワークと人的ネットワークの二つのネットワークの再建が重要と仰ってました。災害はこの二つのネットワークを毀損しますが、人的ネットワークの毀損は目に見えにくい。しかし、再建にとっては物理的ネットワーク以上に重要かもしれない。野田村の事例は、それを感じさせるお話でしたね。