3月
13

八戸の町を視察

Category 久慈班     Tags
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この日は、青森県の八戸市へ行きました。 久慈周辺で地元の方と話してみると、八戸へ買い物に行くと言う人が多くおられたので、自分の目で、八戸という街がどのようなものか、知りたかったのです。 久慈から八戸まではJR八戸線が運行されていましたが、津波で鉄橋が流され、全線での営業は3月17日まで待たなければならない状態にあります。そのため途中まで代行バスがありますが本数はとても少ない上、ダイヤも不安定なので、交通手段がJRしかない高校生は、さぞ不便だろうなあと思いました。実際、自分は朝5時過ぎの始発バスに乗りましたが、既に高校生が乗っている状態でした。 八戸を語る上で、市場は欠かせません。 八戸港の近くでやっている公設の市場は、日曜日を除いてほぼ毎日営業しており、50軒ほどのお店が入っています。どのお店も活気があり、はつらつとしたかっちゃ(こちらの方言で、お母さんという意味)の声が響いていて、心地よかったです。 この市場は毎日のように通っている地元の人が多く、散歩がてら立ち寄って、お店の人と喋り、朝食を食べて、おかずを買って帰るというパターンが多いそうです。自分もお店で好きな刺身や惣菜を買い、市場の空気をおかずにして朝食を食べる。とても贅沢な時間を過ごしました。おまけに魚は安くて新鮮で、美味しい。八戸は市を挙げてこの市場と朝食をPRしています。

【市場の様子】

【この日の朝食。これで500円というお値段】

震災の日、津波は八戸をも襲いました。八戸港の水揚げ高は日本でもトップクラスで、漁業が盛んな町だったので、大打撃を受けました。魚が獲れなくなり、市場に魚が来なくなって売り上げは落ちたそうですが、この日の市場の活気を見ると、そのような過去があったとはみじんも感じられませんでした。 それでも、八戸港に実際へ行って見てみると、津波の爪痕がはっきりと残っていました。

【津波で壊れたと思われる岸壁】

そして、町を歩いていて、至る所から工場の煙が見えました。八戸港は工業港としての役割もあるのです。八戸が栄えている理由は漁業と工業という、ふたつの産業があるからだと考えました。ひとつの産業が被害を受けても、もうひとつの産業がカバーする。こういうことができているのが八戸の強みだと思いました。

【八戸港から工場の煙突を見る】

八戸の町が地震の被害を受けたということは、あまり知られていないのが現実だと思います。実際、メディアに多く流れているのは岩手、宮城、福島で、青森の被害はあまり報道されていません。市街地はとても賑わっていて、久慈市民が買い物へ行くというのも、分かる気がしました。 しかし、まだ津波の跡が残っている八戸港を見ると、青森が被害を受けたということは、もっと注目されてもよい事実なのになぁ・・・と感じました。

1 コメント “八戸の町を視察”

  • taniguchi 2012年3月14日 12:24 AM

    久慈の市民が八戸の市場まで通っていることに驚きました。そして、市民の目になってみるという事を一番に考えて実際に八戸にいった丸井さんはとても行動力があると思います。朝ごはんの写真、見るからに美味しそうで、私も是非行きたいなと思いました。活気のある青森県から岩手県にも援助の手が伸びて、お互いに津波の傷をなくしていけるといいですね。